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(ジャーナリスト 大谷昭宏)
「永山基準の中ではほとんど死刑が執行されている。そういうことからすると、犯人の生育歴を出して『彼だって不幸だったんだから』と(言うのはどうか)。被害者だって選んで被害者になったわけではない。どんな生育歴だろうと、殺人を選ばない人たちはたくさんいる。生育歴を考えて『命を奪ってはいけない』という理屈にはならない。」


(弁護士 菊田幸一)
「犯罪をする人というのは、それぞれ個別的背景が違う。しかしそれによって、人の命を取られるような報復の制度というのはあってはならない。」


(コラムニスト 勝谷誠彦)
「どんな残虐な刑罰であっても、死刑とそれ以外の間には大きな線があると仰った。人の命を奪うのは不可逆なことであると。一方で、犯罪を犯す人間にも汲むべき事情があると仰った。だけど殺された人間は、(菊田)先生が仰ったのと同じように生きるか死ぬかのどちらかしかない。そこは論理矛盾ではないか。」


(菊田幸一)
「死刑があろうと無かろうと殺人というのは無くならない。だから、被害者について我々がどうするか。これを議論して行かなければならない。」


(社民党 福島みずほちゃん)
「さっきのVTRの永山さんの事件でも、確かに酷い殺人事件をやってるんですが、じゃあ彼を殺して・・・つまり一人の人間を新たに殺すわけですよね。国家が殺す。それで何か意味があるのか、と。」


(大谷昭宏)
「私も常に迷っているのは、アメリカの死刑廃止運動の女性がいつも仰っているように、『人を殺してはいけないということを教えるために、あなた方はなぜもう一つ命を奪うのですか』と問いかけられる。その問いには誰も答えられないと思う。」


(福島みずほ)
「新たに人を殺して、新たに遺族を作る。」


(大谷昭宏)
「死刑反対の皆さんもそれを踏まえた上で、皆さんお子さんがいると思うが、子供を殺された親御さんで、我々に『死刑でなくても結構です』と言った人は一人もいない。そう言うことの権利をどうして取り上げるのか。その人の固有の権利でしょう。」


(菊田幸一)
「権利じゃない、権利じゃない。」


(国民新党 亀井静)
「遺族の方の心情を考えた場合、極刑にして貰いたいと考えるのは当然だと思う。その場合に、死刑制度があるから死刑にしてもらいたいと言う。死刑が無くてもなお『殺してください』ということになるかというと、それはならない。」


(政治評論家 三宅久之)
「そんなことない。」


(国民新党 亀井静)
「ちょっと待ちなさい。そこまでして、国家として報復感情を満足させるということをやっていった場合は、国家として成り立つのかと。これは成り立たない。」


(三宅久之)
「最高刑が終身刑までだったらそれで納得するかといったら、私は被害者だったら納得しない。今から20年ちょっと前に、足立区で女子高校生の帰りに三人の不良が因縁をつけて自宅に監禁した。さんざん輪姦をして、心身ともに使い物にならなくなったからと殺してコンクリート詰めにして捨てた。
私はその裁判記録を読んで身も心も震えた。私が親だったらどうしたか。少年だからすぐに帰ってくる。帰ってきたら、私は力も弱いし、人を殺せないから、それだったら必殺仕事人かマフィアみたいなのでも雇う。そんなのはどこかにいるだろうから。そして地の果てまで追い詰めて殺す。そのためには全財産を注ぎ込んでも殺してやろうと思ったね、あれを読んで。」


(亀井静)
「三宅さんね、報復感情は原始時代からずーっと人間の営みの中にあって、そういうことだけやっていては、人間は幸せにならない。」


(三宅久之)
「(報復で)幸せになるんじゃない。同じ空気を吸ってるだけで耐えられないと言っている。」


(福島みずほ)
「強姦でも何でも被害感情はあるし、今まで日本の社会で被害者のケアが非常に不足している。だからといって大谷さんが仰ったように、新たに人を殺す、そのことにどんな意味があるのか。例えば私も誰かを非常に憎むとか、犯罪を憎む、被告人を憎む、でもその人間が処刑されて、殺された人が戻ってくるかといったら戻ってこないんですよ。」


(大谷昭宏)
「なぜもう一つ命を奪うのか、というのは分かる。福島さんも一人の母親として、赤ちゃんを殺された後の母親が、裁判所で相手方に『命をもって償ってください』と言った時に、福島さんはその人を目の前にして『そんなこと何の意味も無いんだ』と言いますか。」


