年がバレるけど、
およそ、30年ぶりに川崎大師へ行って来た。
BFが前厄で、おはらいに行ったのだ。
私は、川崎生まれであって、まだ本当に小さい頃、祖母に連れて行ってもらった記憶がある。
川崎駅には特別な思い入れがあった。
離れて暮らしていた父との待ち合わせ場所。
母がよく、末っ子の私を連れて行ってくれた、美味しいパンケーキアラモードのあるパーラー。
いずれも、川崎駅前だ。
川崎市は、全国で2番目に、在日韓国人が多く住んでいる都市だ。
美味しい焼肉を食べさせてくれる店がたくさん。
私の味覚の原点は、やっぱりここかもね。
昔はホームレスが多くて、町も汚くて、のんべえのおじちゃんたちがたむろしていた。

駅に降りたとたん、懐かしさで、ちょっとうるうるした。
実は、父の実家はまだ川崎にあって、親戚がきりもりしている。
両親が亡くなってからというもの、たった1度しか会っていない。
東京と川崎ではそんなに遠い訳でもないのに、なぜか気持ちを遠ざけてしまっていた。
大好きだった祖母は私の手を引っぱって、たまにパチンコ屋さんに連れて行ったりしたが、それは不健全でありつつも、川崎の下町らしい正直な、ダメな大人像が見えてきて、未だに笑える思い出になってる。
祖母は私が5歳のとき亡くなったので、私は4~5歳からパチンコ屋慣れしていたということになる。
あまりに暇で、落ちている玉を拾っては、空いている台に仕込んではじいて遊んでた。
さすがに自分の息子をパチンコ屋に連れて行く気にはなれない。
でも、私にとってその思い出は、決して悪い教育にはならなかったと自信を持って言える。
私の周りにいた大人達は、ほとんどが、反面教師。
こんな大人にはなってはいけない!とマジで思っていた。
あまりにも正直に生きている大人達だったから、周りは結構無理していたと思う。
自分は息子に対して正直ではあるけど、はたして息子にとって良い事なのか悪い事なのか..。
感情むき出しにしてしまうこともしばしば。
それが間違っているとかいないとか、いちいち考えてしまうこともあれば、私の周りにいた大人達のように、自分の感情に素直に生きるのもOKなんじゃない?と自分に言い聞かせて、「だって、そうされたってこうやって幸せにやってんじゃん」ってひらきなおったり。
川崎への懐かしさから、周りの大人のハチャメチャぶりを思い出した一日。
川崎大師は昔より小さかったけど、祖母や母の口から聞こえて来た、「あ~あの大師の先の所のね」とか、「大師さんにお参りに行こう」とかいう会話が、ちゃんと母の声で、祖母の声で異様に蘇ってきた時間だった。
肝心な事は忘れても、ちょっとした瞬間を思い出す事ってできるんだね。
それが思い出せるってことは、私は愛情不足で育ってないってことがよく理解できる。
BFには、父の実家近辺のスラム街巡りを約束したのだった。
その帰りは、母と通ったパンケーキアラモードの店かな。