• 02 Dec
    • ダジャレーランドFUKUSIMA

        福島市にあります素敵な治療院さん縁さんの入り口にはダジャレーランドがオープンですまさに、笑いの予防医学です(#^.^#) 笑いのレジャーランドです(#^.^#) 大笑いはないですがくすっと笑えるそんな場所ですhttp://seitai-enn.com/ 

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  • 01 Dec
    • 講演会:ご縁の出番でした

       ご縁がご縁になり、紡ぎ、紡がれ本日福島県福島市ホテル辰巳屋さんにて講演のご縁の出番をいただきました。   聞き手の皆さんが本当に素敵な方ばかりで思わず熱が(#^.^#)  ご縁をいただき、本当にありがとうございました。G社様ありがとうございます。感謝    今日は私が一番大切な方のお誕生日でしたので自分自身を振替させていただき感謝で包まれる時間でした。お母さんお誕生日おめでとうございます(#^.^#)

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  • 26 Nov
    • 笑うお食事会のご案内

      http://warauosyokuji.jimdo.com/   輝く大人募集採用と教育研究所 所長半田真仁です。 福島県福島市にあります児童養護施設「アイリス学園」にご縁を頂いております。こんなのんびりした福島ですら、たくさんの子ども達が施設に通われてます。以前は両親が他界された方が多かったそうですが現在は、ネグレクト〔育児放棄〕や虐待がほとんどだそうです。 そんな子どもたちが一番寂しい時期が、年末年始だそうです。 クリスマスがすんだら、施設の約半数の子どもたちは、「短期であれば」「親類の元であれば」と、条件付きですが施設からの帰宅ができるそうです。 一方で、帰りたくともその場所が無い子たちもいます。 そんな子たちは、いつも一緒にいてくれる仲間たちがいつも応援してくれるボランティアのみなさんが家族と過ごしている中でそのまま施設で年を越すことになります。 なにか大人としてできることはないだろうか 考察・・・・。 そこで、子供たちに笑いと感動ランチのイベントを企画させていただくことになりました。 大人が輝くと、子どもが輝く内容としましては、大人が子ども1人分のランチとバス代、そしてご自身の昼食代を負担して頂きます。それだけでなく、ご自身も子どもたちと一緒に食事、アミューズメント施設にて一緒に本気で遊びをしていただきます。 今回の味噌はこれです。ただお金だけではなく一緒に参加していただきます。 ただ、募金するのではなく子どもたちと共に学び、共に成長する。そんなきっかけにして頂けたらと思います。 子供たちは毎年30名前後参されています。そこで、ボランテイアに参加してくださいます大人〔大学生以上〕を30名もしくは、チャリテイー募金を募集しています。 残金が出ましたら施設にかかわる事柄に全て寄付させていただく予定です。 お金だけではなく一緒にすごしていただくことが味噌です。 一年の最後一緒に最高の年末をしめくくり一年に感謝する時間を一緒に過ごしませんか?  ■財布のチェーンや、リング〔指輪〕や、ネックレス、時計、ピアスは身長差のある子どもたちを 傷つける恐れがあるので外してご参加くださいませ。 ■名刺交換、携帯電話、メールなど子ども達に個人情報を絶対に教えないで下さい。〔相手から聞かれた場合も〕 ■写真・ビデオ撮影禁止〔沢山の事情を抱えていらっしゃる子どもたちなのでブログアップ、写真は禁止です。〕 ■子ども達と個人的に次回会うような約束は絶対にしないで下さい。 ■動きやすい汚れても良い格好で参加ください。アミューズメント施設では動き、食事中も汚れることもあります。 ■つめを切ってください〔折たり、子ども達を傷つける可能性もあるので〕 ■禁煙 〔イベント開始から終了後まで禁煙です。喫煙場所もご用意していません。〕 ■なにかご不明な点がありましたら遠慮なく主催者までおっしゃってくださいませ。 ■ボランテイアで東京より医師、学園職員5名参加予定ですので安心してご参加くださいませ ☆イベント終了後懇親会の予定はありません。 ☆参加者同士の名刺交換も予定していません(原則禁止)。 ☆丸一日、子ども達と純粋にただただ遊んで、子ども達と語っていただくのみの一日になります。 あくまでも、子どもが真ん中、主役の一日にさせていただくために大人たちのための楽しいサポートサプライズの予定はございませんのでご理解のほどよろしくお願い申し上げます。  第8回 笑うお食事会日 時:2016年12月29日 10:00~14:00場 所:福島県郡山市 恩野菜横塚店 (〒963-8803 福島県郡山市横塚2丁目1−6)募集人数:50名参  加  費 :1万円〔子供1人の食事+ご自身のお食事代+子供へのお土産+子供の移動費1名分〕※ジャージ等動きやすい格好でご参加ください ◆当日タイムスケジュール 10:00 参加者集合。店舗内にて事前研修 11:00 子どもたちが温野菜に到着 交流 班分け 11:30 アミューズメント施設へ 12:50 食事会場へ移動 13:00 食事 14:30 食事終了→子ども達お見送り→全体研修(大人のみ) 15:30 終了予定 16:00 子供たちは、施設到着

