もと女子アナがアメリカで起業、結婚、子育て、そして現在エンプティネスターズ(空の巣夫婦)へ突入子供の結婚に初孫誕生....まだまだ人生の旅は続きます♡アメリカ、ノースカロライナ州在住、ゴティA子(EIKO)のプライベート日記
My Dear Host Mother, Hilda went to heaven just a few days ago. She was my host mother who was with me at the start in the US (1989) and made my American life possible !! She taught me about God, understood me when I could not speak English and listened to me when I married Jorge and supported me when I had my children…. She was truly my American mother.I miss her so much but I know she is in heaven in peace. Thank you Hilda - you came to my life and I will never forget your love and kindness🩷#hostmother #love #mother #america #life #peace #missher私の大切なアメリカのお母さん、ヒルダが数日前に天国に召されました。私に神様の存在を教えてくれ、アメリカでの生活のスタート地点からずっとずっと支えてくれたヒルダ。一緒に日本に行った時も含め、楽しかった思い出ばかりです。最後は認知症で辛かったと思いますが、今は平安の中にいると思います。どうぞ安らかにおやすみください。いつまでもヒルダから受けた愛は忘れません🩷
久しぶりにノースカロライナの自宅に帰り孫のエリーと遊ぶことができました。エリーはもうすぐ11ヶ月お友達の春花ちゃんは17ヶ月一緒にプカプカ浮いて楽しそう💕💕のーんびり❣️気持ちいいなー😊春ちゃん ちょっとエリーが気になるみたい⁉️(^^)エリーは自分の世界に。。。
バハマの島ボートでクルージング 最後の夜はいつも恒例のホワイトナイトデー❤️今年も長い船での旅は嫌だなーと思っていたけれど一度も大きな故障はなかったし…嬉しそうな夫キャプテン ホルヘ彼はボートを運転している時が一番幸せでゴルフよりボートらしい。。。(私は違うけど。。。)友人のビルもキャプテンを助けて最高のクルーでした♪ありがとう😊さて、ここからが今日の本題これは本当の話ですがクルーザー(ヨット)にはバナナは 厳禁‼️‼️‼️‼️絶対に持ってきてはいけないとベテランのキャプテンに言われたのが3年前のこのバハマツアーの時それまで知らないでバナナをボートに持ち込んでいたと言ったら本気で怒られました確かにしっかりボートに問題発生したし。。いつも何かが起こって旅の途中で修理とか。。。。でも今回はバナナは誰も持ってこなかったのであー問題もなくて良かったな〜と私だけは思っていたのでした。これは昔からの言い伝えらしく。。。。調べてみると。。。バナナを運ぶような船は漁をしない。この話の始まりは1700年代のカリブ海まで遡る。当時の木造帆船はバナナが腐る前にバナナを届けなければならない。漁師は快速の船で曳き縄をしなければならないからという。バナナが沈没の原因となったという話もある。この迷信が生まれてから人々はバナナを積まなくなったのだと言われています。釣りを目的としている場合は不漁になってしまうし、レジャー等であっても船にバナナを持ち込むのは、本当に縁起が悪いとして『バナナはダメ!』とほとんどのキャプテンに言われ続け、みんな避けているらしいのです。と言うわけでバナナはボートの旅には厳禁なので〜すところが、、、実は、昨日家に帰ってから気がついたのですが私の持って行った(食べなかったけれど)オートミールをよく見ると『バナナ味』と書いてあるではないですか!!それを友人夫婦が見つけて「えいこ〜〜〜〜〜!!!バナナ、ダメって言ったでしょ〜〜〜??」え???そこまで???オートミールの味がバナナだって言うだけなんですけど??『これだって”バナナ”だよ〜!』私がコロナで苦しんでからこのボートツアーに途中参加したのですが私が到着した日の夜中に実はボートのパイプが壊れて修理したらしい。。。。私が朝まで寝ていて知らなかったバナナの力、恐ろしや〜
確かにバハマの海は綺麗で思わず水着で飛び込みたくなる!でも要注意!と思い、しっかり日焼け止めを顔にも体にも塗って帽子も被りこれで大丈夫!と思っていたら〜あ〜〜〜なんということか今年は例年以上に真っ黒に日焼けしてしまったのです!!!!!私のようなアジア人の肌って思いっきり、日焼けしてしまうのですよ〜(とは言っても、日本人の中では沖縄・奄美大島に祖父母を持つ私は最初から色黒の方だけれど・・・・)夫も含めて白人は焼けても赤くなって数日するとすぐにまた白く戻るし(ずるい!と思ってしまう。。。)黒人は最初からその色だから日焼けしても全くわからない。。。これは私にはよくわからない。今度黒人の友人にあったら聞いてみようっと。でも、なぜ??なんで、日焼け止めをしっかり塗って帽子もかぶっているのにしっかり真っ黒な顔になってしまうのだろうか???ちょっとお高いのですがこの人気の日焼け止めをちゃんと山ほど買って毎日、ちゃんと、た〜っぷり塗っていたのにも関わらず???なんで〜???って感じです。