医学部挑戦記 & 医療・Science情報
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宇宙で華麗な仮面舞踏会? 合体途上の2つの銀河

舞踏会用の華麗な赤い仮面をつけた神秘的な青い目のように見える、合体途上にある2つの銀河の鮮やかな画像を、米航空宇宙局(NASA)が26日公表した。赤外線宇宙望遠鏡スピッツァーの観測データを基に、星は青、ちりや雲を赤く着色した。
 2つの銀河は、地球からおおいぬ座の方角に約1億4000万光年離れた宇宙空間にある。約4000万年前に互いの重力で引き寄せ合い始め、あと5億年ほどで1つに融合するとみられるという。
 「仮面」を縁取るビーズに見えるのは、銀河の相互作用でできたちりの塊。中では赤ちゃん星が次々に生まれている。スピッツァーは、星に温められてちりが発した赤外線をとらえることで、ビーズの精巧な並び方を初めて明らかにした。

ginnga

欧州CL準決勝、バルセロナが先勝

ji-nyo


サッカーの欧州チャンピオンズリーグは18日、準決勝第1戦を行い、バルセロナ(スペイン)が敵地でACミラン(イタリア)に1―0で先勝した。
バルセロナは後半12分、ロナウジーニョの絶妙なパスからジュリがゴールを決めた。
 ロナウジーニョは試合後、「偉大なチームに素晴らしい勝利を挙げた。しかし、勝負はまだ終わっていない。とてもタフな90分間がまだ残っている」と気を引き締めた。第2戦は4月26日に行われる。
 19日には、もう一つの準決勝アーセナル(イングランド)―ビジャレアル(スペイン)戦の第1戦が行われる。



彗星、地球に大接近

長い尾をたなびかせながら、夜空に輝く天体。ほうき星とも呼ばれる彗星です。われわれの太陽系には、惑星以外にも小さな天体がたくさんありますが、中でも彗星は、とても変わり者です。大きく歪んだ軌道をもち、太陽に近づいたり、遠ざかったりします。もともと氷が主成分の天体ですから、太陽に近づいた時には、氷が融け出します。そのときに氷に含まれていたガスやちりが、太陽の影響で、太陽と反対側に流れ出していくように見えます。これがほうき星の尾の正体です。  また、彗星が太陽に近づくタイミングによっては、地球にも近づくこともあります。地球に近づけば、尾を引かないような小さな彗星でも、明るく見えます。4月から5月にかけて、そんな彗星のひとつが地球に近づき、明るくなると予想されています。シュヴァスマン・ヴァハマン第3彗星(SW3)という彗星で、5月12日には地球に0.08天文単位(※)にまで大接近し、肉眼でも見えるかもしれないと期待されています。  SW3彗星は、1930年にドイツのシュヴァスマンとヴァハマンによって発見されたかなり小さめの彗星です。約5.4年で太陽を一周しますが、歪んだ軌道のため、外側は木星の軌道付近まで達しますが、近づくときには地球の軌道よりも内側にまでやってきます。そのため、彗星が帰ってくるタイミングによっては、地球にも大接近します。1930年の発見時にも、地球に0.06天文単位にまで接近していました。ただタイミングが合わないと、彗星そのものが小さいこともあって、なかなか見えません。そのため1979年に再発見されるまで実に半世紀にわたって、行方不明となっていた謎の彗星なのです。  この彗星の謎は、それだけではありません。1995年の回帰時には急激に明るさが上昇し、その後、彗星本体である核が3つに分裂しているのが観測されました。彗星本体である核の主成分は氷ですし、太陽に近づくたびに蒸発してやせ細っていきますから、分裂というのは彗星でしばしば見られます。しかし、分裂の仕方も様々で、すべての破片が消失してしまうような例から、いくつかの核がそれぞれ独立の彗星となって輝き続ける例まで様々です。SW3彗星の場合、どうもその中間タイプらしく、2000年の回帰時には、3つのうち2つが生き残っていた他、その後に分裂してできたらしい新しい破片も発見されました。つまり破片が破片を生むという具合に、どんどん分裂を繰り返しているらしく、最大の核(C核)を除いて、どれがどの破片か対応がわからなくなっているような状況です。もしかすると、今回も皆さんが眺めている最中に再度、分裂するかもしれません。  SW3彗星が地球最接近を迎える5月中旬頃には、月明かりがあるので、彗星のようなぼーっとした天体は見えにくくなります。できれば4月末から5月の連休頃、月明かりのない頃に、夜空のきれいな場所で探してみましょう。東の空から上ってくる一等星・織姫星(こと座のベガ)と頭上に輝く一等星・うしかい座のアークトゥルスの間を、双眼鏡で眺めてみてください。最大のC核であっても、もともと小さい彗星なので壮麗な尾は期待できませんが、それでもぼーっとした雲のような彗星の姿を眺めることができるでしょう。夜空がきれいな場所であれば、肉眼でも見えるかもしれません。  余裕があれば、大接近の5月中旬の頃にも眺めてほしいものです。なにしろ2時間ほどでお月様一個分の距離を移動しますから、双眼鏡で見ていると、じわじわと彗星が東に動いていく様子がわかます。まさに宇宙がダイナミックに動いていることが体感できるでしょう。ぜひ、自分の目で、この謎に満ちた彗星を眺めてみてください。なお、国立天文台でも、連休中に「謎の彗星見えるかな?」キャンペーンを行いますので、参加してみてください。