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  • 25 Nov
    • [お詫び]田坂広志 先生特別講演会中止のお知らせ

      2016年11月25日講演中止 【田坂広志氏 特別講演会】 中止のお知らせとお詫び 平成28年12月17日(土) 田坂広志氏特別講演会『人物のまち・福島県のリーダたちへ~いかに生きるか 震災後の新たな日本を拓く7つの言葉~』講師である田坂広志先生の体調不良により、残念ながら中止のやむなきに至りましたことをお知らせいたします。 講演を心待ちにしていただいた参加予定の皆さま方、ならびに関係者の方々には、突然の開催中止となり、多大なご迷惑をお掛けしますことを、心より深くお詫び申し上げます。なにとぞご理解を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 採用と教育研究所

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  • 22 Nov
    • SK出版 のぞみという生き方

      三重県生まれ 京都府宇治市在住 のぞみ鍼灸接骨院所属 http://www.nozomi33.com/ 著者小川先生...ご両親が盲人の息子さん小川さんの小さな頃の夢はお父さんとのキャッチボールだったそうです。 サッカーはボールに鈴をつけてながらされていたそうです。そんな小川先生の半生記心あったまる大切な書籍が法政大学坂本教授の日本一大切にしたい会社にも掲載されました 株式会社こんのさんの運営されています福島県福島市 福島駅近くの 宮脇書店さんにてなんと、 レジ前にて発売していただいています。宮脇書店さんありがとうございます。http://www.e-hon.ne.jp/bec/SF/ShotenHome…株式会社こんのさんありがとうございます。 小川さんおめでとうございます。この小冊子の売り上げは福島ひまわり里親プロジェクトにて福祉作業所さんの工賃などにご寄付いただけます。ありがとうございます。 などにご寄付いただけます。ありがとうございます。 もっと見る+4 

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  • 20 Nov
    • SK出版 のぞみという生き方

      3.「のぞみ」との出会い大分前になりますが、鍼灸学校の2年生の時に学校の友達に誘われ、「訪問マッサージ」のセミナーに行ったことがありました。最初は、全くその職種に興味が無かったのですが、学生は千円で行けるということで、軽い気持ちで参加しました。そのセミナーで積極的に手を挙げて質問している先生がいました。その人が「小嶋道範」だったのです。その時はお母さんの「小嶋章子」先生もいました。どうしても気になって、セミナーの休憩時間に少しだけお話をさせていただきました。その時、「うちで働かないか?」と声をかけていただきました。その時は、今の「のぞみ鍼灸整骨院」ができる半年前だったため、お断りさせてもらいました。それで、先ほどの自費治療をしている治療院に勤務しました。その後、この業界に失望し挫折をしていた時、鍼の勉強会に参加する機会がありました。するとそこで小嶋章子先生から声をかけていただきました。「うちの息子に、誰か良いお嫁さん候補はいないかしら」と気さくに話しかけて下さいました。前回お会いしてからちょうど1年が経っていました。「こんな自分のことを覚えて下さっていたんだ」と、正直驚きました。そして小嶋先生は「もう一度、うちの息子に会ってみない?」と誘ってくださいました。私はカイロと鍼の職場で働いていたため、「このまま辞めて小嶋さんのところで働いたら、逃げる事になるんじゃないか」「院長にバレたらどうしよう」と、迷いました。ただ、同時に、「もしかしたら、今の環境を変えるチャンスかもしれない」。そう思い、お会いすることにしました。小嶋からはもう一度、「うちで働かないか?」とお誘いがありました。それから、散々迷いましたが、「この人ともう一度やり直すつもりで一からここで頑張ってみよう」と思いました。 平成16年11月1日、私はバイトとして「のぞみ鍼灸整骨院」の一員に加わらせていただきました。

