ある人と話していたら、被災地のボランティア活動の弊害について語っていました。
東北のボランティアは、地元の仕事を奪うだけで、経済や地元の復興のことを考えたらプラスではないという意見。
むしろ地元の仕事を奪っているといいます。
確かに復興作業では、最後は行政が業者に委託して対応する必要があるため、地元で経済活動が生まれるところ、ボランティアは有償の経済活動を奪います。
特に被災者が職を探している状況にあっては、都心からその機会を奪いにいっているという見方もできます。
また仕事をしている人がボランティアに行く場合、たとえば1週間休職して支援にいくことは、国としてみればその1週間の経済活動がなくなる上に、被災地の職を奪うため、ダブルで経済に効いてきます。
その人だけでなく、一部の人がボランティアは公益のためにならないと声を上げる背景でもあります。
こうしたマクロ的な見方ができる一方で、個人的には、ボランティアはやはり思いやりの結晶化でもあり、素直な意味でのノブレス・オブリージュでもあるので、ボランティアをしたいという思いをそうした見方で否定してしまうのも寂しい気がします。
とはいえ、今はかなりのボランディアが宗教法人で、勧誘目的にも行っているという話も聞きますので、単純にボランティア=善という構図が成り立たないのもわかります。
いずれにせよ、1つのものごとは光のあて方で様々な解釈ができるということで、1面的な見方しかできないような視野狭窄にならず、まずはいろいろな視点を持てるようにならないといけないと、話を聞きながら思ったところでした。