今日、実家のクドリャフカ(シェルティ)が旅立ちました。


先週9日に肝臓の手術をして、15日から実家にて自宅療養をしつつ毎日手術をした栃木の病院まで朝一で通院していました。




3月に群馬に引っ越してしまってからはあまり会う機会がなくなってしまったし、実家に帰ってもついつい室内犬のミューとばかりあそんでしまって最近は構ってあげれてなかったような気がします。


だってこんなに早くお別れが来るとは思わなかったから。

まだ11歳でした。


上には今年15歳のシオン(ビーグル犬)が居たし、過去に飼っていた柴犬2匹も大病することなく長生きだったのでそーゆーもんだと思っていたから。


むしろ何度かぐったりしていたシオンの方が順番的にも先、だけどまだ大丈夫と思っていた矢先でした。




6月に食欲が無くなって、町の動物病院で検査の後、肝臓が悪いと診断され、1週間の入院。

その時の検査で既に肝臓の数値が振り切れていて測定不能だったそうです。


入院後も容態が変わらなかったので7日に市の動物医療センターに転院。


ここで最初の選択

①このまま薬で延命する

②点滴で体力が戻るのをまって一週間後、手術


難しい選択です。

実家に居なかった私も電話の向こうで家族会議に参加し、②を指示。

根本原因を取り除かないことにはダメだと思ったので。


結果、一週間待たず、9日の夜に手術。

私はこの日の夕方新居に戻るつもりだったので煎茶教室でいつもより手短にお稽古を済ませた後、帰りに寄ったスーパーで無事手術が終わったとの報告を妹から聞きました。


とりあえずは一安心。

メールが来たときは最悪のパターンを想定してメールを開くのにドキドキしたけど無事終わって本当に良かった。



10日の手術翌日から毎日家族の誰かがお見舞いに行ってて、手術の翌日はいつものスフィンクス座り(伏せの状態で前足をクロスさせたクーちゃん独特の座り方)も出来ていたそうです。


翌日からもそんな状態でちゃんと頭を起こしていて「手術も無事終わったし大丈夫そうだね、早く元気になって退院したいね」って状態だったそうです。




でも14日に私がお見舞いの為に実家に戻って午後父と一緒にお見舞いに行った時はぐったりしていて起き上がりませんでした。


聞いていた話と違う。



お見舞い後、先生からお話がありますとのことで別室にて決断を迫られました。

①このまま入院して病院での治療を続けるか

②退院して自宅から毎日通院してもらい、注射にて栄養補給をするか


直ぐにこの場で結論は出さなくていいので一度持ち帰って家族で話し合って決めてくださいとのことでした。



先生曰く、手術後と手術前で検査結果の数値の変化にさほど大きな変化がなく改善はしているが難しい、体力が落ちてる中で大きな手術にも耐えてくれて、後はごはんさえ食べてくれればもう少し良くなるんですがねとのことでした。



行きの車内では私が居ない間のクーの状態の事について饒舌に語ってくれた父でしたが、帰りの車内は無言でした。

大きすぎるラジオの音と効きすぎな冷房、そして父がポケットティッシュを頻繁に使っていたのが印象でした。


帰ってきても母や妹には何も言わず、皆にはほぼ私の口からの説明となりました。


きっと元気が無かったのは病院が休みで2日間お見舞いに行けなかったから落ち込んじゃったんだよ。

クーちゃんは繊細なさびしんぼうだからね^^

こんな冗談を交えつつ。


私としてはこのまま入院していた方が設備も整っているし、退院はもっと様態が安定してからでもいいと思っていたのですが、翌15日には父が病院から退院させてきました。


帰ってきて玄関に寝かせられたクーは私の知っているクーとはちょっと違っていました。

昨日よりぐったりしていて浮腫も酷くて、そんな姿を見ているのが辛かったです。



その日から父はクーと一緒に玄関で寝起きするようになり、いつも誰かが近くに居てあげる様な暮らしでした。

ご飯をあげるのは手伝ったり、体を返して床ずれしないようにしてあげて、たまにマッサージ。

クーは自分のケージでトイレをするのが嫌いな子だったので、トイレがしたくなるともがいて立とうとするんだよね。

もう立ちあがる体力がないのにその場でするのは相当嫌みたいで、17日の夜中には90度自力で角度を変えていたみたいです。

翌朝、父に

「あれ?俺が寝てる間に変えてくれたんだ」と言われて「え?知らないよ」とい会話がなされたほど。





最初は車酔がかわいそうだから(医療センターまでは片道40分)明日からの通院はさせないと言っていた父も、翌日16日に浮腫が取れていつものすっきりした顔になったクーを見て「もしかしたら」と希望を持ったのか毎日朝一で診察してもらう為に7時半には先行して家を出て8時半に出される受付ノートに名前を書きに行ってました。