(福島みずほ)
「いや、そういう意味ではないんですよ。新たに命を奪うことではない解決をしようと言っている。」


(大谷昭宏)
「その母親にあなたはそれを言えますか。」


(亀井静)
「(福島さんは)国家としてのことを言ってるんですよ。」


(勝谷誠彦)
「これは不思議な論理なんです。国家は誰に代わって復讐するのか。僕らは勘違いすることが多くて、遺族に代わってと思う。(しかし実は)被害者本人なんですよ。殺された本人は、ここに出てきてしゃべれないんですよ。イタコでも呼ばない限り。一番大事なのは、殺された本人が犯人にどう思うかといったら、自分の命を奪った、お前の命を奪うと。そう思うでしょうよ。遺族になりかわってとか、社会がとかね、それはどうでもいい。本人の気持ちですよ。」


(福島みずほ)
「私は、復讐したいとか恨んだりとか、お前なんかいなくなってしまえという気持ちはよく分かるんですよ。実は交通事故だって業務上過失致死だって、遺族は死んでしまえとか命で償ってくれと言いますよ。しかし全ての殺人事件で死をもって、と言われてもそれはできないじゃないか。」


(三宅久之)
「そんなこと言ってない。全ての殺人事件があって、色々情状酌量すべき点があるというのなら、それは死刑にしなければいい。しかしこの光市殺人事件のように、愛する女房と小さな赤ちゃんまで殺されたこの人なんか見て下さいよ。こういう人にとっては、ともかくそういう奴を抹殺してくれなきゃ納得行かないでしょう。」


(菊田幸一)
「あなた(三宅)はね、先ほど『金を払ってでも殺す』と言ったでしょ。相手が仮に殺されたらね、ああ良かった、これからハッピーだと・・・」


(三宅久之)
「いやいやハッピーじゃないですよ。愛する娘を殺されてハッピーな者がいますか。ハッピーじゃないけども、それくらいのことをしなきゃ殺された娘が浮かばれないと思うんですよ。私は殺された者の家族に成り代わってみて、許せないと思ったら許せない。」


(菊田幸一)
「だけどね、相手を殺すことによってね、その後の人生を悩み苦しんでいくことに・・・」


(三宅久之)
「いいですよ、それが自分が選んだ道なんだから。」


(菊田幸一)
「世の中は人を殺すということは絶えない。その被害者に偶々なったことは不幸です。だけどその不幸を、どのように遺された遺族が・・・」


(三宅久之)
「そんなキリストみたいな心境にはならない。」


(福島みずほ)
「一方で、例えば国連で死刑執行停止決議が107ヵ国の賛成で可決しているし、ヨーロッパ、トルコもロシアもみんな死刑の執行を停止している。」


(勝谷誠彦)
「それは大きな詐欺。国の数では3分の2だけど、死刑執行中の国を見てごらんなさい。人口を足したらどうなりますか。なぜ人口比で出さないの。シナもインドもアメリカも入っている。」


(福島みずほ)
「私が言いたかったのはこうなんです。被害者の感情は十分に分かる。その被害者の感情をしっかりケアすることがまだまだ不十分なことも理解しているし、私自身が担当大臣の時に犯罪被害者の担当でもあった。被害者遺族の感情を考えたときに、じゃあフランスやスウェーデンやイギリスや色んな国で、被害者の遺族感情を全く顧みられてないのかと。それは違うと言いたい。」


(勝谷誠彦)
「?・・・そりゃ違うでしょうよ。世界中が死刑を廃止しても、日本だけは守ればいいんですよ。」


(大谷昭宏)
「宅間の件でも、あの小学校のお母さんで、死刑執行されたらむしろ喪失感が多かったという方もいらっしゃる。これから一体誰を恨んでいけばいいのかと。確かに執行することによって遺族が癒されるかどうかということは分からない。だから、あなた方は人の命を奪ったって『癒されない』んだから、そんなことをしたってダメだよと・・・」


(福島みずほ)
「ダメだよと言っているわけではない。」


(亀井静)
「そういう感情に身を委ねていった場合、それで幸せになれるんですか、ということで色んな宗教が生まれているのだと思いますよ。だから赦すということですよ。簡単に言うと。この間イランで、姦通罪で捉えた女性を生き埋めにして石をぶつけて殺すという制度がある、今でも。その執行について、止めてくれという声があがった。中国では何千人も死刑が執行されている。その中には殺人だけじゃなくて泥棒から何から全部入っている。それで、止めた方がいいんじゃないかという反省も生まれてきている。アメリカだってそうです。」


