【自信に"根拠"は必要か】
今日も、限りある命と思い生活をしていたら
あることに気付きました。
「何かをする時に、そもそも"根拠ある自信"は必要なのか」と。
"自信"というのは、自分の意思あるアクションにおける今までの経験から段々とつくられ、そして根強いものになっていく過程が、ほとんどだと思います。
少なくとも、自分はこのタイプです。
そして、ここで。
このさき何が起きるかわからない"未来"に対し、"過去"の経験は本当に100%活かされるのか。
自分の行動している範囲で
どれだけ練習していても
どれだけ予備知識があっても
どれだけ成功回数が多くても
全く同じ
「シチュエーション」は
果たして自分の目の前にもう一度表れるのか。
みなさんはどう思われますか!?
自分としては、これは完全に
「NO」
だと思います。
あの時と同じ"タイミング"
あの時と同じ"空気/温度感"
あの時と同じ"コンディション"
あの時と同じ"気持ち"
まずあり得ないと思います。
なぜなら、それは
「未来だから」です。
別の言葉で表現するならば、
「日常生活の中や我々人間には"数値化"が出来ないものがあるから」です。
明日に控えている試合で、どれだけ技が完璧であっても
"明日の自分の身に何が起こるか"や
会場の"空気"が
よいかどうかまでは
わかりません。
また、コレを、わたしたちのシーンへ移し
お仕事に置き換えて考えた場合
ほとんどの場合、わたしたちの志すモノは
「お客様へのおもてなし」
10人の相手に対し
最幸(=最高)のおもてなしをする場合
相手の心・気持ちの読み取り方は
10通りあります。
1通りだけで上手くいくわけがありません。
1通りで満足してもらえるわけがありません。
なぜなら、目の前には
数値化なんでできないお客様の
"心"があるからです。
試験勉強なども似ています。
ある項目の勉強をたっくさん頑張って
試験当日に
全く同じ問題が出されるかどうかは
その瞬間でしかわかりません。
では、ここでわたしたちは何をどうしたらよいか。
それは「少しでも成功に近づけられるアプローチを1つでも多く探してみる」
という"常日頃のとりあえずやってみる"という気持ちを持つことです。
自分にとって「これは自分の必要な情報が得られるチャンスでは!」
と少しでも思った場合
迷わずアクションに移してみることが大事だと思います。
時に、それはうまく成功することもあると思います。
時に、その行動で人を傷つけてしまったり
悲しませてしまったりすることもあると思います。
しかし、そうやって様々なことを
実際に行動に移して体感していってみないと
見えてこないのが現実です。
上手く成功したことで、その事柄の捉え方や考えが強固なものへとつながり
逆に、上手くいかず、失敗したり人を傷つけてしまったり悲しませてしまったら
その事柄の「大切さ」や「真摯な構えで目を向ける姿勢」など
必ず自分にとってよい情報が入ってくることだと思います。
成功したときには、成功したときにしか分からないことがあり
失敗したときには、失敗したときにしか分からないことがある。
成功だけがよいかと聞かれたら
そうではないのかなと思います。
"事実は1つ。解釈は様々"
ただ、ひとつ言えることは、「すべての結果は、自分から踏んだ1歩からすべてが始まった」ということ。
自分のフィールドで
どれだけ練習していても
どれだけ予備知識があっても
どれだけ成功回数が多くても
全く同じ「シチュエーション」なんて表れっこない。
そうなると、「では、今ここで実際にやってみたらどうなるのか」と
その瞬間その瞬間の実際の行動が大事になってくる。
出来るかどうかは、実際にやってみないと分からない。
大きなことも、小さなことも、どんなことでも
日ごろからやってみないとわからない。
自分のやりたいことに、いかに勇気と情熱を余すことなく注げられるか。
わたしたちに、やってやれないことなんてないんです。
ソチオリンピックからの新種目となった
スキーハーフパイプで
初出場ながらも
見事銅メダルに輝いた
小野塚 彩那選手(25)も
「世界を狙えるという根拠のない自信」
という思いから苦悩の末
世界の大舞台で大輪の花を咲かせることが
できました。
朝日が出てきた瞬間、わたしたちはいつも
スタートラインに立っています。
今みなさまの「やってやるぞ」という気持ちを
これからもずっと大切に。
今日も行動あるのみです。
※今回のこの記事は、"東日本大震災"での出来事をきっかけに書いた内容等ではなく
何気ない普段の日常生活から気づいたことを書き記しさせて頂きました。
そして、東日本大震災から丸3年。
亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げますとともに
被災された皆様とご家族の方々に
心よりお見舞い申し上げます。