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  • 19 Nov
    • SK出版 のぞみという生き方

      2.治療家業界への失望・挫折 高校を卒業してから、名古屋の柔道整復師の専門学校に入学しました。「いずれ将来にわたって、ずっとこの仕事をしていくから、せめてバイトは別の業界の仕事をしたい」と考えたことと、「遊ぶお金が欲しい」という理由で、居酒屋のバイトに明け暮れていました。学校やバイト先では気の合う友人に囲まれ、楽しい学生生活と厳しいテスト勉強を繰り返していました。卒業し、国家試験に合格したのと同時に、次は鍼灸マッサージの学校に進学することを決めました。京都の学校を受験して合格。第二の学生生活を始めました。私はその時、すでに柔道整復師という国家資格を持っていたので、これを生かして整骨院で働こうと思い、面接で合格し、働かせてもらいました。初めて働く整骨院。国家資格を持ってはいましたが、業界や専門用語については全く理解していませんでした。柔道整復師の学生時代は、テストや国家試験の勉強をしていただけで、現場のことなど全く勉強してきてはいなかったのです。それでも整骨院の院長は、一から少しずつ色んな事を教えてくれました。私も新しい経験を重ねていきました。その整骨院はオープンしたてで、まだ患者様もそんなに多くなく、「さあ、ここから頑張っていくぞ」という勢いがありました。そんな中でマッサージを練習したり、検査法を勉強したりして、患者様を初めて治療させていただくという経験もしました。そこで貰った「ありがとう」の言葉は今でも忘れられません。しかし、それが当たり前になってくると、その感動がどんどん薄れてきて、「もっと技術を身に付けたい。経験もしてみたい」と思うようになり、新たな職場で働くため、退職しました。その後は短期のバイトで、整形外科でのマッサージのバイトをさせてもらうことになりました。そこは個人医院の整形外科で、私の仕事は外来の方のマッサージを10分で淡々とするという内容。勤務は午後の3時間でしたが、患者様が多く、1日20人は治療させてもらっていました。当時の私の関心は、「いかにスキルを上げるか」ということでしたから、たくさんの患者様を触らせていただく経験というのは、本当にありがたかったです。しかし、それも毎日続いてくると、患者様が数字にしか見えてこなくなりました。しかも技術指導を受ける訳でもなく、スキルアップする訳でもなく、何と無く物足り無くなってきました。短期のバイトだったということもあり、辞めさせてもらいました。仕事のやりがいも大して感じず、また「患者様が数字に見えてくるこの業界は何なんだろう」という疑問も湧きました。益々、私の関心は、技術だけになっていきました。そして次のバイト先に選んだのは、自費の治療を行うカイロプラクティックと鍼を使う治療院でした。特別な治療法をしているため、「この内容なら」と思い、働かせてもらいました。その院では本当にいろんなことを教えていただきました。技術の前に患者様と接する姿勢、心構え、掃除、学ぶ態度、思いやり。治療技術を覚える前に大事な事を厳しく教わりました。当時の院長は本当に厳しくて怖い人でした。私は院長に叱られるのではないかと、その目を気にして萎縮し、ミスをどんどん繰り返しました。患者様の名前は覚えられない、掃除は適当にする、集計は合わない、言葉遣いはおかしい。今まで治療技術さえあれば患者は来る、たくさん患者が来れば儲かると感じていた私は、自分の仕事の出来無さや、思いやりの無さ、その他の事も全く出来ていないという事実に直面して、どんどん自信を失っていきました。何をするにも院長の目が気になって消極的になり、最後には患者様の前で白衣を着て立つのが怖いというところまでいってしまいました。こんな自分が患者様に「先生」と呼んでもらう資格は無いと本気で思うようになりました。この業界に対して挫折し、この業界を辞めようと考えました。同時に、この業界に対して失望感も抱いていました。  

