維新というのは、いわば固有名詞です。
幕末に水戸の藤田東湖が「詩経」から引用して、改革思想を指す言葉として使ったのが最初です。尊王思想の本家が作った言葉ですから、みんながそれに倣い、やがて、倒幕思想・運動のことを「維新」というようになります。
ですから維新といえば幕末から明治に変わったあの歴史・出来事のことに決まってるんで、「明治維新」というのはいわば重複表現です。「昭和維新」とか「平成維新」といった軍人とか政治家とかいました(今もいます)けど、それらはみんな、あやかろうという、もののたとえです。
改新というのも、同じです。蘇我氏を倒して権力を握った中大兄、鎌足らが、中央集権国家を作り上げようとする自分たちのマツリゴトを「改新」と呼んだので、だから改新といえば大化改新に決まってます(固有名詞ですから、「の」は普通、書きません)。
両者の共通点は、「自分たちで、そう呼んだ」ということですね。だから、固有名詞なんです。後世の歴史家があとから名付けた「乱」「変」などとは、言葉の種類が違います。
「~の乱」「~の変」は、後世の歴史学者が客観的に、年号か事件発生場所かの名前をつけただけで、それが「いいこと」か「わるいこと」かの価値判断を含みません。
「維新」「改新」には、それが「絶対にいいことだ」という主催者側の強い主張が含まれています。
言葉の種類が違う、というのは、そういう意味です。