※注:1天文単位とは、太陽と地球との間の平均距離で、1億5千万kmです。


ゆで卵ジャンプ、とらえた=理論予測通り実証-慶応大教授☆みんなもしてみては?

tamago

ゆで卵を水平に回転させるとやがて起き上がり、ジャンプする-。慶応大学の下村裕教授(力学)らが数式で予測した現象を、実験で実証することに成功した。論文は12日付の英王立協会紀要誌電子版に掲載された。
 ゆで卵を回転させるとなぜ起き上がるのかは長年の謎とされていたが、下村教授らは2002年、卵が回転すると摩擦力の影響で重心が上に移動して起き上がる仕組みを数式を使って解明。昨年には、起き上がり時の微細な振動で生じる力が一時的に重力と等しくなり、わずかにジャンプすると予測した。 

「貢献度」がすべてでいいのか?日本代表対エクアドル代表

■エクアドルにとっての日本戦とは


エクアドルという国は、日本から最も遠い国のひとつである。何しろ日本から見て、ちょうど地球の反対側にあるのだ。今の季節は雨季で蒸し暑く、時差はマイナス14時間。しかも両国を結ぶ直行便がないため、旅人は気が遠くなるくらいの移動時間を強いられる。今回、来日したエクアドル代表も、待ち時間を含めておよそ50時間の旅程だったそうだ。そこで私は疑問に思うのである。果たしてエクアドルにとり、そこまで大変な思いをして日本とのアウエー戦に臨むことに、どれだけの意義があったのだろうか。  今回がワールドカップ出場2回目となるエクアドル。グループリーグで対戦するのは、順番にポーランド、コスタリカ、そして開催国のドイツである。ヨーロッパが2チームに、中米が1チーム。ゆえに彼らは今年に入って、1月25日にホームでホンジュラス(1-0)、3月1日にアウエーでオランダ(0-1)とテストマッチを行い、大会直前の5月24日にコロンビアと、28日にスロバキアと(おそらく開催国ドイツで)対戦するのは、非常にまっとうなマッチメークであるといえよう。問題は、この日本戦である。エクアドルの立場になって考えれば、このタイミングでわざわざ地球の反対側まで移動して日本と対戦することについては、誰もが少なからず違和感を覚えることだろう。  結局のところ、彼らの(というよりエクアドルサッカー協会の)主たる目的が、日本と対戦することで得られる、いくらかのギャランティーであったことは間違いないだろう。こうした話は、何もエクアドルに限らず、南米各国に共通するものである。 去る3月1日、ブラジル代表がマイナス15度とも言われたモスクワでロシア代表と親善試合を行ったが、背景にはロシアン・マネーの存在もうわさされているし、何年か前にアルゼンチン代表がリビア代表とのアウエー戦に「招かれた」のも、似たような理由によるものだった(ちなみにこの試合では、カダフィ大佐の息子もプレーしている)。  強くて美しい南米サッカーは、その一方で、経済的な困難というものを宿命的に担わされている。したがって、当然ながら選手たちの海外志向は強く、ナショナルチームもまた、自分たちの強化に直結しない(時には阻害しかねない)マッチメークにも応じなければならないのである。そう考えると、今回のエクアドルが1.5軍以下のメンバーしかそろえられなかったことについて、私は彼らを責める気には到底なれない。むしろ日本代表とそのサポーターは、本大会を直前に控えて南米のチームと戦える幸運をかみしめながら、会場となる大分・九州石油ドームのピッチに臨むべきであろう。 ■システムよりも選手、という判断  そんなわけで日本代表である。 4枚のディフェンスラインがズタズタに切り裂かれた、ドルトムントでのボスニア・ヘルツェゴビナ戦から、はや1カ月。あらためて課題が浮き彫りになったという意味では(この3年半、何をやってきたのかという問題は置いといて)、あの試合はそれなりに意義があった。そうなると当然、今回のエクアドル戦では「4バックの修正」というのが、重要なテーマのひとつとなる――というのが、現場で取材する人間の一致した意見だったし、当のジーコ自身も、そのように考えていた。と、こ、ろ、が……。 「昨日、遠藤と話して、ももの裏(の筋肉に)張りがあるということで、無理をしないようにという判断をした。彼が入ったら4-4-2になることを考えていたが、今回は外れてしまったので坪井を入れての3バックにした」  試合前日の会見で指揮官は、4バックの構想をあっさり却下したことを明らかにした。確かに昨年のアジア最終予選でも、アウエーのイラン戦に際して「田中(誠)が出られないので4バックにする」という前例はあるにはあった。だが今回の場合は、守備的MFの遠藤がリタイアしたから3バックにする、というのだから分からない。 本来、このチームにおいて守備的MFは、最も層が厚いはずだ。遠藤がダメなら、パッサーとしても、あるいはマーキングでもセットプレーでも、何ら遜色(そんしょく)なくプレーできる阿部がいるではないか。あるいは小野をボランチにして、長谷部を2列目に起用してもいい。むしろそうした方が、この時期のテストとしては有意義であるとさえいえよう。  しかしながらジーコには、そうした発想が皆無であった。「貢献度の高い」遠藤がダメなら、4-4-2も却下。DFに坪井を入れて3-5-2なのである。 思えばジーコは常々「私には、3バックも4バックも特に違いはないと思っている」と語っていたが、今さらながらにその真意が理解できたように思う。要するに、この人は本当に「人ありき」なのだ。その時々におけるメンバーの中から、自身の中での「貢献度」による序列に基づいた上位11人を選んで、ピッチに送り出す。その結果としての、3-5-2や4-4-2や3-6-1なのである。 果たして、これを「臨機応変」と見るか、それとも「行き当たりばったり」と見るべきか。いや、そんなことを考えること自体、無意味であろう。すべては結果オーライ。実際のところ、この試合もまた、いかにもジーコ・ジャパンらしい結果に終わった。

