8月3日~4日に行われたわいわい村キャンプの様子です。
会場は、さいたま市さぎ山記念公園青少年野外活動センター です。


≪1日目≫
9:30 村民集合
    長老・村長・館長の挨拶
    夕食の飯盒炊さんで使うカレーの材料の買出し
11:00 バスに乗って出発
11:30 キャンプ場に到着
12:30 昼食・・・お弁当(おにぎり)なので、家に帰るまでの最後のお母さんの味です。
13:00 雨が降ってきたので東屋の下で「村旗」と「新聞トーチ」作成
    この時は我々指導者側の手際が相当悪かったけど大目に見てください。
    順番待ちの人はトランプなどをして待機
14:45 雨が上がってきたのでテント設営開始
    みんなそんなに手間取らずに立てられたようです。
15:40 夕食作り開始
    各班毎に買った材料でカレー作り
    でも材料で違うのはルーとお肉くらいなんだよね、
    個人的にはもっと冒険して欲しい。
17:00 夕食
18:45 キャンプファイヤー
    村民歌いながら入場、淡々と点火の儀式
    ゲームとダンス・・・ジュニサポのゲームから始まり、進化ゲーム、ソングゲーム、
    フォークダンス(ここでやるのは珍しいけど好き)、などをやって盛り上がりました。
19:30 キャンプファイヤー終了
19:50 周辺散策
    歩きながらの村民のリアクションから、キャンプファイヤーでのジュニサポの
    ゲームが昨年に引き続き大好評だったということが分かり、担当者としては
    内心「ホッ」
    ただ、歩き終わった後に村民の口から出る「何で歩くのか分からない」とか
    「(サポーターが)お酒を飲むために(村民を)早く寝かせたいんでしょ」の
    セリフには、毎年のことですが自分が飲まなくても申し訳ない気持ちが
    こみ上げてきてしまいます。
21:00 就寝準備と自由時間
22:00 村民は消灯(サポーターは宴会)



≪2日目≫
6:30 起床
7:30 朝食・・・牛乳パックの中に入れて焼くホットドッグ
8:30 テントの撤収と清掃
9:00 見沼自然公園・・・簡易オリエンテーリング
    班対抗でゲームやクイズ、観察力テストなどを行ないました。
11:30 キャンプ場を出発
12:30 公民館到着・解散


青少年活動をしていると、その活動趣旨に忠実になればなる程、周りの人をどんどん信用できなくなってしまうので、悲しいです。

またただの愚痴のようになるだけかもしれませんので、読み飛ばしちゃってください。




私の参画している活動の1つで、中高生スタッフ育成の担当をしているのですが、以前、私の知らないところで(というより担当であるがために私に知られないように)、あったことです。(もしかしたら前に少し書いたことがあるかもしれません)

それは、上層部の方々が事務局に申し付け、中高生の子の中のある特定の子への連絡を途絶えさせて、辞めるように仕向けられていたということです。


上層部の方々は、どうも若者(大人含めて)の育成には異様に反感というか、敵愾心のようなものを持っているようなのです。

下の者を育てたことによって自分たちが無用の長物になってしまうのではないかと恐れてでもいるのでは、と感じ取れます。表面上は別の理由付けをするでしょうが。

若い子たちが参画する本来の意図は、特にこの団体は上層部の方々は結構な高齢の方が多いということもあり、大人ではできない中高生ならではの参加者(小学生)への対応をしてもらうことなので役割は大きく異なるはずです。




本日はその活動の開催予定日だったのですが、外で行なう内容(ナイトハイク)だったため、雨天により中止になりました。

ところが、私が中止を知ったのが、開催時間のわずか前、集合場所に着く直前に事務局に確認の電話を入れたときでした。

事務局からは「早朝に中止が決まって、上層部の方が全スタッフに連絡することになっている」という答えがありました。


そこで、他のスタッフに確認の電話を入れたところ、数時間前に連絡があったということでした。

まさか当日の中止の連絡をパソコン宛てにメールで連絡するなんて非常識なことは無いよな、と思いながらも、連絡をしてこないよりは僅かでもマシか、と思いながら、帰ってからチェックしてみましたが、やはりこれもありませんでした。


