香港ディズニーランドが、東京や大阪USJと圧倒的に違うのは、たぶん「火薬の量」ですね。
なんかあるんでしょうね、法律の規定の差、みたいなモンが。ここ、外国なんだ、と実感する瞬間です。
うあ、ほとんど安土城炎上ってカンジだ。お城マニアとしては、嬉しがっていいのか・・・。
大河「江」のハナシをしたいと思う一方、年末年始にはなんだか各局が「歴史トンデモ話関係番組」をやってて、香港行ってたせいで全く見られないでいる録画が溜まっています。
こういう番組のなかで、いつも楽しいのはテレビ東京系です。いや、褒めてるんじゃないですよ(笑)、トンデモ度が高いということです。
ちょっと前のテレ東で、「源平合戦は、実は平氏と平氏の戦いだった!」つうのがありました。
「平家の一族でありながら、末流として冷遇されていた北条氏が、頼朝を操って軍を起こして京都の本家を倒し、平家を乗っ取ったのだ」という、なんだ、聞いてみればなんでもない話だ。
あのお、これはですね、昔のヒトは「治承・寿永の乱」のことを源平合戦」、つまり源氏と平氏の戦いであるかのように習ったものだから、頼朝のバックにいた北条氏や三浦氏がみんな「平氏」であるというのをあとから知って、ビックリしてるだけです。そういうビックリ世代が、テレビ東京とかでプロデューサーをやっているので、そういうトンチンカン番組を作ってしますのです。そんなのを見て、あなたがビックリする必要はありません。
そもそも「源平合戦」とか「源平争乱」とかいう言葉が間違っているのです。現在は教科書にも「治承・寿永の乱」と書いてあるでしょう?この一連の戦いは、源氏と平氏という血族集団の戦いではないんですよ。
ひとことで言えば、農場経営者として力を蓄えた関東武士団が、相変わらず経済的に搾取してこようとする京都朝廷に対し、独立戦争を仕掛けたのです。そのとき京都朝廷に君臨していたのが武士出身の平家(平氏のなかでも、清盛の近親者で公家化してしまった一族のみを「平家」と呼びます)であり、関東武士団が「旗頭」として担いだのが、たまたま伊豆に流罪となっていた源頼朝であった、というだけのことです。頼朝を担いだ関東武士団には当然、平氏も源氏も藤原氏もいましたが、そんな十代以上前の先祖が同じか違うかは、どうでもいいことです。
しかし、「経済的自立」とか「独立戦争」なんていうのは後世から歴史として見ればこそ分かることで、当時はそんな概念も言葉もないし、戦っている本人たちですら、この戦いの意義を説明しろと言われても理路整然とは答えられないでしょう。そこで、物語的に分かりやすい説明として、「平家によって親を殺され島流しにされた源頼朝公が、打倒平家の兵を挙げたので、我々は義によって馳せ参じたのだ」という、仇討ちのようなストーリーを大義名分として掲げたのです。これは嘘というわけではありませんが、実は順序が逆です。「頼朝の挙兵に関東武士が味方した」のではなく、「関東武士の挙兵に、頼朝が旗頭として担ぎ出された」のです。
そういう「歴史の本質」を見ずに、歴史年表の巻末についている家系図を覚えて喜んでるのが、いかにピント外れであるか、明らかです(って、オレもそうだったから偉そうなことはいえんけど)。北条や三浦は確かに「平氏」ですが、公家化して搾取側に回ってしまった京の「平家」は、本家でも親戚でも、ましてや仲間でもなんでもない、敵対することに、道義的にも何の痛痒もありません。
「治承・寿永の乱」は、源氏と平氏の戦いではなく、ましてや平氏と平氏の内輪もめでもありません。「関東武士団と、中央貴族の争い」です。攻められる中央貴族(平家)側はともかく、攻める関東武士団のほうは、頼朝も北条も三浦も、みんなそれが分かっていました。ただ一人、勘違いして「わかりやすい仇討ちストーリー」を信じてしまっていたのが、九郎義経です。彼の失敗の根本はそこにあるんですが、それはまた別のはなし。
さて、「江」の第二回・・・イタイなああ。上野樹里のやってる演技、これは何歳児の設定? ムリありすぎだ。