朝鮮半島近現代史研究⑪~最終回「暴動とクーデターに明け暮れる現代朝鮮」 |  Egi Shun,s BLOG~歴史教科書から探る史実探訪

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山川出版社刊 『詳説 世界史研究』『詳説 日本史研究』 の記述から、気になる史実を探訪しています。右サイドバーの目次からどうぞ

いよいよ朝鮮半島史も最終回です。序文を書いてから2年、本文を書き始めてから1年半です。

長かったなあ((((;´・ω・`)))

前回・前々回の記事で述べましたように『三・一独立運動(1919年)』以降、朝鮮半島に関する記載は1945年までありません。詳説日本史研究にも詳説世界史研究にも記載はありません。日本の台湾の統治(1895~1945年)に関しても一切記載がありません。

が、詳説日本史研究のまったく別な事の記載に統治ぶりがうかがえるものがありましたので、そのまんま貼ります。
  <詳説日本史研究 384頁より>
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日本は国立の最高学府である帝国大学を名古屋・大阪よりさきにソウルと台北に設立しています。日本の統治は欧米列強の植民地統治とは異なるものだったことが分かる一端ではないでしょうか?

では、朝鮮戦争後の半島について世界史教科書に書いてあることを引用していきましょう。
そんなに文章量は多くありません。とっとと終わりましょうw

詳説世界史研究(山川出版社 2002年版) より書き起こし

 ↑高校教師用の教科書です。
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503頁本文
韓国李承晩政権は反共イデオロギーと国民の反日意識を利用して独裁的体制を築き、中国封じ込め政策をとるアメリカの経済・軍事援助によって支えられていた。

しかし、アメリカの経済援助はかえって農業と零細企業を苦しめ、政府と結びついた財閥系企業だけが優遇された。

1950年代末にはアメリカの経済援助が削減されて韓国経済が不況に陥ると、国民の生活苦への不満と民主化の要求が高まった。
<当時のアメリカ大統領はアイゼンハワー(共和党・任期1953~61.1月)次の大統領がJ.F.ケネディ(民主党)>

1960年4月、学生を中心に民主化と統一および経済的自立を求める革命運動がおこり、李承晩は失脚した。
$ Egi Shun,s  BLOGしかし、学生らの南北統一運動が高まると、翌1961年6月朴正煕(パク.チョンヒ 1917~79 在1963~79)は軍部クーデターをおこした。

←朴正煕(パク.チョンヒ:日本名・高木正雄)

軍政は1963年から民政へ移行し、朴正煕は大統領に就任した。

朴政権は国内的に強権的体制を維持しつつ、対外的にはベトナム戦争に派兵するなど対米依存関係を継続し、対日関係の改善をはかった。

1965年には国内の反対を押し切って日韓基本条約を締結し、以後大量に流入する日本資本をてこに経済発展をはかった。

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ほほうっ!世界史ではこんな記述なんだね。事実上の賠償金(対日請求権)として日本からぶんどった8億ドル(当時のレートは1ドル=360円.固定・)をインフラ整備と経済発展にぶっこんだことは書いてないんだww いちおう日本史の教科書には日本の賠償金について書いてはある。↓
   <詳説日本史研究 480頁より>
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531~532頁本文
韓国・台湾・香港・シンガポールのアジア NIES は外国からの資本と技術の導入によって輸出を志向した産業の育成に成功し、1970年代以後顕著な経済発展をとげて「4匹の昇竜」と称されるようになった。しかし、他方では知識人・学生・都市中産階級や民衆の反政府運動を抑圧し国内治安を維持するため、いずれも権威主義的独裁体制がとられた。

朝鮮半島では、米中接近とデタントの国際情勢を背景に、分断以来初めて南北政府間交渉が進められ、72年統一の原則を定めた南北共同声明が発表された。ところが韓国の朴正煕政権は民間での統一議論を抑えこむため、強権支配を強化する「維新体制」(第4共和政)を発足させた。

