富山市には6月1日に「まんじゅう」を食べる風習がある。
いつ頃からこれがはじまったかは分からないが、今日まで続いていて、近年まで中央通りの竹林堂本舗には甘酒まんじゅうを買い求める人々の長蛇の列ができていた。
⇒朔日饅頭(ついたちまんじゅう)並んできました(2011年)
⇒朔日饅頭(ついたちまんじゅう)並んできました(2012年)
⇒朔日饅頭(ついたちまんじゅう)並んできました(2013年)
⇒朔日饅頭(ついたちまんじゅう)並んできました(2015年)
かつては、6月1日の早朝から子供たちがまんじゅうの触れ売りをしていた。10歳から15歳ほどまでの男の子が、まんじゅうを入れた箱を肩に乗せて、
マンジューや マンジュ
マンジュいらんけ マンジュ
ついたちマンジュ
と節をつけて触れ歩いた。それは昭和初期までの初夏の風物詩であった。
ついたちまんじゅうの触れ売り
奈良時代、陰暦の6月朔日(ついたち)、宮中で冬の氷を氷室から出し官人に配る儀式が行われていたので、この日を氷室の朔日と呼んでいた。
民間では、硬くなった正月の鏡餅を欠かしたもの(欠き餅)を焼いて、6月1日に食べる風習が全国へ広まっていった。また、その年に取れた麦で「まんじゅう」を作り、それを神仏に供え、この日に食べると「腹の虫が死ぬ」という疫祓(やくはらい)行事になった地方や、雑穀粉と餅米で作った餅に餡を入れ、それを6月1日に食べて「焼き餅節句」と呼んできた地域もあった。
富山城下(旧富山市)では、安永年間(1722~80)創業の竹林堂の甘酒まんじゅうの味が、藩主をはじめ城下町民に高い評価を受け、「朔日まんじゅうは竹林堂」といった具合になったようである。
竹林堂の甘酒まんじゅう
以上<五番町地区郷土史>(2012年発行)より一部補正
※酒饅頭は、酒母(酒種、麹に出芽酵母を繁殖させたもの)を使って小麦粉の生地を発酵させ、中に餡を入れた饅頭。虎屋饅頭とも呼ばれる。「酒饅頭」は長野市、新潟県長岡市ではあんまんのようなものであり、富山県や福井県三国では形状は平たくなり焼き印を入れてあり、岐阜県大垣市のものは茶饅頭のようなものであるなど地域によって形状、味覚、製法が異なる。酒饅頭を氷水で浸したものを水饅頭と形容する場合もある (後述) 。あんパンのアイデアの基になった。群馬県の焼きまんじゅうのように、菓子店ばかりでなく、軽食として一般家庭で作られる事もあった。近年は、野菜の煮物や漬物などを餡として酒饅頭の生地で包んだ、かつての菜饅頭のような甘くないタイプの饅頭も登場している。(wikipediaより)