しかも今年は『しみとりレイザー治療』で(うちの近くの韓国人の女医さんで、彼女のお肌は美しいのだわ〜)せっかく頑張ったのに ‼️‼️‼️😱😱😱(*私の人生初の大金を支払ってのお肌ケア)この『バハマの海』の2週間でもとのもくあみ 状態。。。💦💦💦私は真っ黒に日焼けしてしまったのでありました〜あ〜シミも復活するな〜これって!😭😭😭この美しい女医先生が言うには。。。。『もし日焼けしそうになったら日焼け止めをた〜っぷり塗って、顔全体を隠すような大きなマスクをしてつばのひろ〜い大きな帽子をかぶってくださいね』😅こんなに暑いのにマスクなんて〜〜〜〜〜😨😨😨絶対!無理!というわけで、もうすぐ日本に行くのですが「どうしたの〜〜〜?真っ黒だね〜!!お肌に悪いよ〜!!」と、友人たちに言われること間違いなし!あ〜あ〜後悔、後悔。。。。泣ちなみに、水着だけで泳いだのは2週間のうちたった1日だけあとはちゃんと、日焼けしないように長袖のUPF50のシャツも着ていました!!なのに〜〜〜〜〜〜
海の上の生活なんて嫌だなーと思っていたけど朝起きて目の前に、こんな真っ青な海があると感激するやっぱり海が大好き2週間のバハマの島々を回る旅も今年で3年目インターマリーンというディーラーからボートを購入した人たちがグループで旅をする今年は全部で24のボートが一緒私たちのボートは日本ではクルーザー?と呼ぶのかもしれないけれどホテルと違って、場所が変わっても(マリーナに夜はステイ)ボートの中に泊まるから荷物をパックしたり移動しなくていいのは確かに楽です。*3部屋あって、友人2夫婦と私たち6人ステイ〜それぞれの部屋にシャワーとトイレもあり。3年目ともなると、キャプテン(うちの夫)も友人のビルもボートの運転にも慣れて私もライン(ロープのこと)とかフェンダーとか、クルーのように手伝えるようになったしようやく、ボートの旅がすこ〜し好きになってきた感じ(実は今までは、夫の趣味につきあわされてると、いつもボートの長旅は嫌いだと喚いていたのです。。。)今回はコロナになったおかげで途中の島まで、飛行機で行って合流できたのも、ラッキーだったかな。でも、本当にカリブの海は真っ青で白い砂浜が目に眩しく。。。誰もいないビーチでのんびりできて最高の気分😊💕でした!*夫のボートにいやいや付き合っていた過去2年の旅と比べて今回は、楽しかった〜でも2週間が限界です。明日は家に帰れる。。。。洗濯したい!日本食食べたい!やっぱり家が一番かな〜〜〜
2023年6月28日義理のお姉さんが亡くなった享年92歳最後まで自分の歳を隠していたので、何歳だったのか亡くなって初めて知った最後の最後まで人前では綺麗にお化粧をしてきちんと背筋を伸ばした気品あるレディーでしたそして、なんと前日の6月27日がフィフィとドミンゴの結婚66周年記念日だったらしいご主人のドミンゴは2歳年下の90歳二人はずっと仲の良いおしどり夫婦でした💕66年目の結婚記念日を待ってから天国に行くなんて二人は本当に最後までロマンチックな素敵な夫婦でしたうちの夫は60歳なんで、32歳も歳が離れているかって?それは夫の父親と義理のお姉さんの父親は同じ人だけれど、お父さんの最初の奥さんの子供がお姉さんで、夫は二番目の奥さんの子供だったからつまり、ハーフシスター?このお姉さん、フィフィは本当に芯のある強い人でした。太陽のような存在!みんな、女神のように彼女を慕い、彼女の言うことには絶対服従でも、大体は彼女の言うことが正しくて本当に素晴らしい人でした。キューバからスペインに家族を連れて逃避して、数年後にアメリカに移住全く何もないところから大学でのマスター、そして博士課程までやり直し、学校の先生として何年間も勤め上げ、生徒たちや親たちにものすごく尊敬されていました。私が覚えているフィフィはうちの子供たちが小さい時に彼女の家に遊びに行った時お皿いっぱいの豆のスープを目の前にしてモジモジしている子供たちに『このスープを全部食べなければ、絶対に席を立ってはならない!』と言ったこと!そして言ったことは実行する彼女。うちの子供たちは、自分の家庭以外でこんなに厳しく言われたことがないらしく今でも、この話は語り継がれています。泣きながらスープを食べたこと!(笑)私たちが結婚した時、夫のお母さんはキューバにいて来られなかったし、父親は亡くなったばかりで夫側の両親の代わりに結婚式にこの義理のお姉さん(フィフィ)とご主人のドミンゴそして子供たち3人(ミンゴ、メニー、ぺぺ)が来てくれました!今でも、一人っ子の夫にとってこの3人はまるで兄弟のように仲がいいコネチカット州に住んでいるけれど、いつも何かと連絡を取り合っています夫は彼らにとって(夫よりも年上だけれど)おじさん!そして夫にとって彼らは甥(おい)の面白い関係で、いつも説明するときに面倒くさいけれど、とにかくこの義理のお姉さん、FIFIがいてくれたおかげで今の私たちがあるのだな〜と今回、お葬式に行ってすごくお姉さんの存在の大切さをしみじみと感じました。。。Obituary information for Josefina del Carmen AstiasaranView Josefina del Carmen Astiasaran's obituary, contribute to their memorial, see their funeral service details, and more.www.newingtonmemorial.comちょうどヨーロッパ旅行に行く直前にお姉さんがまだ少し元気があるうちに最後にお会いしておいてよかった。。。フィフィ、いろいろありがとうございました天国に行っても見守っていてくださいね、私たちファミリーのことちなみに今まで自分が死んだら。。。と考えたことなかったけれど今回初めて真剣に思ったことがあるアメリカのノースカロライナのどこかにお墓を買っておこうって火葬されてそこに眠るのもいいかなーってフィフィがみんなに暖かく天国に送られるのを見て素敵な真新しいお墓を見てそんな気持ちになった。。。