(三宅久之)
「中国で反省なんか生まれてるんですか?」


(大谷昭宏)
「応報刑は絶対にいけないんだと。だから本来は教育刑なんだと。私は逆にね、教育刑の方が余計なお世話だと思うんです。あなたは人の命を奪ったんだから償いなさいという以上のことを国家はすべきではないし、それ以上でもなければそれ以下でもない。『目には目を歯には歯を』というあれは応報の代表みたいに言われるが、目をやられたら目以外のことはやっちゃいけないよ、と限定したからああいう言葉になったが、勘違いされている。
私は被害者の母親が、『どうしてもこの子のために命で償って下さい』と言ったら、それは誰も止める権利が無い、あなたが持っている権利だと。国家がそれを奪うことはできないと。」


(福島みずほ)
「それは権利なんだろうか・・・」


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言うまでもないと思いますが、私は死刑制度に賛成です。
保守的考え方が云々かんぬんではなく、これを全く独立した問題として捉えた上で、死刑制度には賛成します。むしろ今の基準は甘いと考えているくらいです。
上記の議論を聞いていて、つまるところ死刑に反対する人達(菊田・福島・亀井)の考え方というのは以下のようなものであったと思います。


1.死刑があろうと無かろうと殺人は無くならない。(菊田氏)

2.被害者遺族は不幸をどう乗り越え、またどうケアするか、ということこそ大事。(3人とも)

3.殺人被害者の遺族が、犯人に「命をもって償え」と言う権利は無い。(菊田氏は明言、福島氏は強い疑問)

4.死刑が無くなれば「死刑にしてくれ」と言う人は減る。(亀井氏)

5.国家として報復感情を満足させると、国家として成り立たない。(亀井氏)

6.報復感情を満足させても人間は幸せにならない。(亀井氏)

7.「新たに命を奪うこと」以外での解決をすべき。(福島氏)

8.全ての殺人事件で死をもって償えと言うことはできない。(福島氏)

9.犯罪者を自らの手で殺しても幸せにはならない。むしろその後の人生は深く悩み苦しむことになる。(亀井氏、菊田氏)

10.国連でも死刑停止決議が出た。107の国がそれに賛成した。(福島氏)

11.死刑を廃止した国でも、被害者遺族が蔑ろにされているわけではない。(福島氏)

12.赦すということが大事。(亀井氏)



こんなところでしょう。
ちなみに、福島みずほちゃんが常々言っているような、

「死刑とは一人の命を新たに殺すこと」
「死刑は新たな殺人だ」
「死刑は国家による殺人だ」
「死刑は、新たに人を殺して、新たに遺族を作る」


などという死ぬほどバカげた項目はあまり細分化していません。おおよそまとめて一項目にしてありあす。
よろしいですか、これは死刑反対論者の常套手段です。死刑とは、福島みずほが言うように、そもそもの前提として国家が新たな殺人をし、新たに遺族を作るという性質を避けがたく含んでいます。というか、むしろそれこそが死刑ということなわけで、わざわざ言い直す必要は一切ありません。
死刑賛成の人達が「死刑にしても実は生きてるんじゃないか」「死刑というのは国家ではなく誰かの陰謀による殺人ではないか」と思っているとでも言うのか?アホですか?

そしてこれは、私がいつも指摘するように「レッテル貼り」という低脳かつ効果的な戦術にシフトすることが容易です。これは左翼の常套手段です。つまり「死刑とは国家の新たな殺人だ」と言われた時に「そんなこたぁ分かってますが何か?」と言い返せば、


「ここに、『国家による殺人』の肯定者がいる!」

「ここに、『新たなる殺人』の肯定者がいる!」

「ここに、『新たな遺族』を作っても構わないという非道な者がいる!」



ということを、何の努力も無しに得られる(相手へマイナスのイメージを植え付ける)効果があります。上記の赤文字3行は全て単に「彼は死刑制度に賛成の立場です」と言っているに過ぎないのですが、同じ事なのにわざわざ表現を変えて、さも非道な人間であるかのように見せることは、左翼、そしてシナ共産党のお家芸と言っていいでしょう。

従って、当然ながらこれは死刑反対を主張する根拠には全くなりません。なるわけがない。

例えば、

「いかなる場合でも戦争反対!なぜなら人が死ぬから!」

とわざわざ言うことに意味があるのか。
敵が攻めてきたら国を守るために戦う!と考えている人たちだって、そんなことをしたら「人が死ぬ」ということは当然分かっています。分かっていながら戦うと言っているのだから、いちいち復唱する必要は無い。そういう連中は、そこを敢えて言うことによって「こいつは人が死んでも構わないと考えている非人間的考えの持ち主だ!」という薄汚いアピールをしているのです。

そういうことはね、

「ええっ!?国を守るために戦争すると人が死ぬの?!」

といった感じで、相手がそれを知らない場合に復唱して差し上げなさい、福島みずほよ。(そんなこたぁ小学生ですらあり得ませんが。)

残りはまた明日に。


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