これに対抗する民主化運動の指導者で大統領候補であった金大中(キム・デジュン 1925~)は、73年韓国当局によって東京から拉致された。

その後、韓国は第2次石油危機の影響で経済混乱に陥ったが、1979年、朴大統領が側近によって暗殺されると、政治的自由と南北統一を求める運動が高揚した。

しかし、1980年、変革を恐れる軍部は戒厳令をしいて民主運動を厳禁し、抵抗する光州の学生・市民多数を虐殺した(光州事件)。そして同年軍人出身の全斗煥(チョン・ドファン 1931~ 在1980~88)政権が成立した(第五共和政)。
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全斗煥は1984年訪日して日韓関係の強化をはかり、1986年からは原油価格の低落、円高など国際経済環境も好転して韓国経済は順調に発展した。

しかし同時に全政権と一族の不正蓄財が暴露され、全は政権を追われた。

1987年大規模な反政府運動が展開されるなか、与党の盧泰愚(ノ・テウ 1932年~ 在1988~93)は大統領直接選挙制への改憲・政治犯の復権・言論の自由の保障などを認めた民主化(6月29日)宣言をおこない、同年末の大統領選挙で勝利した。

しかし、1988年の国会議員選挙で野党が躍進したため、金大中の平民党を排除して3大政党による保守合同を強行した。

盧泰愚政権はまた、冷戦の終結へむかう国際環境のなかでソウル・オリンピック(1988年)前後から対ソ接近を本格化させ、1990年9月国連で韓ソ国交が正式に樹立された。

また中国との関係改善にも乗り出し、1991年には南北朝鮮の国連同時加盟に成功した。

さらに、1992年の大統領選挙で与党の金泳三(キム・ヨンサム 1927~ 在1993~98)が当選し、1993年2月に32年ぶりで文民政権が誕生した。金泳三は権力者の不正腐敗を摘発して国民の高い支持を獲得し、経済の活性化に取り組んでいる。

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韓国に関する教科書の記載はここまでです。このあとの大統領は、
金大中(1998~2003)・ 盧武鉉(2003~2008)・ 李明博(2008~2013)・ 朴槿恵(2013~) 

年表を少し足しておきます。平成以降の出来事は面倒なのでリンク貼りません。

1985年 プラザ合意
1986年 GATTウルグアイラウンド
1987年 大韓航空機爆破事件
1989年 平成元年・天安門事件・ベルリンの壁崩壊・米ソ首脳会談=冷戦終結
1990年 東西ドイツ統一
1991年 ソ連邦消滅 湾岸戦争

同じページに ↓ の囲み記事もあります。
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本文の記載もどうでもいいというか、こんなに詳しく書かなくていいのに、と思ってキーボード叩いてましたが、これは更ににどうでもいい囲み記事です。

韓国大好きな執筆者の方が火を吹きながら書いたんでしょうか? ww 単なる大衆暴動だよ

1929年の光州学生事件は教科書の本文には記載されてませんよ。

ウイキ先生によるとCategory:日本統治時代の朝鮮の事件というのはこんなにあるらしいんだけど、どれひとつ日本の歴史教科書には記載されていません。

ではさいごに北朝鮮についての記載を引用します。
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540頁本文
朝鮮民主主義人民共和国は、国家指導者としての金日成に党と人民が一体化するという体制を強化した。だが、経済困難に直面しつつ、韓ソ国交樹立・ソ連崩壊・中韓国交樹立という国際情勢の変化で孤立化が進んだ。

局面の打開を北朝鮮は日本との国交交渉の開始(1990年9月)、アメリカとの接触に求め、91年には北東部に自由経済貿易地帯を設置して対外経済開放にも乗り出した。

韓国との関係では、91年5月南北国連同時加盟を果たし、南北首相会談の成果として92年には南北間の「和解・不可侵・交流協力」の合意と朝鮮半島の「非核化」共同宣言が批准された。

その一方で、92年4月の憲法改正では、国家の指導方針である主体思想(チュチェ思想)の独自性を強調し、社会主義体制の擁護を再確認した。

ところが、国際原子力機関(IAEA)が核査察を求めたことに対して、北朝鮮が非協力であったため、核拡散を防止したいアメリカとの間で協議が続けられた。

この間、日朝国交回復交渉と南北対話も停滞したままであったが、94年、金日成が急逝した。97年には金日成の息子の金正日(1942~ )が共産党総書記となった。

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            ~~  お・し・ま・い   ~~


今回の記事の画像の引用元
1.3.5枚目:手持ちの教科書をスキャン
2枚目  :ウィキペディアより
4枚目  :ウィキペディアサイトをキャプチャ





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