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  • 16 Nov
    • お世話になっている橘企画 橘会長のコラムより 今朝は石巻倫理法人会に参加しました。 講師は倫理研究所の中西参与(昔マムシの中西と呼ばれたとご自身で話されました) 今朝のテーマは「目」で大変参考になる話でした。 他人指向・・・人の(目、口)が気になる。 中西参与が昔千葉のあるご婦人に言われた一言『中西さんは生きた人を相手にしているから・・・』 『えっ?どういうですか』と聞き返すと 『私はなくなった両親、主人、丸山敏雄先生の目を見て生活をしている』と言ったそうです。 全く普通のおばさんと思っていた方が思わぬことを言われたので、その方に対して見る目が全く変わったと・・ 生きている人は嘘をつき、それは目に現れますが、亡くなられた方の目はそうではありませんからね、と仰ってました。 ・人生とは「目と目」の対決(吉川英治) ・目はごまかしがきかない ・目は口ほどにものを言う ・目が覚める ・目が笑う ・目は心の窓 ・目に角がある ・目力 ・目を丸くする・・・等々 心内面が整わないと→目に出てくると  な、な、なるほど~のお話でした。たしかに、日本一大切にしたい会社クラロンさんでもご他界された田中善六社長の目を大切にされていました(#^.^#)  