スペインのマドリードに戻ってきてレンタカーを返却あとはホテルに戻って、最後に会社とかにお土産も買ってディナーに出かけて。。。。明日は早朝の飛行機でアメリカへ帰るぞ〜!ここまで、3週間近く、何の大きな問題もなくやってきた『予定のないヨーロッパの旅』ところが〜ここで大問題に遭遇したのです。道を歩いていたら目の前から誰かがぶつかってきて痛い! だれ?突然ハンドバッグが開いていることに気がつき。あれ?変だな〜?と思いきや、あ!ない!ない!私の財布がない!パスポートも全部盗まれたと思い、横を歩いていた(はずの?)うちの夫にそれを言うやいなや。彼が全く予想もしなかった方向に走り出していた目の前の2人の女性が逆の方向を指差して「あっちに、スリは走っていった!」と言っている一体何がどうなっているのやら???と思っているうちに私は頭の中、真っ白だし、夫はどこかに消えてしまうし道の真ん中にボケ〜と立ち尽くしていた私そこに、数十代の白バイとパトカーがやってきて私を取り囲み、何があったのか?と聞いてきた最初はスペイン語で!私がスペイン語だと、しどろもどろだと気がつくと英語に変えてくれたその時、初めて横にバーガーキングのお店があることに私が気がつき夫はなぜか地下のトイレにいるという私はよくわけがわからないままに地下のトイレ、しかも女性トイレの前へ連れて行かれたそこに夫がいて警察と何やら話し込んでいるどうやら彼のキューバ的直感で(やはり危険な国からやってきた人はスパイやスリの発見ができるんだ!と、夫の隠れた能力を再発見日本のようは安全な国からやってきた私には想像もつかないけれど)私にぶつかってきた人間を察知し、ただひたすら追いかけてトイレに隠れていた女性を捕まえ、トイレのタンクの底に沈んでいた私のお財布を見つけたらしい奇跡的だ!ただし、財布の中身は、もうなくなっていたらしい(大金といえば、大金が入っていた、日本円にして30万円ぐらい〜それがUS $ &EURO で。。。。ショック!)でも、不幸中の幸いだったのかもしれない。。だってパスポートとクレジットカードは別の財布に入れていたので本当に取られたのは現金だけだったし、何しろ怪我もせず、命に関わるような危険はなかったし。。。警察に「あなたは刑事ですか?警察関係者か?」と聞かれてたという夫。。。これには笑ってしまったそう思われるほど、彼の行動はプロ的だったのであるそれから私と夫はなぜか覆面パトカーに乗せられて警察署に連れてゆかれ2時間も事情聴取を取られスペイン語で、分厚い調書のコピーまで渡されて無罪放免となったわけだが??あれ?私たちは被害者なのになぜ、私たちが捕まって、??本当のスリはどうなったのだ??どうやらその女性は常習犯でしかも数人のグループで行動しているらしいマドリードでは日常茶飯事のため覆面の警察官もたくさん道を見張っているらしいのだがあまりにもその数が多くて全部は取り締れきれないらしいちなみに私に指差して別の方向に行かせようとした女性たちもスリの一味だったらしいおまけに、この女性たちはボリビアあたりから人身売買で買われてきた女性たちでロシアンマフィアに捕まっていて逃げられないらしいそんな辛い映画みたいな話がこの世界に本当に起こっていることを目の当たりにし、今度はなぜか夫が落ち込んでしまった。。。その女性をトイレで追い詰めて死にそうなぐらい脅迫してしまったことを。。。。でも、悪いことをしたのは、彼女なんだから罰は受けなければならない、いくら彼女たちが無理やり『スリ』をさせられているにしても。。。この世の中の矛盾と自分達に何もできない無力感おまけに現金は無くすわ、最後の楽しい1日は台無しになるわ。。。散々な最後のマドリードでの体験でした。そして今日ばかりは夫がスペイン語が母国語でよかったな〜と思ったのでした。私にとってのヒーロー、スーパーマンのような夫の活躍にちょっと彼を見直したのでしたでも、どうせなら、現金を取られる前にその女性を捕まえて欲しかったな〜苦笑な〜んて(彼には言わないけど。。。ボケっとしていてスリにあった私が悪いと言われそうだし)とにかく!*ヨーロッパを旅する予定の皆様、どうぞ『スリ』には十分お気をつけくださいね。
夫の夢というのは、それこそ、『果てしなく.....』『ポルトガルの南端まで行ったら今度はスペインの南海岸をぐるっと回りフランスまで〜そこまで続けたい、6月末までは。。。』まじですか〜??という私にとっては恐ろしく長い旅の予定だったのですが、ちょうど都合の良いことに(私にとっては!)いろいろと夫の会社や娘の就職、引っ越しの件でアメリカの方でやらなければならないことが次々と出てきて。。。急遽、リスボンからマドリッドに戻り、車を返却してアメリカに帰ることになりました(やった〜)そろそろ、私は、この「予定のない旅」に疲れてきていたのでした。やっぱり、ず〜っと車の横で、今日はどこに行く?何食べる?どこを観光する?これを続けていたら、疲れ果てるに決まっていると思いますよ。(夫にはこの気持ちがわかっていないのだ!)ところで、ポルトとリスボンのダウンタウンで見つけたこのおもちゃ屋さんのようなお店、ここは面白かったのでご紹介します。絶対にキャンディーショップだと思って入ったらなんと!