ちょこっと関西歴史たび 世界遺産法隆寺 ─ 平成26年2月15日 ─ | タクヤNote

タクヤNote

元mixi『東大寺』『南都七大寺』コミュニティ管理人で、
現在は古都奈良の歴史文化の紹介、
アメーバピグや、配信アプリ『RIALITY』で知り合った人の
アバターの絵を描くなどの自作イラスト紹介をしています。

 

今月奈良に行ったのは2月15日と16日の2日。ちょうど、大雪のバレンタインデーが明けてすぐくらいでした。
16日は前の日記に書いた、奈良市街三条通のクロネコならtabiセンターで行われた、切り絵ワークショップが目的でしたが、前日の15日のお目当ては斑鳩の法隆寺でした。

実は、今年1月11日からJR西日本による企画『ちょこっと関西歴史たび』の第四弾、『世界遺産 法隆寺』が開催されているのです。
http://www.westjr.co.jp/press/article/2013/12/page_4996.html

 

 

 

 

 

 

JR西日本 パンフレット

 


この春の特別企画として、上御堂の特別公開、本坊にて管長および執事長による特別法話、ボランティアによるガイドとめぐる歴史案内が行われます。特に、この15日からは非公開の上御堂の特別公開が行われているのです。

法隆寺が世界遺産に認定された最大の理由は、西院伽藍の存在であります。金堂・五重塔・中門の3伽藍および回廊は世界最古の飛鳥時代の木造建築。奈良時代再建の鐘楼と経蔵、平安時代再建の大講堂を合わせて、法隆寺の再主要伽藍を構成しているのです。
しかし、一般公開されているこれらの伽藍以外に、西院伽藍には知られざるもう一つの仏堂があるのです。それが重要文化財建築の上御堂(うえのみどう)です。

http://www.horyuji.or.jp/kaminomido.htm

 

 

 

 

法隆寺 パンフレットより部分

 


上御堂は回廊に囲われた西院伽藍のすぐ北の小高い山腹に建つお堂です。近代以前の仏堂としては、大講堂に次ぐ大きな仏堂です。寺伝によると飛鳥-奈良時代の皇族・舎人皇子の発願で建立されたました。平安時代の永祚元(989)に倒壊し、今のお堂は鎌倉時代の再建。
仏堂の規模や安置されている仏像の内容からも、西院伽藍の重要伽藍なのですが、法隆寺ではこの上御堂は11月の3日間のみしか公開をしていません。

今回のちょこっと関西歴史たびでは、約2週間の長きにわたって、この上御堂が特別公開されるのです。この15日はその上御堂の特別公開に合わせて、冬の法隆寺を訪れました。

 

 

 

 

 


法隆寺にも前日の雪がしっかり残っていました。平成22年の大雪に続いて、4年ぶりの雪の法隆寺です。
上御堂への拝観は拝観料を払って、中院伽藍の中に入らなくてはなりません。4年前を思い出すように、再び世界最古の木造建築物の雪景色の中を歩きました。

 

 

 

 

 


4年前は屋根の工事のために覆屋に隠れていた雪の大講堂でしたが、この日はまるで4年前のリベンジ気分で雪の大講堂を堪能することが出来ました。

 

 

 

 

 


小生が法隆寺拝観を2月15日を選んだのには、上御堂拝観以外にもう一つの理由がありました。実は2月15日というのは『涅槃会』…お釈迦様のご命日なのです。
法隆寺での涅槃会法要は、この大講堂で行われます。この日は大講堂に『大涅槃像八相成道絵像
の図画が奉掛され、一山の僧侶によって法要が営まれるのです。

 

 

 

 

http://www.horyuji.or.jp/nehane.htm

 


大講堂の中に入りますと、巨大な涅槃図が堂内を埋めているという印象でした。大涅槃八相成道絵像は正徳元(1711)年、江戸時代に西岸寺の僧・明誉古澗が描いたもので、三幅一組の大きな図画です。見た所は合わせて横幅は10メートル以上、高さも少なくとも5メートルはありました。

 

 

 

 

 


大講堂の本尊は国宝の薬師三尊[平安時代]なのですが、この日だけは大きな大きな涅槃図が内陣の手前に掛けられて、本来の仏像はその後ろに隠れて正面からは全く見えなくなっていました。この涅槃会の日だけ見ることの出来る涅槃図を今回初めて見る機会となりましたが、正直300年も前に描かれたものとはとても思えませんでした。
図画の状態は極めて良く、顔を近づけて見ても、描かれたのはつい最近で、近代の複製画なのではと疑ったくらいです。大きさからも質的にも、見るべき価値のあった涅槃図だと思いました。

涅槃図を拝観した後、大講堂の裏口から、いよいよ北に建つ上御堂へ進みます。
実は小生が法隆寺の上御堂を訪れるのはこれが二度目。始めて上御堂に訪れたのは3年前の11月、秋の定例公開の時でした。