当初、あまり見どころが感じられなかった今回の代表戦。しかし試合が始まってみると、個々の選手たちは随所で見せ場を作り、皆が生き生きとプレーしていた。

 たとえば、所属するガンバ大阪ではスタメンの機会が限られていたキャプテン宮本。この日は何度かパスミスがあったものの、それ以外は慣れ親しんだ3バックの真ん中でキッチリとラインを統率して見せた。あるいは、昨年9月のホンジュラス戦以来の登場となった玉田。名古屋グランパスに移籍した今季、得点したのはPKによる1点のみで、よくまあジーコが代表に呼び戻したものだと感心していた。しかし、この試合では久保とのコンビネーションを見事に復活させ、後半20分には小野のクロスに胸トラップから反転して、目の覚めるようなシュートを放つなど、復活に向けて大いにアピールしていた。

 とはいえ、今日の試合は何といっても三都主であろう。前回のボスニア戦を受けてのコラムで、私はこの人のディフェンスについて「思い出すだけで表情が曇るばかり」と批判した。だが、攻撃時における三都主のうまさとすごみというものは、やはり日本にとって得難い武器であることを、今日の試合であらためて実感した次第。エクアドル代表のスアレス監督も「彼はマークに長けていて、積極的に攻め上がることで、日本のプレーに幅を与えていた」と、もろ手を挙げて称賛していたくらいである。

 とどのつまり、今日のエクアドル戦では、4バックにおける課題というものは何ひとつ解決されなかった。それでも、たまさか遠藤の離脱という「ケガの功名」で3バックとなったことで(そして今回のエクアドルが、あまり積極的に攻めるチームではなかったこともあって)、大半の選手たちが水を得た魚のように生き生きプレーすることができた。
「終わりよければ、すべてよし」――現体制の日本代表を見ていて、これまで何度となく浮上したフレーズが、あらためてよみがえってくる。またしてもジーコ・ジャパンは、根本的な部分での改善がなされないまま、それでもスコア上の結果を残すことで人々の祝福を受けることになったのである。もちろん、本質的な問題は先送りされたままだし、小野が完全な復調を遂げていないことについては、今も気掛かりではあるのだけれど……。