そして診察開始の時間までに後続車で犬と介助者を乗せて出発。


私は主に残って留守番だったので一緒に行くことはなかったけど、それも大事な仕事ですからね。



大体いつも10時半前には帰ってきたのでそれからはまたクーちゃん中心の生活。

家族の全員がクーちゃん、クーちゃんだったのでミューちゃんが可哀想だったけど、なんだかんだであの子も解ってたみたいで寝ているクーにちょっかい出すようなことはしませんでした。



一応私の滞在予定期間は18日の夜までだったので

「明日また来るね^^」と伝えて頭を撫でてあげて群馬に帰宅。

翌19日、夕方4時から家族写真撮影のため夫と共に再び実家へ。


到着したタイミングで丁度玄関から母が出てきたので、

「あーもう出発かな?でも約束の時間の10分前だから大丈夫だよね」

なんて思ってたら


「クーちゃんが死んじゃった。」


と告げられました。


しかもほんの数分前。



口は開かないように紐で縛ってあって頭にとこの花瓶には白い菊の花が添えてありました。



日に日にちょっとずつ良くなってると思ってたのに、寝ているお腹は規則正しく上下してて呼吸も全然苦しそうじゃなかったし本当に後はごはんさえちゃんと食べてくれれればもっと良くなると信じていたのにね。



玄関から見た目はガラス玉みたいで全然光がなかった。

早く近くに行ってあげたいのになかなか脱げないサンダルがもどかしかった。



触った体はまだ暖かくて、お腹にかけてあったタオルはまた規則正しく動きそうなのに何度見ても動かなくてやっぱり目はガラス玉で・・・。


「なんで目とじてあげないの?」って弟に聞いたら「もう固まってるから・・・」と言われた。

でもまだ体暖かいし、このままじゃ可愛そうだと思ったので昔聞いた話を思い出して瞼をずっと摩ってあげたらちゃんと閉じさせてあげることが出来ました。

昔話を聞いたときは愛犬といえどそれは無理だなーって思ったけど、全然そんなことなかった。

何の躊躇いもなかった。


せめて安らかな顔で。

瞼が開いてるのと閉じてるとじゃ全然違う。

寝てるみたいないい顔になったよ。



撮影時間を1時間遅らせてもらい事前に掘ってあった穴に埋葬。

脚の悪い祖母以外の全員が立ち会った。


シグマとシャルはケージに入った状態で最後のお別れだったけど、ミューは抱っこされて、シオンは自分からついて来た。


お前分かるのか?おバカだと思ってたけどそんなことなかったんだなー。

そうかそうか。

お前のほうが先だと思ってたのにな、クーとはお前が一番付き合い長かったな。


そんな会話しながらクーちゃんを藁を敷いた上に寝かせてあげてその上にお花。

なるべく顔には直接土がかからない状態にしてあげての埋葬。

埋める直前、父が遺品としてクーの爪を切っていた。





私が帰る前の晩、「樹木葬にしてやりたいからなにかいい花が無いか調べておいて」と父が言ってい。

あと【クドリャフカ】の正しいスペルもよろしく、と。

次に実家に帰った時には石碑と苗木があるのかな。


昨日の段階ではまた手伝う為に火曜の夜から実家に帰るつもりだったけど、理由がなくなってしまったからもうちょっとだけ週末よりになりそう。



撮影後の会食中はなるべくそっちに集中して考えないようにしてたけど、車に戻ってからやっぱり色々思い出して涙が止まらなかった。

何かに集中してないと色々考えちゃう。



でも飼い主や家族がいつまでも悲しんでると魂が雨降り地区に送られてしまうから、泣くのは今日だけにしようと思う。

あと50年位したらまた会えると思うから。

ちょっと次にまた会うまで時間かかるけど、でも20年もしたら先に父が行くと思うwからそれまで先に行って待っててほしい。

それで元気な姿で迎えて欲しい。




クドリャフカ、頑張ったね。

お疲れ様、そしてありがとう。




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