とことん自分と向き合っている........つもり......であった。

 

つまり、真剣ではなかった。

 

こうして書き出してみるとよく分かる。

 

とことんと逃げまくってきた証拠である。

 

この年になっては、もうごまかせない。

 

世界一理解できない、あいつと向き合うのだ。

 

世界一理解できないあいつとは............

 

李 英香である。

 

最近、自分が歌う曲を書いている。

 

今まで、外部から言われて、その人が歌うための曲は書いてきた。

人のために書くなら結構すらすら出てくるのに、

自分で歌う曲となるとなんでこうしてピタッと止まってしまうのか。


メロディが鳴って眠れないこともあるくらいだ。

 

でも決まって、誰かが歌うかもって感覚だったのかもしれない。

 

それでも作っていることには変わりはない。

 

がしかし、

 

本来私は何を表現したくて歌い始めたのか、真剣に探求する時が来てしまったのだ。

 

それはいつか必ず来るものだったけれど、

 

それはいつか必ず来るものだってことさえ気付こうとしなかった。

 

気付こうとしなかったのではないかもしれない。

 

気付こうとしていたのにあまりに自分に対しての言い訳が上手で、

 

意図的に避けていたのだ。

 

もはや自分の完璧かつ緻密なごまかし方にあっぱれ。

 

今日も真剣に祈った。

 

1時間のウォーキングをしながら、真剣に一語一句きちんと祈った。

 

私には「きちんとやろうとする癖」がある。

 

そんな癖のことさえ、

 

歌詞やメロディを作るのを邪魔している気になってくる。

 

今、体の中は空虚。

 

あぁ、そうか、

 

虚しさしかないって言っても、

 

虚しさはあるんだから、

 

なにかは必ず残っているのだ。

 

これが神様がくれたチャンスというのかもしれない。

 

うん?

もう一度言ってみよう。

 

自分の中に虚しさだけが残っていたとしても、

 

何かは必ず残っていたのだ。

 

では、どうして、私は、自分を見つめてこなかったのか、

 

この15年、歌生活の半分だけれども、

 

ほとんどシングルマザーで子供たちと一緒に成長してきた。

 

一時期ホテルのフロントで勤め、英語を勉強して生計を立てた。

 

高い時給ではなかったが、勉強に成るし、働いていて楽しかった。

 

そんなバイトの選び方も結局は歌が中心となっている。

 

フロントのバイトを辞めて、ゴスペル講師の道を選んだのも、

 

歌と子育てを両立させるためだった。

 

歌から離れることは本当に寂しかった。

 

ある意味、音楽家は孤独になりやすいと聞く。

 

寂しがり屋の私には耐えられない職業である。

 

けれども歌っていたかった。

 

結局は歌を選んだのである。

 

歌の世界で自分の表現方法を見つめなかったにしても、たまに詞を書いて歌ったり、

 

人の詞曲を書いたり、カバーを歌ったりして続けてきた。

 

思ったことは全部やった。

 

子育てもさせてもらった。

 

しかも子供達は大きな怪我や病気はなく、ほぼ健康に育ってくれている。

 

一般的な親子関係以上の親子関係を保つことができたと自負がある。

 

二人ともお腹にいた頃、臨月までライブやっていたからなのか、音楽が好き。

 

長男は歌にめっちゃくっちゃ興味を持っている。

 

歌いたくて歌いたくてうずうずしている。

 

そんなに歌いたいなら、カラオケボックスでお山の大将やってないで、

 

ライブでもなんでもやったらいいじゃないかって思う、

 

そのくらい歌いたいって言ってる。

 

私は息子に何を残せるだろう。

 

お金を残すことはごめんなさい、できません、はい、本当にごめんなさい。

 

歌うことや歌いつないでいくことしかできない。

 

と言うことに気がついてこれまでやってきた。

 

そのままでいいじゃないか。

 

いや、まだまだ足りない。

 

それは、やっぱり、自分から逃げないということだ。

 

これは、息子に教えないといけない。

 

そう、

 

そのためにも、やっぱり、

 

自分が何を歌いたいのか、自分で書いた曲と詞で表現するのだ。

 

人のためかもしれないが、自分のためでもある。

 

一番伝えたいのは、

 

命がけで生んだ、愛する息子たちだ。

 

そうだ、私は虚しくなんかない。

 

私は自分の血と肉を分けて生んだ子供たちに、表現することができるではないか。

 

私はこうだ!って伝えることができるではないか。

 

自己表現の方法を、彼らに教えることを、バカバカしいと思っていたのか?

いや、そうではない。

 

好き放題やって生きてきて、シングルマザーになるしか道はなく、

息子たちに迷惑をかけ、遠慮しながらも歌の活動を続けてきた。

 

周囲の知人や友人が心配するくらい、歌に没頭してきた。

 

よく考えてみれば、

 

自分が自分を見つめ、しっかり自己表現をし、

 

それをしっかりと子供たちに見届けてもらうことしかできないって、

 

随分前から気がついていたではないか。

 

大きな宝物をもらっていたではないか。

 

そんなことにようやく気がつくなんて。

 

聖書の言葉を引用するなら、「何事にも時がある」である。

 

私の今のこのタイミングで見つけられること、それは、遅くも早くもない。
 

若さとか老いも関係ない。

 

国籍も性別も信仰も関係ない。


誰にも譲る必要もなければ、

引け目を感じる必要もない。

 

今、このことに悩み、本気で苦しんで、

 

今がその「時」だと言うことに気がついた。

 

書けない自分を責めるのは、やめにしよう。