シーフードの缶詰屋さんだったこんなに可愛いパッケージで売っていてそれぞれの生まれた年に何があったか、なんて書いてある缶詰屋リスボンとかポルトーとか書いてある地名の缶詰本当にこのパッケージに魅せられて買ってしまった感じです実はまだ食べてないけれど、美味しいといいな〜日本へのお土産についつい書いすぎてしまいました〜笑というわけで、最後のポルトガルのリスボンからスペインのマドリードまでのドライブは本当に計画なしでドキドキしたが!立ち寄った街はどれも素敵で、しかも驚くべき骸骨礼拝堂などもありびっくり途中途中で、巨大なローマの水道 (Roman aqueduct)に出会い。。。。その壮大な光景に驚いたり。。。。マドリードまで3時間の街、『カセレス』なんて聞いたこともない街だったのに静かで趣のある中世そのままの世界に1泊。旅行者も少なく美味しいレストランも見つけて大ファンになってしまいました。世界は広いのでまだまだ行きたいところが山ほどあるから、きっと私は二度とこの街を訪れないかもしれないけれど一生覚えていたい街あ〜、終わった〜!こんなに長い旅日記にお付き合いいただき、ありがとうございました。しかも、私たちの「予定のない」旅のブログはやっぱり予定のない書き方でもありました(思いつきでパパッと思い出して書いたのでした)さて次回はどこへ?********実はこれで、スペイン、ポルトガルの旅日記を終わりにしたかったのですが。。。。最後の日のマドリードの車を返してからホテルに戻るまでの間に大変なことが起こったのでした!続く。。。。
ポルトガルをスペインの国境の北部からリスボンのある南の方までずっと車で走りながら....歴史ある町々を探索するのは結構楽しい特にここナザレの街ではちょうど祭日のパレードに出会い住んでいる人たちと一緒に街を練り歩きお祝いムードで盛り上がりました‼️😊でも、車を駐車するのが大変だった〜(30分以上もぐるぐる)ここは世界有数のサーファーのメッカここの波には命懸けでやってくるサーファーが絶えないなぜって??この波を見れば.......理解できますよね?この巨大な波に乗ろうとする人たちがこの世界にいると言うだけでも驚きです!それぞれの名前が刻まれたサーフィンどれも、それぞれ深い意味を持っていると思うきっと、波に呑まれて亡くなった方もいるんだと思います。。。もちろん私たちの旅は予定をしていないので予想に反することも起こり得る行ってみたら突然ストライキが始まってみられなかったシントラのお城ここは残念だったなー😢だって、入り口でチケットを買おうとしたら、そこの人がやってきて『今からストライキで3日間チケット買えないから〜!』そんなことって。。。。と思ったけれど、これも今考えると懐かしい思い出。いつかまたここに戻ってくることは??ないかもしれないけれど。。。。ま、仕方ないか。そして、ようやくリスボンにやってきました〜ここにはなんでも揃っていた近代的な建物から中世の歴史あふれる街並みまでトゥクトゥクに乗って1日観光〜結構お尻が疲れた。。。ジンジンハチョコのカップにチェリー酒を入れて飲んだら、そのカップを食べてしまう。。。リスボンならではの飲み物。これって美味しすぎ〜〜〜〜〜!!Ginjais a sweet cherry liqueur that originated in Lisbon, and the small "AGinjinha" bar is ... The AGinjinhais a popular hangout for olderPortuguese...こちらもリスボンで一番美味しいお店まで行って食べた世界的に有名なデザートパステル・デ・ナタ(Pastel de Nata)日本ではエッグタルトと呼ばれマカオのお菓子と言ったイメージがあるかもしれませんが、元祖はこのポルトガルのパステル・デ・ナタです。 通称ナタと呼ばれ、ポルトガル人からも観光客からも愛され続けているお菓子ですここのが何と言っても一番美味しい!Pastéis de Belém(パステイシュ・デ・ベレン)夜はファドを聴きにレストランのディナーを予約した。「ファド」は、一言でいうとポルトガルの民族歌謡のこと。音楽的には日本の演歌風の雰囲気。。。もしくはスペインのフラメンコ的と言うか。。。私たちが気に入って2回も行ってしまったところはリスボンから1時間ぐらい行ったところにある港町のcascais カスカイスのんびりして綺麗で美味しいレストランもあり。。。やっぱり海が好きな私たちにとって海の見えるレストランでシーフードとホワイトワインを飲む時が一番幸せを感じる時かな〜
もしかしたら.......今まで結構長い期間、何かと忙しくて、どうしても先延ばしにし、ほったらかしにしていたこのブログを突然、なぜ今日に限って、物凄い勢いで書き始めたのか?と、疑問に思われている方もいるかもしれないと思い、その理由を書いておこうと思いました。世界がコロナでストップしてしまった2020年からも日本へもほぼ10回ぐらい往復しイタリアやパリやベルギーからアムステルダムへのヨーロッパクルーズとか。。。。バリバリ旅行をしまくっていた私はコロナに罹らないことが、密かに自慢でした。もちろんマスクをしなければいけない時はちゃんとしていたしルールも守っていたんですけれどね(^^)アメリカはどこよりも早くマスク解禁になったしそれでも私はコロナに罹らず、もしかしたら自分はとっくのとうにコロナに罹ったから、そういう体質になったのかな〜とか?少し不思議にさえ思っていました。その不死身のはずの私が先週の土曜日に突然、熱が出て咳もゴボゴボと激しく出て寒気はするわ、吐き気がするわ。。。