安倍さんが首相に。またもや山口県であります。


だからどうしたというわけではありませんが、


安倍さんを含め山口県からは8人もの総理大臣を排出しております。


まさしく戦後の政治を牛耳ってきたとまでいえば大袈裟にはなりますが、


必ずと言っていいキーパーソン、キャスティングボードを握ってきました。


山口県といえばそうですね、江戸後期から明治にかけての


明治維新、勤王討幕を掲げた外様の代表格「長州藩」であります。


あの桂小五郎、高杉晋作をはじめ多くの志士を育て上げ、


さらに初代内閣総理大臣伊藤博文、そして今の官僚日本を作り


さらに当時の陸軍を確固たるものにした明治の元勲山県有朋


その人もであります。


まぁ山県有朋で藩閥政治は終焉したとも言われていますが、


いずれにせよこの外様パワーたるやすごいものがあります。


もう一方の外様といえば、


付かず離れず、媚びず靡かずの大藩島津「薩摩」であります。


こちらも負けず劣らず3人を排出しております。


しかしながらそれは戦前で終わっております。


その差は?とか思いますが昔からの流れでいうと個人的見解ですが、


薩摩はどっちかというと「殿様」ありきの発想。


やはり島津の殿様を絶対的な君主として掲げていたように思います。


対する長州は毛利公を出し抜いてはいませんが


個人個人の考えでかなり動いていたように思います。


というのも吉田松陰などに代表されるように奇抜な志士が多かったように。


してからに話ではありますが(おそらく作り話であろ)


高杉晋作やら薩摩の五代才助やらが清へ使節団の一員として


洋行した際にそのアヘン戦争で負けた清国の惨状を見て


どうにかしなければいけないと志士たちは感じた。


いや感じずにはいられなかったのだろう、その帰りの船の中で


高杉晋作は五代才助に「どう思った?」と。


「おいは帰ったらすぐに殿に進言ばして…」


というと間髪入れず高杉が「ちがう!殿様なんかあてになるか!


自分が何をするかだ!自分がどうするかだ!」と叫んだとか。


その気持ちが今でもあるのだろうか?山口県は熱いのである。


というところで考えるとやはり今の政界はまさしく


「外様の逆襲」ですね。


昔江戸後期江戸城では薩長同盟をしった老中たちが声を荒げ


「外様の大謀反」と叫んでいたらしい。


しかも立ち向かうに立ち向かえない譜代大名、旗本、御家人


うしろうしろにむかう老中たちにとある方がこうも言われたらしく


「この外様の大謀反、東照大権現様が見られたらなんとおっしゃるか!」とも。

しかし奇しくも今は大阪の維新の会がそうなのかもしれませんね。