この連絡をすることになっているという方は以前他のスタッフに対して、私に連絡がつかないと言っていたそうなのですが、これまで一度も着信があったことが履歴も含めてありませんでした。

念のため電話番号とメールアドレスを最近再度伝えたばかりなので間違うことも無いでしょうが、繋がらなければ他のスタッフを通しても良いわけです。


そこで悟りました。つまり上の話に繋がります。中高生スタッフを辞めさせるときに使われた手段が、パッと脳裏をよぎりました。

以前から、この上層部の方にはかなりの不信感を持ってはいましたが、『そこまでするのか』、という思いです。






追記 ≫


急に会議開催の手紙が事務局から届きました。

日程を見ると、、、平日の昼間って、普通の人出れます?ってか出れる人は普段何やってるの?って思っちゃいますよねぇ。

多分事務局主導ってことは無いでしょうから、上層部の方に平日に設定したい意図があったのでしょう。

臨時会議なのに議題の記載が無かったのは、高齢の方でも社会経験は乏しいってことなのでしょうか、善意に解釈すれば。



実は前に、高齢の女性スタッフから、「十三夜君の顔をあまり見ないわねえ、来れないのなら子供達のためにも辞めた方が良いんじゃない」って言われたことがありました。

でも私、活動休んでないんですよね。年間最大12回(同窓会含めて)で昨年までの3年間で、休んだののは合計2回です。

で、これを言った方は多分10回前後は休んでいるので、初めはそれで顔を見ないのでは、と思っていました。


ところがよく考えてみると、平日の会議やら飲み会やらなどは仕事や住居の地理的のもので参加不可能なので殆ど行ってないんですよね。

それで飲み会など欠かさないスタッフからはあまり顔を見ないってことになるんですね、成る程、理解できました。





追記の追記 ≫


今年1回休んじゃいました。






3日から4日にかけてわいわい村のキャンプがありました。
場所は、さいたま市の上野田にある「さぎ山記念公園キャンプ場」です。
ここ数年荒天のため、キャンプ場でのキャンプは久しぶりです。




1日目


朝、公民館に集合し、村民の元気な顔を確認。
慣例の上層部による数珠挨拶でキャンプの開始です。


まず班毎にサミットに行き、夕食の材料を買いました。
全班が公民館に戻ってくると、またサミットに行き、そこからバスに乗り、キャンプ場へ出発です。
キャンプ場へはバスで20分程です。


キャンプ場へ到着すると、昼食を食べて、今晩寝るテントを立てます。
スクールテントはそんなに手間がかからずできました。
自由テントはブルーシートとロープがで作るのですが、なかなか思ったようにはいかず、苦心しているようでした。


その後、レクリエーションをし、キャンプファイヤーで使う新聞トーチを作りました。
新聞トーチは意外と力が要るので時間がかかってしまう子もいましたが、全員無事完成です。


次は食事作りとキャンプファイヤーの準備をそれぞれに分かれて行ないます。
キャンプファイヤーの準備担当になった子は基本的にやることは殆ど無いようですが、薪の組み方などを教わっていました。


そして、キャンプの夕食といえばやっぱりカレーですね。
ご飯はかまどで飯ごうで炊きま、カレーはキャンプ場なのに何故かカセット式ガスコンロで作りました。
自分たちで、しかも野外で作ったカレーは最高です!完食です。


さて、いよいよキャンプファイヤーです。
古式に則ってセレモニーを行い、レクとスタンツに移ります。
班毎のスタンツでは子どもたちは一生懸命表現しようとしていました。
スタンツはサポーター側がうまく指導していかないと締りの無いものになってしまうのですが、子どもたちのがんばりに救われた感があります。