実は毎年恒例(私たちは今年で3回目の参加になる)ホルヘのボートを購入した会社主催のバハマツアーに参加するためホルヘは友人夫婦とウキウキ準備を進めていたのでした。〜これは、それぞれのボートでバハマの島々を回るものでだいたい2週間ぐらいの旅。そして25〜30のボートが一緒にクルーズする。この「バハマへの出発の日」が、ちょうど日曜日の朝だった。。当日の朝、私が「やっぱり苦しい。。。。どうしてもいけそうにない!」というと夫は「え〜?船で寝ていればいいじゃない」😱💦********そんな簡単にいうの?私のこの辛い状況なんて全く考えてないわけ?もう〜頭にきたこちらは死にそうだっていうのに*****結論から言うと、本当に辛かったので(熱も39度以上あったし!)ホルヘと友人夫婦には先にボートで行ってもらい私は後でどこかの島まで飛行機で飛んで追いかけるから〜ということに。夫も渋々納得。。。(当たり前のことでしょ〜って、言いたい!こう言うところが時々子供みたいで、訳がわからん時があるわけよ)彼らは日曜の朝7時に出発し、まずはバハマのBIMINI島へ(船で3時間ぐらい)私の方はURGENT CAREへ日本ではなんというのでしょうか?調べたら『急病診療所』というみたいです。ま、そこに行って、「私、おそらくインフルエンザだと思うんですけど。。。朝、コロナの検査もしたけれど陰性だったし」お医者さんがインフルエンザのテストをしたところそうではないらしいでも、私は「あの〜すみません念の為、抗生物質をください」と、薬をお願いしたところ医者が言うには「コロナの検査をしたと言うけれど、もう一度した方がいいですよ。すぐに陽性が出ない人もいますから。。。もしコロナだったら別の薬があるからすぐに電話をくださいね」家に帰って早速テストをもう一度したところ(娘に言われて、自分の朝のテストのやり方が完全に間違っていたことを知り、ショック〜だから陰性だったのか)しっかり「陽性」でした。実はマイアミの長女が2週間前に出張先でコロナを上司からもらいその後、しばらく病気だったけれどもう元気になってそれから1週間以上経つし絶対大丈夫だよね〜と思って油断していたのでした。マイアミについた日に、私が焼きそばとお好み焼きを作りその時にきゅうりのお漬物も一緒に作った時。。。確か、リリーと私だけが同じお皿からきゅうりを食べたことを思い出しあれだ!!!やはりコロナは唾液から感染するのだとつくづく納得。それが証拠に一緒にずっといた主人は全くコロナにかかりませんでした。私もずっと不死身だと言われてきたけど夫の方がもっと不死身でゴキブリのような生命力かもしれない。。。。(怖)と言うわけで話を元に戻すとお医者さんに電話をしてコロナの薬(ファイザーの5日間連続して飲む薬〜この薬を飲むと口の中が金属製の変な味になり吐き気がして。。。下痢もした。もう2度と一生飲みたくない薬)を処方してもらい、ひたすら我慢の5日間だった😭そして今朝、ようやく元気になってコロナ検査も陰性だったので明日の飛行機でバハマのチャブケイに飛んでゆき、夫や友人夫婦と合流することに!とここまで書いて、思い出した。なんで、ブログを突然たくさん書いたか!書けたのか!それは単に『時間があった」「珍しくブログを書く気が起きた」「毎日寝てばかりいたので、何か別のことがしたかった」「今、やらなきゃ、いつやるの?」と思ったそう言うことだったのです。本音を言うと、ボート(クルーザー)での旅って長い旅はそんなに好きではないのです。ボートの旅は海の上で、部屋もシャワーも狭いし毎日、海と強い日差しで、いやでも日焼けをするし長い旅は疲れるし、あ〜あ、今回も長くて嫌だな〜とちょっぴり思っていたのでコロナは辛かったけれどラッキーだったかもな〜んて。🤣🤣🤣ゆっくり本を読んだり、ビデオを見たり普段できないことがたくさんできた。いつでもダラダラ寝ていても良かったし誰も文句言わないし、最高おまけに、もうできない!と思っていたブログも書き始めることができた。。。時は金なり〜それでは、明日からのまた忙しい日々の前に、深呼吸〜〜〜〜〜今夜は、娘と映画でもゆっくり見て休みますわかってるって!明日行くからねーっ(海が夫が友人たちが待っている)
サンチアゴデ小ンポステーラを出発していよいよポルトガルにやってきましたスペインとの国境には小さなサインだけでなんだか不思議。スペインとフランスの国境の高速道路には何人かのポリスが少なくとも横に立って見張っていたのにまるで、国が違うどころか、街の違いもわからないような国境でした。(なぜか青森県から岩手県に入るような感じと似ていた。。。笑)私にとってもホルヘにとっても初めてのポルトガルポルトガルで知っている地名はポルトとリスボンその2つの都市も、なんで有名なのかとか何が美味しいとか全くわからず。。。ただ、アメリカでは今、ポルトガルが人気で大勢の人たちが観光に来たり、中にはリタイヤするためにこちらに引っ越してくる人までいると聞いているので一体どんなところか、とっても楽しみにしていました。まずはポルトに行く前に立ち寄ったブラガここには世界遺産 の#ボン・ジェスズ教会(Santuário do Bom Jesus) がありここからの景色は絶景でした♪この階段の登り降りは本当に大変だったけれど…良い思い出これを下から上にのぼるのは至難の業というか、ものすごく暑い日だったので死にそうでした。とはいえ、私は登れず、降っただけでホルヘに車で迎えに来てもらったのでした〜(ずるい?)でも、これは本当でこの階段のせいで、私は膝を痛めて数日歩けなくなったのでした〜(事後レポート)ポルトに到着!ポルトワインで有名なポルトには実はワイナリーはなく、本当のワイン産地であるドウロ地方 (車でポルトから1時間半ほど)まで行ってワインテイスティング と川下り を楽しんできました。でも個人的にはポルトワインは甘くて好きではなかったけれど〜デザートワインとしてはいいのかもですね(^^)ところでポルトガルはシーフードが美味しくて堪らない!特にあさりのワイン蒸し?シーフードリゾット?本当に美味しい