 とはいえ、さすがにジーコも、今日の試合から大きな教訓を得たものと信じたい。それは、現在のチームは3バックのシステムこそが、最も安定しているということである。もちろん4バックのオプションを残しながらも、試合の入り方としては3-5-2が最も安定しているという事実を指揮官が自覚したならば、今日の試合は(「対南米初勝利」というレトリックなど忘れてしまうくらいに)意義があったといえるのではないか。



 さて、今日の試合で唯一カタルシスを感じるシーンを挙げるなら、私にとってのそれは2トップが交代した後半32分以降であった。確かに、前線のさまざまなコンビネーションの可能性を試すことなく、一気に2トップを総取り替えしてしまうあたりが「ジーコの真骨頂」さく裂、という観はあった。だが、それ以上に、久保と玉田に代わって投入された巻と佐藤が示した「与えられた時間の中で存分にアピールしよう」という気概こそ、今日の試合で最も見る者の心を揺さぶる瞬間であったと確信する。

 そして後半40分。待望の日本の先制点は、佐藤の左足によってもたらされる。小笠原のスルーパスから、左サイドのスペースに走り込んだ三都主がゴール前にグラウンダーのクロスを供給。ニアに飛び込んできた佐藤が左足インサイドで軽く合わせ、ボールはゴール右隅に吸い込まれていく。ゴールを決めた直後、フィオレンティーナ時代のバティストゥータのように、コーナーフラッグでポーズをとる佐藤。「あれ、こんなキャラだっけ?」とも思ったが、あの瞬間の彼の心境を想像すると「無理もない」とも思った。

「本大会まで、もう時間がない。一試合、一試合を大事にしていきたい……」
 最近の選手たちのコメントを聞くと、このようなコメントをよく耳にする。だが、監督から「チームへの貢献度が高い」と評価されている選手と、そうでもない選手とでは、自ずと言葉の重みが違ってくるのは当然であろう。とりわけ、出場機会が極めて限られている背番号30番台の選手にしてみれば、どんなに自分が結果を出したところで、もはや「貢献度」を積み重ねることなどかなわぬ現状に、どんな思いを抱いていることか。

 そうした現状を最も身に染みて理解しているのが、今日の決勝ゴールを挙げた佐藤なのだと思う。彼は今日の活躍におごるどころか、むしろ冷静に現状を見つめながら、黒山の人だかりとなったミックスゾーンでこう語っていた。
「最低限の結果は出したけれども、まだまだFWでは一番下。(所属の)広島に戻って、とにかく結果を出すしかないですね。とにかく状況に満足せず、もっと上を目指したい。代表には素晴らしい選手がたくさんいるので、その中になんとか入りたいです」

 おそらく現状では、ジーコのFWのファーストチョイスは久保なのだろう。そして高原、現在けがをしている柳沢、さらには鈴木、大黒、玉田も、23人枠に近い選手であると思われる。この序列はもちろん、ストライカーとしてのタイプやポテンシャルに加えて、ジーコ体制下における「貢献度」も大きく作用している。私はいまだに、ジーコのいう「貢献度」というのがよく分からないのだが、それを「経験値」と置き換えるなら、ポジションによっては「あり」なのだと思う。とはいえ、DFならともかく、FWに「貢献度」(あるいは、そのチームにおける「経験値」)を求めるのは、どうかとも思う。

 極論するなら、FWというポジションは「水もの」的な要素を多分に含んでいる。短期決戦であるワールドカップならば、なおさらであろう。ゲルト・ミュラーやロナウドを例外とすれば、歴代の大会得点王は大半が「最大瞬間風速」的にゴールを量産している。1982年スペイン大会のロッシや、90年イタリア大会のスキラッチらは、大会に出場していたかどうかさえも怪しい立場にいたストライカーであった。そうして考えるならば、いかにFWが「水もの」であるか、容易に理解できるであろう。
 もちろん私は、佐藤寿人というストライカーが「水もの」であると言うつもりは毛頭ない。そうではくて、少なくとも現時点において、佐藤は日本代表のFWの中で最もゴールのにおいがする選手の一人である、ということを強調しておきたいのである。そして、こういうプレーヤーこそが、実は本大会で大化けする可能性を秘めていると確信する。
 その点について、ジーコはどう考えているのだろう。代表FWのポテンシャルが「貢献度」の一言で片付けられるとしたら、あまりにも悲しく理不尽な話ではないか。

■ストライカーとは「水もの」である

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