ファイヤーレクではジュニアサポーターががんばってくれました。
同じ様にレクをやるのでも、ジュニサポがやるとやっぱり盛り上がり方が格段に違いますね。



本日最後のプログラムは、周辺散策です。
このキャンプで唯一ねらいがはっきりしているプログラムです。
サポーターにとっての本当のお楽しみはこの後、そうです!宴会です。そのためには子どもたちに早く寝てもらわないと困ります。
以前は子どもたちがなかなか寝ず、しかも子どもたちから「サポーターの宴会の声がうるさくて眠れない」と言われてしまっていたので、歩くことでとにかく子どもたちを疲れさせて早く寝かせよう、ということです。


就寝時間になりみんなテントに入りましたが、蒸し暑いし、当然虫も入ってくるのでなかなか眠れないようでした。
何度かテントを周っているとだんだん眠りにつく子が多くなりました。


さて、サポーターは酒宴です。が、実はこのさぎ山キャンプ場は飲酒禁止のためバレたらまずいので、割愛させていただきます。
因みに十三夜は飲みませんよ。飲んだら子どもたちに顔向けできませんから。




2日目です。


まずは散策に出ます。
参加者が散策をしている間、サポーターは朝食の準備です。
メニューはスパゲティーとジュニサポ特製のスープです。

食事は今朝も全て完食です。
特にスープは無くなってから、「え~っ!無くなっちゃったの~」という声が。
スパゲティも、子どもたちの分が足りなくなるほどでした。
サポーターの上の人の分が足りなくならないように真っ先に取り分けていたようでしたが、子どもたちの分が足りなくなったのって、まさかこのせい?


テントの撤収は結構スムーズにできました。
最後のプログラムはネイチャーゲームとクラフトをしました。
クラフトは炭酸ガスを利用したロケットでみんな夢中になってやっていました。


バスに乗って公民館に帰りました。
今日はゆっくり休んで次回の座禅でまた元気な顔を見せてね。




わいわい村のキャンプは、特にコンセプトが無いらしく、楽しければなんでもオッケーという感じみたいなので、今回のキャンプも子どもたちが2日間楽しそうに過ごしてくれたので一番の収穫ですね。






追記


キャンプファイヤーについて思うこと
1つは
以前も書いたかもしれませんが、今のままでスタンツをやるのはなかなか難しいです。スタンツはただやらせるのではなくやらせる方が「ねらい」を考える必要があるでしょうし、仲間作りなどのベースをしっかりしておかなければいけないのでスタッフの技量や指導力にも左右されます。
我々サポーター全員が慢心せずに更なる力量のアップに向けて努力していくことが必要ですね。


もう1つは
う~ん・・・ジュニサポがゲームの練習をしているのをすぐ側で見ていたサポーターが、ジュニサポのゲームをパクるのは・・・。いや、ゲーム自体はオリジナルじゃないんで、プランをパクったというのが正確なところなのですが。
でも、テッパン(必ず盛り上がるはず)のレクをあそこまで失敗するとは、という逆の意味での見本(どんなことにも油断してはいけないという教訓)を経験できたので良いかな。