そもそも、ほとんどの人が徒歩でこの聖なるサンティアゴ・デ・コンポステーラにやってくるのに、車でやってくるとは何事だ!私たちは「けしからん!」と怒られそうな気がして誰にも怒られていないけれど、なんとなく気が引けて、ひっそりと旧市街の中に入って行きました。なぜなら、ここは、かの有名な「道」**が世界遺産となっているエル・カミーノ巡礼路の終着点だからです。もちろん、この旧市街全部が世界遺産スペイン北部、ガリシア州の州都となるサンティアゴ・で・コンポステーラを終着点とするこの巡礼路はローマ、エルサレムと並ぶキリスト教の三大巡礼地にあたり、世界遺産として登録の認定を受けています。 実は「道」が世界遺産登録をされているのは、この巡礼路と紀伊山地の霊場と参詣道だけらしい。そもそもはキリスト教徒の為ということで、歩いている人たちの多くは宗教的な理由からですが、もちろんキリスト教徒以外でも歩くことは問題なく、年々巡礼者も増え続けています。 忙しい日常から離れて自分の時間を持ちたい、自分の限界に挑戦してみたいなど、今回、ここで見かけた多くのエル・カミーノ体験者。到着した人たちは、皆、このCathedral of Santiago de Compostela (サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂)の前までやってくると、そこで倒れたり、涙して、肩を抱き合い知らない人たちも皆、兄弟姉妹のように一緒に写真を撮ったり撮りあったり中には朝までず〜と大聖堂の前の石畳に座ってボ〜ッとしている人もいました。それほどの長い距離を歩いてようやくこの終着点に来た時の感動。。。。やはり、それは体験者にしかわからないものでしょうね。最初は私なんて無理無理!と思っていましたがここに来て、多くの人が感動しながらこの土地目指してやってくるのを見て私も、その感動を『いつか』体験してみたくなりました。(もし、その『いつか』・・・・がやってくればですが!)おそらく800キロじゃなくて、2泊3日ぐらいが、せいぜい私にできる範囲の巡礼距離のような気がします(汗)ちなみに、私たちのホテルParador de Santiago de Compostela「世界遺産」のパラドール・デ・サンティアゴ・デ・コンポステーラに泊まる〜夢のよう!つい最近まで、カトリック両王(アラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イサベル1世、1469年に結婚)の名を冠していたこのパラドールは、もともと15世紀末に王立病院として建設された、世界で最も古いホテルの一つ。いたるところに施された彫刻、4つ回廊を持つ中庭など瀟洒でエレガントな内装の中に歴史の重みを感じさせます。137の客室には四柱ベッドの部屋もあり、スペイン中世そのままの雰囲気を味わえます。朝早く、ここのホテルを出て大聖堂を眺めるだけで最高の気分!世界遺産の旧市街に車で走れるの?いえいえ、このホテルに泊まる人だけが特別に目の前まで車で乗り入れることができて荷物を下ろしてチェックインをしまたチェックアウト時に車は、ホテルの人が持ってきてくれる仕組みになっています。(VAKET PARKINGのような感じです)ここは本当におすすめですよこの街から1日バス観光でいくつかの港町、また有名な観光地を回ってきました。壁のマークにご注目!これが巡礼路の印一応、いつか歩くぞ〜という気になっている英子は本屋で、エル・カミーノの日本語の本を購入(未だ1ページも読んでいません。。。涙)Faro de Finisterre(フィステッラ岬の灯台)スペインの西岸にあるフィステーラ岬は、聖ヤコブ(スペイン語名:サンティアゴ)の遺骸がエルサレムから流れ着いた場所としてサンティアゴ巡礼路の最終地点となっています。フィステーラとは地の果て(El Finis Terre)という意味であり、陸地が終わり、荒々しい海が始まって黄泉の国へ人々を誘う場所とされています。中世から多くの巡礼者がサンティアゴ巡礼の旅の仕上げとして此処を訪れ、海の遙か向こうにエルサレムが見えると考えて来ました。フィステーラ岬はサンティアゴから約90Kmの距離で、徒歩で3日間を要しますがサンティアゴ市内からバスを利用すれば一日で往復する事が出来るのでバスを利用する人が多くなっています。(ちなみに私は3日間歩くぞ〜!!と、思ったけれども、やっぱり今回はバスにしました、〜汗) そればっかり。。。Camino de Santiago : Camino France 概要このHPはサンティアゴ巡礼路を歩いた記録です。これからサンティアゴ巡礼路を歩く人に役だって頂ければ幸いです。www7b.biglobe.ne.jp続く。。。。**1000年以上の歴史を持つ聖地への道は、今も年間およそ10万人がフランスからピレネー山脈を越えてゆく。スペインに入ると、巡礼の拠点の街が見えてくる。そこには巡礼事務所があり、名前を登録し、巡礼者の証明となる手帳を受け取る。巡礼者の数が増えると共に、道沿いには無料の宿泊所が整備されてきた。11世紀の礼拝堂を修復した宿泊所などもあり、こちらの宿では中世さながらの「洗足の儀式」が行われる。巡礼者の足を水で清め、旅の無事を祈る。食事も用意される。これらは巡礼を支える人々の無償の奉仕で成り立っている。徒歩によるスペイン横断は、イベリア半島内でもおよそ800kmの道程である。長い巡礼を続けることは、人々にとって信仰と向き合う貴重な時間となる。(ウイキペディアより抜粋)
