ボルネオ文化博物館 | EleMariRai @ JB

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三人の娘たちとフルタイムのワーキングマザー。
マレーシア最南端のジョホールバルでのあれこれを綴ります。

クチン三日目。エレンは今日からミーティングが始まったので

ひとりでボルネオ文化博物館へ出かけました。

 

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エレンは対岸の州政府ビルまで、19分もかかって迂回(笑)。

クチンって車が渡れる橋がそんなにあるわけじゃないのね。

 

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私は通ったことのないJalan Wawasanを進んでみたところ、

教会みたいだけど違う、修道院にしては開放的すぎる建物を

見かけました。なんだろう。気になる。

 

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郵便局の横に出たので、真正面から再度お目見え。

サラワク王国の紋章が無色だけど、堂々とまだそびえている。

 

 

色付きの紋章はこちら。今もけっこうあちこちで目にします。

上はアナグマ。紋章用語では「ブロック」と呼ばれており、

黄色、黒、赤は現在のサラワク州旗にも使われていますね。

 

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ボルネオ文化博物館に行く前に、まず自然史博物館へ。

 

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こんな展示ばかりが続き、20分で終了。

ワニの大きなはく製じゃなくて、私は古生物が見たいのに。

自然史博物館から自然博物館に改名してちょうだい。

 

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敷地内には大砲が。蘭領カリマンタンから来たか?と思いきや。

 

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調べてみたら、ジョージ三世のエンブレムでした。

東インド会社のブルネイへの接触と、年代的には合うと思う。

 

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遠景ではラジャ・ブルック(国蝶)が可愛いのですが、

わざわざ見に行く必要はないんじゃないかなあ。

なお。お向いには美しいサラワク博物館(旧館)があります。

ここはよい建物なんですが、中に入ることはできませんでした。

 

 

さて。本日の目的地のボルネオ文化博物館。

サラワク博物館(旧館)とは陸橋で結ばれています。

5階建てなので、上から下へと巡ってみることにしました。

 

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まず。交易のコーナーから見始めたところ、大きな壺が。

薩摩焼の壺で、イバン族からはTajau singa-rajaと呼ばれて

いたんだそうです。Lion Kingですかい?

 

説明を読むと、広州やマニラを経由してサラワクに入って来た

そうです。蘭領インドネシア経由かな?って思ったんだけど。

 

先住民の人たちが使うビーズにも、なんとヴェネチアからの

Chevron Beadsがあるそうで、胡椒やダンマルゴムと交易を

していたんだそうです。喜望峰経由で蘭領インドネシアから

入って来たとのこと。

 

ボルネオのことを半島部に比べて未開の土地だと思っていた

けれど、伊万里や薩摩の大きな壺をやヴェネチアのビーズを

見たら、それが全く間違いだったと知りました。

 

5階にはボルネオの独特の文化や手工芸品についての展示も。

イカットだけじゃなくソンケットや美しい刺繍もありました。

ブルネイがあるんだから、マレー系の文化だってあるよね。

 

4階はニア洞窟から始まるサラワクの歴史。

ブルネイ王国からRaja Brookeのサラワク王国への歩み、

日本による占領後、英国の領土となり、マレーシアへ。

 

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3階には実物大のビダユの家があり、中に入れます。

 

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中には本物じゃないだろうけど干し首が吊るされていました。

 

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大きなクリリエンもありました。

 

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各階には、広い踊り場(というには広すぎる?)と大きな

窓があり、下に可愛い建物が見えたので行ってみることに。

 

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そこはイスラム博物館。アラビア文字で飾られた美しい建物

です。元々はJames brooke malay collegeとして、教員を

養成する目的で建てられたそうですが、1930年にマレー人男子の中等教育のためのマドラサ(宗教学校)になりました。

 

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旧裁判所と同じように、中庭を囲んで建物があります。

 

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建築当時の梁組みの様子も見ることができました。

 

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背後にそびえ立つボルネオ文化博物館。

お金がかけられた(笑)本当に素晴らしい博物館です。

ランチも忘れて(笑)合計4時間も過ごしてしまいました。