思考を消さない。残せば財産! | えほんや通信

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名作童話の電子出版「えほんや」の編集長・原 真喜夫のブログ。こどもの本と教材、雑誌、実用書の編集を手がける編集プロダクション・スキップの代表取締役。アロマテラピーにも目覚める。村上春樹、マーヴィンゲイ、寿司と焼き鳥、日本酒とワイン。

ノートの書き込み

ある日のノート。パズルの連載原稿のラフスケッチ。

消せるボールペンは便利ですが…
まったく使っていません。
ときどき、打ち合わせ中にせっかく取ったノートを
ゴシゴシ消している編集者を見ると、
「う~ん、残念」と思います。 顔文字

自分の思考の跡を、わざわざ消してしまっている。
もったいない。♥akn♥
「これは使えない、失敗だ」とその瞬間には思えても、
あとあと、見直してみれば、
「これって、意外と先に行ってたな」と思うこともあるわけで。

それに、何よりも消してる時間がもったいない。

上に貼付けたのは、ある日のノート。
月刊連載しているパズルのページのラフスケッチです。
大きなバツ印は「今回はボツ」という、自分のチェック。

でも、すべて残しています。
鉛筆は使わず、ほとんど水性ボールペンでがんがん書いています。
それに、消したらもったいないでしょ。
来月は使えるかもしれないから。

算数のできる子、のびる子、考える子
算数教材の編集が長いので、いろいろな子を見てきました。

ノートを見ると、その子ができる子か、
そうでないかは、だいたいわかります。

まちがったときに、消している子、
つまり、ノートに正解だけが書かれている子は
だいたい、伸びない あはは・・・

とりわけ、算数だと、思考の過程がはっきりしているから、
自分のまちがいを後から見直して発見できることのほうが、
まぐれの正解より、ずっと大切です。
「あ、ここでまちがえてる」とわかれば、
脳はずっと学習をするわけです。

だから、正解しかないノートに未来はない 顔 

正解しかないノートを作る子は、きっと
正解がよいこと、まちがいは悪いこと、といったことを
誰かが(たぶん周りのおとなが)その子に
植え付けてしまったのでしょう。

間違いのほうが、よっぽど勉強になるのです。
人は失敗からしか学べません。

正解が用意されているのは
せいぜいが、大学の入学試験まで。
社会に出ると、毎日、
正解のない問題を考えて行くわけですから。

企画力を作るのは過去の蓄積

さて、話は編集者です。

編集者の仕事の
 三分の一が企画、
  三分の一が人付き合い、
   残りの三分の一が校正
だと思います。

重要度では、
校正いちばん、二番が人付き合い、最後に企画

ただ、その企画力は人によって大きな差がある。
とりわけ、日本の教育制度のように
「正解する能力」を、選別の大きな「めやす」と
している場合には、なかなか企画力が育ちません。

とんでもないことは、要求されないから。

でも、編集者に必要とされるのは
「人が考えないような、とんでもないこと
  を考える能力」

なのです。

そんなもの、一朝一夕には身につきません。
ましてや、天から降ってはこない。

毎日、いろんなものを見て、本屋で立ち読みをして、
美術展に行き、映画を見て、友達と話をする
そんな中で少しずつ、頭が耕される。

そして、毎日、考える のです。
考える練習をする。

ピアノは一日休むと、指の動きを取り戻すのに
二日かかるという。
スポーツのトレーニングもしかり。
頭だって同じことです。

毎日、考える。
考えた跡をノートに残す。

そして、それを後で見直す。
自分の思考の過程がわかる。
「あ、こんなありきたりな企画を考えてちゃ
 そりゃ、ボツになるに決まってる」
「ああ、このときには、ここから発展できてない。
 ま、若かったわなぁ」

そうやって企画力を磨くのです。

ラフは鉛筆で描くな。
 思考の跡を残せ。


追加でひとこと。
 まちがっても、消すんじゃない!