ア・コルーニャはスペインの北部ガルシア州にある大西洋に面した港街ローマ時代から人が住んでいた歴史ある街ア・コルーニャになぜやってきたか?実は夫のひいおじいちゃん(曽祖父)がこの街、もしくは周辺出身だと彼のハーフシスター(お父さんが同じ、お姉さんはお父さんの最初の奥さんの長女で、夫とは32歳も離れているのです)に聞いたからです。この旅に出る直前、お姉さんの具合があまり良くないと聞いたので二人でコネチカット州までお別れの挨拶になるかもしれないと思い、行ってきました。(実はこのブログを書いている今は7月なのですが、お姉さんは6月末にお亡くなりになりました享年92歳〜5月にお会いしておいてよかった。。。このお姉さんは、私たちの結婚式の時にキューバのお母さんがわりに出席してくれ、その後も私たちが苦労していた時代、いつも何かとサポートしてくれた、素晴らしい方でした。ご冥福を心よりお祈りします。)そのお姉さんだけが、お父さん側のお父さんはこのスペインのア・コルーニャから来たことを知っていて昔一度訪ねて行ったことがあると聞いたのです。お姉さんからしっかりとその住所などもちゃんと聞いて、もしかしたらその親戚の末裔と会えるかも?今でも生存されている親戚がいるかもしれないと、夫は祖先探しにやってきたわけです。そこは実際はア・コルーニャから随分と離れた山奥のMoecheという、街というより「村」最初、お姉さんにもらった住所を頼りに行ってみるとそこには、、、、何もなくてただの道でした。あれ??間違ったかな?道を聞こうにも、人っ子一人歩いていないし、はて困った。と、目の前に一軒のレストランが!(これ本当の話)ちょうどランチ(スペインのランチは午後2時〜)だから寄ってみようということになり中に入って注文をしてそこの人(たまたま彼女がオーナーだったのですが)に聞いてみるとその住所はよくわからないと言われ、ゴティ??その名前、聞いたことあるわよちょっと待ってて、お母さんを呼んでくるから。。。。彼女のお母さんは80代彼女のお母さん曰く、彼女のお父さんが若い時(1800年代)、この辺りはみんな若者が新しい世界を目指してキューバに行ったらしいとのこと彼女のいとこが、ゴティという家族と結婚したかな〜?(記憶が曖昧)でも、実際の親戚は見つからなかったけれどここからキューバに行ったことだけは確実でその発見は、感動的でした。その村の人たちみんなが親戚に見えてきてそのレストランオーナーはとても優しく、名前と電話番号を交換して何かもっとわかったら連絡をくれると約束してくれました。一緒に写真まで撮ってくれてありがとうございました。おまけにここのレストラン、今まで食べた中で一番美味しかった!って、うちの主人のおすすめやっぱりどこかに自分の祖先の足跡が感じられたのかもしれません。*さらに突き詰めた『本当の話』〜彼は恥ずかしがり屋だから、知らない人に道を聞くことさえできないタイプ私は?もちろん、みなさんご存知の通り、女子アナをやっていて人前で恥ずかしかったらマイクも握れませんからね〜せっかくここまできたのに、帰ろうこのまま、という夫を尻目に、実はずんずんと一人でレストランの中に入って行き「すみません、この辺にゴティという名前の家を知りませんか?』と聞いて回ったというのが本当の話です。忘れないうちにメモしとこっと。ちなみにア・コルーニャはこの村よりもずっと都会であの世界的に有名な ZARA (ファッション)がこの地で生まれたと聞いて(今も、ここに本社あり)驚いたのでした。。。。続く。。。
今回は何しろ全部、「車」での旅楽といえば楽。確かに好きな時間にどこにでも行けるでも!!でもですもしもあなたが、今夜どこに泊まるか、何泊そこにするかわかっていなかったらやっぱり旅は楽しめないと『私は』思うのです。夫は気楽なもので、車を運転しているだけでいいけれど、、、その横で私は、必死になって携帯で、ホテルの予約を入れたり(実はこれは密かに、地図を見て私が事前に予約をほぼ完璧におわっていたのだがそのために、いくつかのホテル代を犠牲にしたところもあった。。。急に行き先が変わって〜泣)それに美味しいレストランを探して、予約が必要であれば予約したり、キャンセルしたりと忙しい。。。おまけに道の案内人ナビの設定は私任せ結局のところ、予定のない旅でエンジョイしたのは主人で私は彼の旅のアシスタント、コンシェルジュか?という感じでした。絶対、私抜きでは、夫はこの旅をここまで楽しめなかっただろう!感謝してほしいけど、わかってるのかな〜??でも、私もなんやかんや言いながら、結局この「旅」を一緒に楽しんだのです。こんなにいい加減な旅も、人生に一度はいいのかも〜?特に私のような、普段は『予定綿密人間』には。結局、フランスのボルドーから娘も連れて3人でスペインのサンセバスチャンへ*ホテル マリアクリスティーナ3泊友人のリカルドファミリーとも楽しい1日を過ごしここはバスク地方、バスクといえば、このチーズケーキあまりにも美味しい!ほっぺたが落ちるってこのこと!!サンセバスチャンといえばこのピンチョピンチョは毎日違うものが食べられるし飽きないのです。。。。友人のリカルドファミリーそれから、リリーを送りにビルバオへここでは絶対に見逃してはダメ!と友人に言われたグッゲンハイム美術館を見学本当にユニークな美術館でした建物からその周りのパピーから、、、なにもかもグッゲンハイム美術館(ビルバオ)有名な『パピー』それから本当は泊まろうと思っていた街に着く前に、なんとも美しい海辺の街に出会ってホルヘがどうしてもここに泊まりたい!と言い張るので、私の予定していたホテルの料金は残念ながら無駄になってしまったけれどあまりにも美しい夕日が見られたので大満足でした〜この街の名前はSuances, Cantabria地図にも小さくしか載っていない街だったけれどなんだか宝物を発見したような気分になりましたこれは、確かに夫のいう「予定のない旅の醍醐味」〜???ま〜この場所だけは認めてあげよう続く、、、、