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  • 15 Nov
    • 人物のまち 福島

      [人物のまち福島]福島県にあるいい会社さんです(#^.^#)株式会社クラロンは、福島県福島市にある学校体育着の専門メーカーとして、「みんなが望む健康、みんなに優しいスポーツウェア」を経営理念に掲げ、東北、新潟県、栃木県、茨城県所在の幼稚園、小学校、中学校、高校約1,200校の園児、児童生徒に体育着を提供しています。さらに、官公庁、病院、企業に品質の良い機能的な製品も提供しています。近年では、介護分野にも進出し、ウェアや生活着などの現場に応じた機能・デザインを細かく受注できることを強みとしています。また、本業である体育着の分野でも、1学年10人に満たない学校からの受注や、特殊な規格外サイズの対応、あるいは身体障がい者用の特別仕様の体操着制作なども行い、更に小ロットに特化した戦略が功を奉し、好業績を保っています。株式会社クラロンは1956年2月に肌着の製造販売業として、田中善六さんによって創業されました。その後、1964年の東京オリンピックを機に、これからはスポーツの時代になるということで、体育着の製造に転換し現在に至り、今年2016年で創業60年を迎えました。 そんな歴史のある株式会社クラロンは、2015年3月に行われた、第5回『日本でいちばん大切にしたい会社』大賞で厚生労働大臣賞を受賞しました。受賞理由として、創業以来、障がい者の正規雇用に取り組み、現在の障がい者雇用率は実雇用率35.1%(重度ダブルカウントを含む)と福島県トップの実雇用率を誇り、また、高齢者雇用・女性雇用にも積極的で、1956年の創業以来、今日までの長年に亘り、障がい者、女性、高齢者を顕著に数多く雇用されているからです。 しかし、障がい者雇用には苦労が多かったのです。 自閉症のあるAさんは情緒不安定になると、奇声を上げ続けます。そんな時、創業者である田中善六さんはAさんを倉庫に誘い、大声を出させることで情緒を安定させていました。このような状況を2年続けました。また、善六さんは社内でAさんを見かけるたびに、Aさんの肩をトントンと叩くと、Aさんはニコニコして仕事に戻るようになっていきました。 善六さんが2002年3月に他界し、善六さんの妻である専務の田中須美子さんが社長となります。しかし、最愛の夫、絶対的存在だった夫を亡くし、絶望のあまり立ち上る力を失いました。 そんなある日、須美子さんが工場に入ると、Aさんが「肩、肩」と言って駆け寄り、「社長さん、頑張って!」と声をかけてくれました。Aさんの行動が須美子さんの心を動かし、胸を熱くさせました。 「主人はこの世を去っても主人の魂はこの子の心の中で生きている」 この出来事は、会社を継続することはもちろん、社員一人一人の母となることを須美子さんに決意させます。 日本の障がい者雇用に関する法制度は、1960年の「身体障害者雇用促進法」から始まり、 1976年には障がい者雇用が義務化されます。2015年には「従業員数50人以上の企業」は障がい者を「従業員の占める割合が2.0%以上」雇用することが義務化されました。しかし、年々改善されてきていますが、対象事業所における実際の雇用率は「1.88%」(平成27年 厚生労働省)と、まだ下回っているのが現状です。 その点、株式会社クラロンは1956年の創業時から18%(正社員17名のうち3名)の障がい者雇用があり、現在は35.1%を誇っています。 創業当時から現在にかけて、なぜ高い障がい者雇用率を保つことができるのでしょうか。 現会長の須美子さん(91)はこのように語っています。 「障がい者を雇用しようと思ったのは、義務感によって雇用したわけでもありません。自然なことです。女性を雇用することも自然。高齢者を雇用することも自然。自然だから持続しているのではないでしょうか。」 善六さんは陸軍士官学校を卒業後、戦地で耳を損傷してしまい、聴覚が不自由になってしまいました。そんなことからも、田中夫妻にとって、障がい者は特別な存在ではなかったのです。普通のことであり、自然なこと。そのような考えが、障がい者雇用率に表れているのです。 そして、障がいを持っているから仕事ができないということは決してありません。障がいをもつ社員は、単純作業でも飽きずに集中し続けることが得意で、無遅刻無欠勤が極端に少ないのです。年末の仕事納めの際に、その1年間無遅刻無欠勤の社員に社内で表彰しています。どんな理由であろうと1秒であっても遅れたり、休んだりしただけで表彰の対象になりません。そのくらい厳しいルールにし、価値のあるものとしています。昨年は12名表彰されましたが、そのうちの10名が障がい者です。そんな彼らの姿は健常者のお手本となり、「障がい者は大切な戦力です」と須美子さんは言い切ります。そのような考えも障がい者雇用率の高さに表れています。 須美子さんは「働く障がい者から学んだ美しい心は、私共の人生をも変えて、人が人を育て、1人も疎かにしない教育の大切さを教えられ、今やその考えが会社内にしっかり根を下ろしていることが何よりありがたいことです」とおっしゃいます。 障がい者を雇用することは義務化されているとはいえ、企業にとっては並大抵なものではないでしょう。しかし、株式会社クラロンのように障がい者雇用を通して、社員一人ひとりが学び、成長していくこともできます。 