毎年、公民館で行なっている子どもたちの体験事業に参画しており、今月の

24日に今年度の第1回目が開催されるため、10日に打合せの会合がありました。


相変わらずこの手の話題のときは愚痴っぽくなっちゃってますので、

読むのめんどくせ~な~と思ったら、とばしちゃってください。



さて、この会合の日の前までに、私が事前にいつものように準備していたのですが、

それが全て抑圧されることとなってしまっていたので、会合の開始前に理由を聞いて

みました。


するとある大御所の方(下でトップと書いている方ではない)が説明してくださいました。

「片手間でやっているのだから細かいところまで時間が取れない」

と前置きをした上で

「間違っていることであっても上の言うことに従ってくれ」

ということを仰いました。


※ ここでいう間違っていることというのは何を指すかというと、直近の事で言えば、

  『権力者の側が周囲を騙したり卑劣な行為を取ったこと』

  を指しているということになります。

  つまり、権力者がそうした無責任な発言をしたり不誠実な行動を取ることを前提に、

  そのような行為をされても反論されては困る、ということのようです。



不誠実な行動といっても何のことなのかが解らないと、意味が解らないですよね。

そもそも私の方が間違っているのかもしれないですし。


詳細までは書けないので掻い摘んで書くと、


ある事について担当になっている私が、事前にトップから指示を受けていて、

その指示に従った内容で、例年通り担当の範囲で行動し、報告を行なっていたところ、

これとは別に(裏で)トップからは担当者に知らせないまま、トップ自身が出した

指示とは全く逆の行動を取っていたことが明るみに出たのです。

その結果、多くの人が傷付くことになってしまいました。


少し抽象的ですが、こんな感じです。


これについて、トップは責任を感じるどころか、多分どれだけ非道で失礼なことを

したのかすら理解できないのだと思いますが、もし意図的にやったのだとすれば、

以前、トップが自らご自身のことを評して仰っていた「老獪」という言葉思い起こし、

まさにぴたりとはまることをご自身で仰っていたんだなあと、感心させられてしまいます。




この活動では、『年功序列』ならぬ『年齢序列』が顕著なため、私のような一番の若造の

言うことを取り入れるのは、倍以上もの年齢の方からすれば自尊心が許さないのも

理解できます。


そのため私も自分の担当以外のことについては、意見を求められたときに発言する

くらいにしているのですが、ただ、

『人(特に子ども)の気持ちを考える』

という部分については年齢に関係なく重要であると思っているので、これを蔑ろに

されてしまったときなどはどうしても譲れないところとなることもあります。



以前別の活動で、やはり子どもたち(中高生)を守れなかったことを、深く後悔している

いうことを書いたことがありますが、

本来は仲間であるはずの同じスタッフから子どもたちを守らなければいけない

というのは本当に辛いですし正直気力の維持も大変です。

この活動でも上の人からは暗に、「(私の行動次第では)中学生を人質に取られているようなものだから」と言われていますし。




まとまりませんが、

とにかく上に立つ者ほど、『自分たちさえ良ければ』という意識の下に行動してしまっては、

本当の意味での青少年教育に資する活動にするのは難しいのではないでしょうか。


ただ、伸び代の無限な子どもたちや意識を持って参画してくる若者と違って、

既に出来上がっている年配の方達に今から改善を望むのは酷でしょうから、

少しでも信用できる部分が残っていることを願うのみです。


それとも本来の目的に拘って、頭が固くなっているのは私の方?

現状に即して、単にその場だけ楽しむような活動ができる性格だったら楽だったのに。




≪ 追記 ≫


あれっ?でも、「上の命令に従ってくれ」と言われていますが、よく考えると

元々トップの指示通り行動したために問題がおきているので、他に良い方法ってありえるのだろうか。







これ見ることは無いかもしれないけれど、

というより、自分の気持ちの持って行き所が無くてここにぶつけているだけになってるかもだけど


本当に・・・ごめん。


公民館の態度を見ててなんとなく感じてたんだ、公民館から連絡するって言ってたから、

嫌な思いをさせられるんじゃないかって。

公民館からは電話で多分すごい嫌な言われ方をされたんじゃないかな、って解ったんだけど、

どうにもできなくてごめん。

公民館から電話するの忘れた子がいたっていう話も聞いたし。



1年間ジュニサポとしてやって、慣れて、折角これからっていう感じだったのに。

後輩たちのこともちゃんと考えてくれていたんだね。

ジュニサポが苦労した点はジュニサポにしかわからないもんね。


こんな話聞きながら、今までのがんばってる姿を思い浮かべてしまって、受話器口で

いい大人が涙声になっちゃってちょっと恥ずかしかった。(これは内緒にしておいてね)

それに、部活を一生懸命やりたいからやめることにした、っていうのも気遣って

言ってくれたのかなって。(考えすぎか)



