昨日のお約束どおり、今日は英国内でもなにかにつけ話題になっているおちゃめな方を紹介したいと思います。
この方をご存知でしょうか?
この方の名は、リチャード・ブランソンさんといいます。
本名はサー・リチャード・チャールズ・ニコラス・ブランソン(Sir Richard Charles Nicholas Branson)というのですが、この名前の最初についている「サー(Sir)」というのは称号で、2000年にエリザベス女王から「ナイト」の称号を授かって以来、ミスター(Mr.)の代わりに「サー」をつけることが許されているのです。
この方のお仕事はあの「ヴァージンアトランティック航空」をはじめとする、ヴァージン・グループの創始者で今は会長を務められています。
昨日の最後の部分でお話しましたように、この方は大規模なチャリティも行っています。
その団体の名は「ヴァージン・ユナイト」
といい企業や個人から寄付金を集めて、ナイジェリアでのエイズ、マラリア、結核などによる死亡率を下げる活動や、アジア諸国の津波、ありえ以下のハリケーンなどの被災者救済支援の活動を行っています。
そしてこの団体のすばらしいところで、昨日のブログで述べました派手なオークションをして寄付金を集めるという行為だけでなく、実際に現地での活動を行っているところです。
私がいつも思う疑問 ―― お金をいくら集めても人の手を通じて、または発展途上国の政府などを通っていくうちに、何割が末端まで届いているのか、ということにこの団体はある種答えてくれています。
この「ヴァージン・ユナイト」 はアフリカではヘルスワーカーがオートバイで遠隔地の村々を回って、住民たちの健康状態のチェック、薬品の投与などを行なっています。
そして、ヴァージン・グループの持てる人、ネットワークを駆使して大きな成果を発揮しているということです。
またこの「ヴァージン・ユナイト」 では若者のエイズ啓発キャンペーン、ホームレスや貧困な環境にある若者に対するボランティア活動も行っています。
「ヴァージン・ユナイト」
ではの活動報告はこちら(日本語)
です。そしてもし寄付にご興味のある方は、こちら(日本語)
からどうぞ。
さて、リチャード・ブランソンさんのお話に戻ります。
この人はいつも色んなことで話題をふりまいていますが、これは今に始まったことではありません。
彼は、1950年生まれで父親が法廷弁護士という恵まれた中流家庭に生まれ、ストウ・スクールというパブリック・スクールに進学するも、学習障害をもっていたことと関係するのか、勉強にはほとんど興味がなく、スポーツに少しだけ関心を示すような学生でした。
しかしリチャード青年には確固とした自信や信念があったようで、3回も数学の試験に落第していながらこのように断言したそうです。
「僕なら校長先生よりもこの学校をうまく運営してみせる!」
まあ、そんなことをいう子供はたくさんいるのでしょうが、この青年の普通ではないところはここからです。
校長先生にメモにした校則の改定案をを示しながらこんなことを提言したそうです。
「6年生(18歳)には1日あたり2パイント(1.1リットル)までのビールを許可すること」
英国の法律では18歳以上がお酒を飲めることにはなっていますが、パブリック・スクールの校長先生にそれを提案するのはやはり尋常ではありません。
しかしもし校則がそのように改定されたとしてもその恩恵を受けることはありませんでした。
なぜならば彼は16歳でその学校を中退してしまったのです。
当時の校長先生は彼のことを大金持ちになるか、刑務所に入るかのどちらかだろうと話したそうです。少なくともいいほうの予言があたってよかったですよね。もっとも21歳のときに税金の不払いでちょっとしたトラブルはあったようですが。
その税金のトラブルを起こすことになったのは、彼が20歳のときに立ち上げた現在のヴァージン・グループの原型となる、ヴァージン・レコードという会社になります。
そもそも彼が取り組んだ最初の事業は若干16歳で創刊した「ステューデント」という雑誌でした。実は彼はこの前に、セキセイインコの飼育とクリスマスツリーの育成、ふたつの事業に失敗しています。しかしながらこの雑誌もあまりうまく立ち行かなかったようです。
彼の企業家としての道のりを書いたこんなマンガがありました。
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ポピュラー音楽の知識が乏しかったにも関わらず、新たに取り組んだのが、レコードのメールオーダーの会社でした。そして、自分宛に届けられる代金支払いの小切手(英国では個人でも支払いに小切手をよく利用します)が自宅の郵便受けにあふれるのを見て、事業に成功したことを実感したそうです。
ブランソン氏のヴァージン・レコード店出店の理由は「郵便局のストライキがメールオーダー事業をぶち壊してくれたため」というコメントがあります。
確かに英国では時折郵便局がストライキを起こすことがありますので、一見もっともらしい理由に思われますが、私は、これはブランソン流の機転のきいたコメントではないかと思っています。
このころに上述しました脱税の問題がありました。税の抜け道を見つけようとして税金の問題が発生しましたが、彼のお母さまが家を抵当に入れてその支払いを助けてくれたようです!
その後も前向きに事業に打ち込む彼は、当時の有名アーティストとの契約を増やし、事業を拡大し続け1984年にはヴァージン・アトランティック航空を設立するにいたります。
そしてその勢いはとどまるところを知らず、ヴァージン・トレインズ(鉄道)、ヴァージン・インターネット、ヴァージン・コーラ、ヴァージンブライドなどなど多くのヴァージン・ブランドを生み出しすことになるのです。
ヴァージン・グループではカリスマ的な顔を持つ、このリチャード・ブランソン氏が広告塔となっています。
1991年には「パシフィック・フライヤー号」という熱気球で、熱気球メーカー社長パー・リンドストランド氏をパイロットに世界ではじめて太平洋横断に成功しました。
富士山上空も飛行しました。
そして次の4つの世界記録も打ち立てました。
① 飛行した最大の熱気球(直径52m、高さ68m)、
② 最長飛行記録(10,878km)、
③ 最長連続飛行時間(46時間6分)、
④ 速度記録(時速385km)
彼にとってはビジネスも人生も冒険といった感じなのでしょうか。大企業の代表でありながらもいつも冒険することをやめません。
私も日本に会社を持っておりましていろんな経営者の方とお話しする機会があるのですが、ある大企業の社長さんは「経営者たるもの、車の運転などをするべからず」とおっしゃっていらっしゃいました。
なぜならば社員、株主、取引先などに責任があり、経営者はその責任に応えるため、車の運転などを始め危険なことをしてリスクをおかすべきではない、というご意見で「なるほどな~」とお話をお伺いしたものですが、まぁ、私はお抱え運転手を雇えるほどの会社社長ではありませんでしたので、毎日自分で運転をしてあちらこちら走り回っておりました。^^
しかし、このリチャード・ブロンソン氏にかかっては、どんな枠組みも当てはまらないようです。彼ならば
「気球だったらいいでしょ!?」
とウインクして見せるでしょう。
彼はどんな逆境の中でも常に、
「ものごとを前向きにとらえ」
「仲間や家族のことを思い」
そして
「既存の考えにとらわれない自由な発想で挑む」
とのことで、逆境ですら最高のチャンスに変えてきたそうです。そして数々の成功はその結果として彼の歩いてきた道の後ろに生まれたものなのですね。
そんな彼によってかかれた自伝が以下の本です。
リチャード・ブランソンさん自身によってきれいごとだけではない、失敗や上の脱税の話なども織り交ぜられたオープンに書かれた自伝です。
- ヴァージン―僕は世界を変えていく/リチャード ブランソン
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2004年に彼は宇宙旅行を企画する「ヴァージン・ギャランティック社」も立ち上げましたので、皆さんが宇宙旅行できる日も近いかも。