サルタナアミナ病院のプラーク | EleMariRai @ JB

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三人の娘たちとフルタイムのワーキングマザー。
マレーシア最南端のジョホールバルでのあれこれを綴ります。

ジョホール水道に面した赤レンガのサルタナアミナ病院。
第二次大戦中は南方第三陸軍病院として接収されていました。
 
 
写真画報昭和17年7月22日号では、運動会が行われた様子が

報道されてます(小さい写真ですみません)。

 

 

傷病兵と看護婦さんのリレーでしょうか?

陸軍報道班撮影による写真です。

 

マラリアに罹ったり、戦場でお怪我をされた傷病兵ですから、

きっと痛かったり辛い思いをされていたことと思いますが。

内地の家族には心配をかけないようにと笑っていらしたのかな。

 

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そのサルタナアミナ病院には、現在まで戦争中に犠牲になった

医療関係者を偲ぶ「WAR MEMORIAL」が残っています。

 

敵の行為の結果としてなくなった医療関係者を偲んで

1941年12月-1945年9月

 

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こちらには医師や看護婦などの専門技術者の名前が刻まれ、

 

 

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こちらには補助スタッフの方々の名前が刻まれています。
何度も病院へは仕事で通ったことがあるのに、
このプラークの存在なんて全く知りませんでした。
 
以前はリドビーチにあった第二次大戦のWAR MEMORIALも、
周辺の開発で撤去されてから数年が経ってしまいました。
 
華人のお店が並んでいたJALAN TRUSがインド人街って
呼ばれるようになってしまったり、「おかまちゃん通り」にも
おかまちゃんはもう出没せず(笑)小奇麗な店が並んでいる。
WONG AH FOOKの旧居だってあっさり壊されてしまった。
 
PEGGYさんみたいな歴史を掘り起こし、記録を残していく人が
いる限りは大丈夫だろうけど、まだまだ真実は埋もれています。
 
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ところで。サルタナアミナ病院の裏手にあるレリーフ。
ヒポクラテスでもないようだし、誰なのかしら?
お詳しい方。どなたかお知恵を拝借できませんか?
 

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