 

 

 

 

 

 

 

 


この時に堂内でたまたまご一緒したグループと少しお話をしたのですが、当時mixiをしていた小生が、法隆寺のコミュニティでその時のことを書きこんだところ、何と堂内でご一緒したグループのお一人もmixiをされていて、小生の書き込みを見て「その時に話しかけられたのが私です」と、思いもよらぬコメントをもらってビックリした思い出があります。


秋深い法隆寺での思い出ですが、今回は普段は決して参拝することが出来ない真冬の上御堂。しかも雪が積もっているという、おそらく本来なら一生に一度も無い機会の参拝となったのです。

 

 

 

 

 


普段は入れない大講堂の裏へ来ると、法隆寺というお寺が山のすそ野に建てられていることがよくわかります。足元の悪い中、石段の坂道を気を付けながら上御堂へ向かう参道を歩いて登ります。

飛鳥時代や平安時代の建物が居並ぶ西院伽藍の中では、比較的新しい上御堂ですが、鎌倉時代最初期の十分に歴史の厚みのある仏堂です。中に入ると藤原時代の釈迦三尊がその威容を見せます。

 

 

 

 

JR西日本パンフレットより(飛鳥園撮影)

 


中央に釈迦如来、脇侍は左が普賢菩薩、右が文殊菩薩という配置。釈迦如来坐像は像高230センチメートルという、かなりのボリュームを持つ仏像です。
上御堂にはボランティアのガイドの方がおられて、堂内の説明を参拝者にされるので、とてもわかりやすく拝観が出来ました。三本尊はかなり金箔が剥がれており下地の黒漆も出ていましたが、でも今も残る金箔が千年前のものであると聞かされた何人かおられた参拝者は、とても感慨深く仏像を見上げていました。
上御堂には釈迦三本尊の他、南北朝時代の四天王像が安置されていましたが、他にも仏像以外の“物”が置かれているのです。上御堂が普段非公開ということを利用して、収蔵庫などに入りきらない寺宝の一部を、上御堂を収蔵庫代わりにして保管しているのです。
まず左側には上に布が掛けられた、雅楽の大太鼓が置かれているのが目に止まります。ガイドの方の説明によると鎌倉時代の重要文化財、何と源頼朝が寄進したという、とても歴史的な価値を持つものなのだそうです。
また、上御堂の右側には一基の厨子が置かれていました。これは江戸時代のものだそうですが、何と夢殿の秘仏・救世観音が安置されていた厨子なのだそうです。夢殿の救世観音はずっと絶対秘仏だったものを、明治時代にアーネスト・フェノロサが封印を解き、世間の元に明らかにした有名なエピソードがありますが、その時に救世観音の納められていたのが、この厨子であったと教えていただきました。
驚くべき歴史を持つ物がゴロゴロと置かれている、上御堂という場所はとても不思議でいっぱいの空間だったのです。

 

 

 

 

重文・大太鼓 平成23年4月22日 聖霊会にて

 


上御堂の拝観を終えると、小生は再び世界最古の西院伽藍へ戻って来ました。時間は午後1時を回っており、午後1時半から始まる、涅槃会の法要の時間が近づいて来ていたからです。法要の時は一山の僧侶が南大門にほど近い本坊から北へまっすぐ歩いて西院伽藍の中央を通り大講堂まで練り歩きます。そして、その際に、普段は閉ざされている中門が開き、僧侶のお練りが門をくぐるのです。これも珍しい光景であるために、お練りが中門をぐぐる様子を狙ったカメラマンが、三脚を立てて待っている様子も見ることが出来ました。

僧侶のお練りの前に、正装の雅楽師の方が大講堂に向かう姿がうかがえました。

 

 

 

 

 


そして午後1時半をまわり、一山の僧侶の皆さんがお練りで中門をくぐり、西院伽藍の中に入って来られました。

 

 

 

 

 


お練りはそのまま、雪景色の西院伽藍を通り、涅槃図が掛けられた大講堂へと向かわれたのです。この時には降っていたのは雪では無く、すっかり雨になっていたのですが、和傘を差した僧侶のお練りが雪の法隆寺を練り歩く姿は、えも言われぬ風情を覚えました。

 

 

 

 

 


こうして先に大講堂に入っていた雅楽団の方々と合わせて読経がされるという涅槃会法要が、大講堂で営まれることになったようです。このような形式の法要はかつてお会式通夜法要で体験したことがありましたが、正に幽玄という言葉がふさわしい素晴らしいものであったことを覚えています。

しかし、時間の都合で法要を見ることは出来ず、僧侶のお練りが大講堂に入られるのを確かめると、すぐに法隆寺を後にしたのでした。

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