本当は、人の気持ちを大事にする大人達が集まって活動しているのなら、こんなことには

ならないはずなんだけどなぁ。

ちょっと・・じゃなくてすごくくやしい。



かなり幻滅させちゃったかもね。

でも世の中そんな人たちばかりじゃない、ハズだし、

特に大学生サポーターもいつもみんなのことを気にかけていて私以上に悔しがってるから、

またきっとこういう機会があると思う。



わいわい村関係無しで集まったりもするから、また会えると良いな、声かけるからさ。




電話でもうまく言えなくて、ここに書いたのもなんか結局何言ってんだかよく分からない文に

なってしまった・・・





これも同じく再掲載です。

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「度量を持つ」の続きその2です。(予定ではその3まで)
ボランティアなどの社会活動は「お互い様」ということについてですね。


「度量を持つ」では、運営者が参加者のためと思ってしていることも、それをすることに
よって運営者自身のためにもなるということを述べました。


その「お互い様」という相互作用的意味合いから、今回はもっと踏み込んだ見方である
協働としての意味合いの社会活動の「両面性」について考えてみたいと思います。


前者の「お互い様」というのは、参加者にとっての目的(主)を通して運営者にも得るもの(従)が

ある、ということに対して、後者の「両面性」は参加者ためという目的と運営者のための目的の

両方が活動の第一義的な目的となります。


社会活動での相互作用は通常、次のように考えられています。

※「お互い様」として紹介した目的・作用
  してもらう(主目的・参加者)←→してあげることによって得る物(従目的・運営者)


これを活動にもよりますが次のような趣旨を持つことも可能になります。

※「両面性」の目的・作用
  してもらう(主目的・参加者)←→してあげることによって得る物(従目的・運営者)
  してもらう(主目的・運営者)←→してあげることによって得る物(従目的・参加者)
  という同一の関係性が双方向に働いている。



どんなことかというと、例えば、公共施設などでよく行なわれている、地域の高齢者が
小さい子どもたちに絵本の読み聞かせをしている活動などを思い浮かべてみてください。


この例では、参加者である子どもたちも行事等に参加することによって、擬似的に高齢者の
孫となり、高齢者は年長者として非常に尊重されることになります。
このことは、高齢者でも何かの役に立てるのだ、という満足感・充実感を感じることができ、
さらには自己の存在価値を確かめることで、そこから生きがいを見い出してもらう機会に
なるのです。



社会活動では、高齢者にとっての目的を含めたものを我々の活動の主目的のひとつとして
いくことで、例えば定年退職をし、家では奥さんから粗大ごみ扱いをうけてしまうように
なってしまったとしても、外では少しでも役に立っているんだという充実感を持っても
らうことが可能なのです。
そう、私たちもいずれは年老いていくのですから。



私も今、近い考え方を持つ必要のある活動に携わっています。
今回のテーマも「度量を持つ」の項同様、その活動での年配スタッフから伺った話をきっかけに
社会活動における意義を見つめ直してみました。





昨年公開した記事ですが、誤植直しついでに再掲載します。

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先々月のエントリー「度量を持つ」の続きその1です。(予定ではその3まで)



先日は、「他人の良くないところを責めるばかりではなく、その悪い部分も含めて

受け入れる度量を持つことが大切」というようなことを書きました。


これは特にリーダー的な役割をする人ほど重要ではないかと思います。


私がリーダーの役割を引き受けるときに心がけていることは、

「とにかく下に活躍させる」

ということです。

そして、人を育てるためには大きな度量が必要となってくるのだと思います。

もちろんリーダーではなくても上の立場に立ったら同じことが言えるでしょう。

(上下という言い方はあまり好きではありませんが便宜上だと思ってください)



リーダーは人を活用することが大切なのですが、さらに活躍させることによって伸ばす

ことが本当の意味でのリーダーの役割だと考えています。


特に青少年活動では、いかに若手を登用し、活躍の場を与え、育てることができるか、

ということがその活動の継続・発展の鍵です。



年齢を重ねると、下が育つことで自分の地位が脅かされるのではないか、というような

考えを持つ方も多いようです。

これは自分に伸び代が無くなったことを悟ったからなのでしょうが、それを補うために

周囲に権力を感じさせて諫言もできないようにしてしまうようです。


本来なら下を育てることでは自分の役割が無くなることはなく、新たな役割を担っていく

ことになるはずだと思っています。



ここでは青少年活動などを想定して書いていますが、もちろん仕事でも当てはまる部分が

あると思いますので、ひとつの要素として考えてみるのも良いかもしれません。


また、ここで述べたのは私が目指しているリーダーであるので、もしかすると多くの方が

頭に描くリーダー像とはかけ離れているかもしれませんが。




昨年の記事の誤植直しで再掲載です。

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以前、青少年活動なのにもかかわらず子どものためを考えた活動をしていくことが