私たちの予定のないスペイン、ポルトガルの旅の話をアメリカを出る数週間前ぐらいにマイアミに住んでいる長女にしたところ、なんと、彼女もちょうどロンドン(ここは仕事らしいけれど)からフランスの北部に旅していることが判明!じゃあ、せっかくだからフランスのどこかで待ち合わせ、する〜?と、ここはパパ抜きで女同士で勝手に決定!どこに観光に行くか、どこに食べに行くかやっぱり旅は企画するのが楽しいのだ!夫にはその気持ちがわからないらしい。。。ま〜いいけど勝手に企画するから!ということで、予定のない旅が、いきなりちょっぴり予定のあるフランスボルドーへと。。。2泊3日の予定だけれど楽しみ!スペインとフランスの国境にあるサンセバスチャンは、夫が絶対にまたいく!ここだけは外せない、〜夫のキューバの親戚が以前ここに住んでいたこと、それから友人もここに住んでいることなどから彼にとってはスペインの故郷のような感じなのかな?というところだったのでまずはそこを通り過ぎてそこからフランスのボルドーまで車で4時間フランスとの国境は何もなくてスムーズでも、いきなり高速道路が有料になってえ?あ?という感じでお金を取られてショック。そう言えば、スペインの高速道路って今回は通ったかな?どうも無料だったとしか思えないけれど。。さて、無事にボルドーに到着し娘とホテルのロビーで会うことができ、そこから2泊3日、ボルドー周辺を楽しみました〜かの有名なワイン、シャトーマルゴーを、外からだけでも見てみようとマルゴー村へお城のようなシャトーの入り口で記念写真世界で最も高い名声を有する赤ワインの一つメドック地区の4つの第1級格付け銘柄の1つであり、10年から数十年の熟成に耐え、良質なヴィンテージのものは高値で取り引きされる。ちなみに、ワイナリーのことを、フランスではシャトー、スペインではボデガというらしい。。。。(間違っていたらごめんなさい)それから午後は町自体が世界遺産のサンテミリオンへ中世の世界に迷い込んだような錯覚を起こしてくれる素敵な街でした。くねくねと石畳みの道続き、その両側にはワインセラー、工芸アトリエ、民芸店、ワインスクール、ローカルな高級食材を扱う食品店、そして感じのよいレストランやカフェのテラスが軒を連ね、散策するだけで楽しくここはもし時間があれば、数ヶ月住んでみたい街だな〜もちろんボルドーのダウンタウンも散策美味しそうなパン屋さんが。。。その全てを覗いて、味見するのは無理だったけれど心の中では全部食べたかったです。フランスらしいスペインとはまた異なる美しい建物に囲まれて川辺ではファミリーが水遊び、緑あふれる公園にも、いきなり美術館のような噴水があり。。。。特に私の気に入ったのは街中にあるこのアートあっという間のフランスでしたが寄り道してよかった〜続く。。。。
2023年5月22日マイアミからスペインのマドリードへホルヘ念願の『予定のない旅』スタート!(彼の還暦祝いの旅)まずはスペインのマドリードからスタート行き当たりばったりのように見せて実は密かにスケジュールを立てている私(だって、予定のない旅なんて、この綿密な予定を立てるのが大好きな私にできるわけないでしょ?ハハハ)さてこの後の旅はどうなることやら〜スペインといえば、コロケータ!そしてハモンイベリコ!マドリードを車で出発しまずは北に向かう最初にブルゴスで1泊世界遺産の大聖堂はひたすら荘厳で大きく、歴史の重さを感じた。なぜかその後に人類進化博物館にまで足を伸ばした。宗教と進化論…不思議な街でした。もうここは、バスク地方の入り口なぜなら、ピンチョ(このようにお店に並べられている)のバーが立ち並んでいたから。。翌日はブルゴスを後にし一路スペイン有数のワインの産地リオハへエルシエゴという小さな街にあるあの有名なマルケスデリスカルがホテルも建てていて、それが有名な建築家フランク・ゲーリーによるデザイン厳かな聖堂のあるこの小さな街に突然現れた紫色に輝く屋根のホテルは驚きでした。ホテルからのEltziegoの夜景このホテルのレストランRestaurante Marqués de RiscalAwarded 1 Michelin Starも相当有名らしく、(なんと!ミシュランスターのレストランでした)私たちは何も知らないだけにランチギリギリに飛び込みセーフでその素晴らしい食事を味わうことができて感動(それにランチでラッキー!ディナーだったらものすごく高かったみたいです)ワインツアーはなぜかスペイン語しか空きがなく私はひたすらフォトを撮りまくる役(少ししか理解できず)でもワインテイスティングは楽しかった)これはリオハワインのMUGAのワインティスティングツアーの様子旅は続く。。。。
2月から4月中旬まで人生最大の長期旅行簡単には語り尽くせない旅だったのでゆっくりご紹介します今は先週アメリカのノースカロライナの家にようやく帰ってきたのにすぐにマイアミへまたもや日常の忙しさに紛れてブログ更新できるかねー?
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