鬼平こと長谷川平蔵は、実在の人物です。ただし、彼を主人公にした池波正太郎先生の「鬼平犯科帳」は、一話完結勧善懲悪のフィクションです。なので、「鬼平~」は水戸黄門や大岡越前、暴れん坊将軍や遠山の金さんと同じ種類の、典型的な「時代劇」
です。
長谷川平蔵を火付盗賊改に抜擢したのは、あの「寛政の改革」の松平定信です。時代劇の世界では「定信はいいもの」と決まっていますので、その腹心である平蔵もいいものに決まっています。
ただし、これはあくまで「時代劇の設定」です。実際の平蔵は、石川島の人足寄場(犯罪者の更生施設)の設立を実現させましたが、幕府からもらった予算が不足だというので、その金を銭相場に投機して増やした、という、辣腕といえば辣腕だけど「武士としてはいかがなものか」な、破天荒な役人だったようです。
なので、定信は平蔵のことを「田沼みたいな男だ」と嫌っていて、だから鬼平は出世できなかった、という話もあるんだそうで。
でもね。「時代劇」ではなく「歴史」の話をすると。田沼意次といえば「賄賂政治家」という一昔前の「常識」は間違いである、というのは、近年盛んに言われるようになりました。
賄賂云々は多分に、反対派である松平定信一派による誹謗中傷であり、田沼が当時の常識からかけ離れた贈答を受けていた事実はないんです。
むしろ、田沼意次は江戸時代には珍しい経済感覚を持った優れた政治家であった、といわれるようになってます。
それが、権力闘争に負けた結果、汚名を受けることになった、というのが実際です。
とはいえ、田沼が上手く立ち回って政争に勝っていれば、田沼の政治は当時の人々にもっと評価されていたかというと、これは疑問です。
田沼政治が罵声を浴びたのは、幕府が本来持っていた「基本理念」を危うくするものだったからであり、いずれ保守派の大きな力によって田沼の業績は抹殺されたのではないかと考えられます。
長くなるので明日に続く。