難しいのは何故か、というような記事を書いたことがありました。

続きではありませんが、関連記事です。



「なぜスタッフの殆どは建設的な話し合いをしようとしないのだろう」

私が参画しているある活動の中でずっと不思議に感じていたことです。

程度の差は有れ、今までも他の活動でも感じることはありましたが、そこでは特にそうした

傾向が強く、常識的に考えれば子どもたちにとってより為になるのは明らかである提案が、

なぜ片っ端から反発を受けるのかが分かりませんでした。



まず第一に思い当たったのは、私の話し方が下手なせいなのだろうか、ということです。

確かにスタッフの中では私が一番の若輩者で、半分以上の方が年齢的には私の倍以上も

年上のため気を使いながら話しているのですが、それがかえって分かり辛い言い回しに

なっていると言われたこともあります。


それとも、もしかして根本的に私の考え方そのものが間違っているのだろうか、とさえ

考えたこともありました。



そんな時、ある年配スタッフの方が次のようなことを仰いました。

「どんなに正しいことを言っても、相手に聞こうとする気が無ければ意味が無い。」


その言葉を聞いたとたん、はっ!としました。

そうです、目的意識の部分で既に溝があったのです。



ずっと感じていた疑問が少し晴れたような気がしたのと同時に、それまでの思い違いに

気付きました。

今までは、どうすれば子どもたちのためにより良くなるのかを解ってもらいたい一身での

発言をしていました。


ところが、先にあげた年配スタッフからの話からも分かるように、

私の提案が"より良い"ということを解った上で反論しているというのなら、つまり

解っていることを解ってもらおうという行為は、全く無駄だということになります。

その意見がどんな意見であっても、相手は反論することを目的としているのですから。


要するに発想を変えて、(思い違いしていた部分である)理解してもらうために思案するの

ではなく、選択肢に加えてもらうために工夫してみることが必要なのだということですね。

違う言い方をすれば、誰の意見なのかで賛否が変わるという先入観を持たれるような

やり方が間違っていたということです。



と、ここまで書きましたが正直なところ、そもそもこうした活動で建設的な話合い自体が

良いのか悪いのかを判断できるものでもありません。

つまり、目的意識の無い人達にとっては建設的である必要は無いのかもしれません。


ただ、発言するためには行動が伴わなければなりませんので、個人的には人の何倍も

動くということだけは心がけ、実践しています。






実は今回自分自身としては、この思い違いに気付いたこととは別に、年配スタッフとの

会話によって、2つの再認識できたことがあったのは大きかったです。


1つは、自分自身が大きな度量を持つことが大切だということです。

例えば、相手が意義のある話し合いをする力を持っていなかったとしても、それは仕方の無い

部分であり、自分自身がそれを受け入れる寛容さを持たないといけない、と感じています。

とにかく物事を大きな目で見ていくように心がけていきたいと思います。


もうひとつは、こうした活動は参加者が一方的に利するものではなく、お互い様という気持ちが

大切な活動なんだということです。

参加者に何かをしてあげているという気持ちでやっている方が多いのですが、反対に運営側も

得ているものがあり、むしろこの部分の方が大きかったりもします。

もちろん、運営側の利益を第1に考えてしまうのは本末転倒であって、まず本来の趣旨に

合わせた活動を行なっていくことが前提ではあります。


※ 今回の年配のスタッフとの会話から、なぜこの2点を強く感じたかということについて、

  そのつながりに関する内容が文面から不足しているかもしれません。

  観点を変えて気付いたという部分もありますので、後日また続きを書きたいと思います。








誤植直しついでに再掲載

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青少年活動をしていて、本当に子どものための活動をしたいと思っている人が

必ずぶち当たる壁があります。

「子どものため」の活動をしたいのになぜできないの?と感じることはないでしょうか。



私の経験からだけですがいくつか書きます(若干愚痴が入るところは勘弁してください)



以前、市のジュニアリーダーの育成を担当していたときのことですが、大人達の都合

(役員間の権力争い)に巻き込まれて、子どもたちに悲しい思いをさせてしまったことが

ありました。これは私の中では今でも傷になっています。


また県の育成者の集まりでも、自分達が(子どもたち抜きで)楽しみたいという考え方が

強く、当時私が務めていた会長職を降ろさせてもらったこともあります。




青少年相談員(子どもたちのお兄さんお姉さん活動)をやっていたとき、毎月公園に

来ている子どもたちと遊ぶという活動を立ち上げることになりました。


メンバーは毎年、目的(広報や研修など)毎にグループを選んで所属することになっていたの

ですが、その年以降は、上記(公園で遊ぶ)活動を担当するグループ(経験2年目以内)と

内部交流を目的とするグループ(それ以上のベテラン)に、選択の希望がきれいに分かれる

ようになりました。


活動を始めたばかりに持っていたはずの活動本来の目的である「子どもたちのため」という

意識が、長く活動をしていると次第に薄れていき、まず第1に自分たちの楽しみを求める

ようになってしまう傾向があります。




「子どものための活動」の壁は青少年活動を始めたばかりの頃にぶつかることが

多いのですが、私は未だにこの問題に苦悩することがあります。

今関わっているある子どもの体験活動でも、先日別のスタッフから言われたのが、

「ベテランスタッフは言葉とは裏腹で、子どもの楽しみや成長を考えているわけ

ではなく自己顕示のため活動している」、というものでした。


スタッフの中でも私は一番の若造なので、大抵の部分では年長者を立て、協力を心がけ、

付き従っていることが多いのですが、子どもたちの心を相手にする活動(だと個人的には

思っている)なので、ここが崩れたらイカンだろう!という部分は会議などでどうしても

口をついてしまい、それが反感を買う原因になってしまうことがあります。




青少年活動は、楽しく活動することは大事です。

しかし、「スタッフの都合=子どもたちの利益」、とはならない思います。

真っ先にスタッフの利益を考えるのではなく、せっかくやるなら参加者や中高生スタッフに

とっての意義ができるだけ大きく、そう心がけるとより良い活動になるように思います


そしてその結果として返ってくる子どもたちの「本当の」笑顔を見れることこそが、

こうした活動に参画する者の真の喜び、として感じることができるのではないでしょうか。






確定申告に行ってきました。

といっても申告書の作成は家でやるので提出するだけです。

さすがに作成をするためだけに何時間も並ぶのはイヤというか時間がもったいないという考えが働きました。


e-Taxはまだやったことはありません。もっと使いやすくなってからと思っています。

今のところ、パソコンで入力してプリントアウトして持っていくのが一番楽ですかね。

今回は手書きでしたが。


一度パソコンで入力を始めたのですが、初めに様式の選択が違っていた(後で気付いた)ようで、

源泉徴収票通りに入力していくと、エラー表示が出てきて先に進めなくなってしまったのです。

そのときは原因を考えるのが面倒で、手書きにしちゃいました。


申告書にはかなり細かく説明が載ってる手引きが付いているので、手順通りに進めていけば初めての方でも結構簡単に作成することができます。

手書きのデメリットは、書き間違ったときに困ることですね。

もっとも一から書き直す必要は無く、二本線引いて訂正印を押しておけば大丈夫です。


これで、あとは提出するだけなのですが、私の地域では税務署に着いて15分待ちでした。

最終日なので1時間は覚悟していたので、ちょっと嬉しかったです。

これを申告書の作成から税務署で行なった場合、列を整理していた職員さんによると3時間待ち!とのことでした。


ちなみに還付だけなら期間が過ぎても面倒なくできますので、混雑しているこの期間中にどうしても行かなければならないということはありません(納税の場合は当然追徴があります)