そして、須美子さんはこのようにも言います。 「雇ってあげているという考えは間違いで、自分のほうが支えられ、励まされ、元気をもらっています。少子化で体操着の売り上げは減っており、経営環境は厳しい。けれども、“この子たち”(障がい者)の『働く喜び』を守るためにできる限り雇用を続けたい。そのために企業としてきちんと利益を生みたい」と。■株式会社クラロンの3つの考え株式会社クラロンでは、理念「みんなが望む健康、みんなに優しいスポーツウェア」に3つの想いが込められています。 1つ目は、お客様が購入しやすい価格。 2つ目は、機能性です。どんなにかっこいいデザインであっても、すぐに傷んでしまってはいけない。子どもであれば3年くらい同じ体育着を着続けることを考えても機能性の高い商品を製造すること。 3つ目は、どんなに少ない人数からの注文も受け付ける。 これら3つの想いが創業の理念に含まれています。 この創業の理念の他にも、会社として大事にしている考えが2つあります。 1つ目は、「人が人を育てる」です。障がい者を社員みんなで育てていく。それを通して、健常者・障がい者ともに成長していく。もちろん、健常者同士でも同じく成長していく。そのように互いを助け合い、協力しながら仕事をしていくことを意味しています。 実際に、採用時は仕事をするのも難しかった障がいを持つ社員も1年後には、健常者に仲間入りするほどに成長していた出来事がありました。それは、職場の方々の温かい理解と協力によって仕事ができるようになることで生まれる喜びが喜びを生み出し、さらに仕事に興味と楽しさを培っていったからです。 2つ目は、「1人を大切にする」です。この言葉は創業者の田中善六さんの言葉です。障がい者を雇用していく中で、一人として脱落者を出さないようにしていくことが大切で、そのために、教育をしたり、適材適所を見極めて仕事をさせたり、作業を分割化したりと工夫を凝らしています。そして、障がい者・健常者関係なく社員一人ひとりを大切にする想いが込められています。 障がい者にとって、自分に合った仕事ができることはとても嬉しいことだと思います。そういう場所に、親も障がいを持った子どもを就かせたいと思うでしょう。現会長の須美子さんからこんなエピソードを教えて頂きました。 ある個人経営の電気屋さんがあり、須美子さんはそこでよく電化製品を購入していました。ある日、その電気屋さんが、「近くに引っ越しました」と須美子さんのところへあいさつに訪れました。ただ近くといってもクラロンからまだ距離があります。 ある時、ランニングパンツを須美子さんはその電気屋さんに「息子さんに履かせてください」と言って差し上げると、電気屋さんから「うちの子がランニングするようになればいいんだけれどね…」と返ってきました。その時初めて、須美子さんは電気屋さんの息子が障がいを持っていることを知ります。それから数年後、また電気屋さんが訪れて、「また近くに引っ越しました」とあいさつに来ました。1年経ち、息子さんが養護学校を卒業したので、電気屋さんが訪れて、「息子をクラロンに就職させてくれませんか」と相談され、快く引き受けました。 須美子さんは、その一連の出来事を振り返り、電気屋さんが息子をクラロンで働かせるために、引越しをしていたことに気が付きます。ことわざに「孟母(もうぼ)三遷(さんせん)」という言葉があります。これは、孟子の家族は、はじめ墓地の近くに住んでいましたが、子どもの孟子は葬式のまねばかりして遊ぶので、市場の近くに引っ越します。ところが、今度は、孟子が商人の真似ばかりするので、今度は学校の近くに引っ越します。すると、孟子は礼儀作法を真似るようになり、これこそ教育に最適の場所だとその地に定住したという故事。つまり、子供の教育には、良い環境を選ぶことが大事だということを意味しています。 障がいを持つ子どもの親は我が子のことを非常に心配しています。「1人を大切にする」クラロンであれば安心できると、電気屋さんは思ったのでしょう。この子は今素晴らしい戦力となって勤続27年を迎えました。 「創業の理念」「人が人を育てる」「1人を大切にする」、これら3つの考えが創業60年を迎えた今でも、社内で根を下ろしているからこそ、障がい者雇用、女性・高齢者雇用につながっています。■創業者田中善六さんの生涯 このような会社の土台を作ってきた、創業者の田中善六さんはどのような方だったのでしょうか。 「皆に優しく、正義感溢れる人」と須美子さんはおっしゃいます。ある日、障がいの子が言い争いをしていたそうです。その内容を聴いてみると、1人は「社長さんは偉いんだよ」と言い、もう1人の子は「いや、違うよ。社長さんは”友達”なんだよ」と言っていました。そこで、善六さんは、「社長っていうのは、あなたたちの”友達”なんだよ」と言って、その場を収めたそうです。そのエピソードから、善六さんの優しさに加えて、心の温かさも感じられ、健常者も障がい者も関係なく、親しみやすい方だったのだと感じられます。 善六さんは1922年5月15日、福島県福島市で生まれました。六番目の子どもだったので、善六と名づけられます。子どものころは、日が暮れるまで、真っ黒になって遊ぶわんぱく坊主でした。そのため、勉学が疎かになっていたようですが、努力を重ねて、旧制福島中学に入学します。しかし、気持ちは中途半端で勉強に身が入らず、そんな善六さんにお父さんは怒り、田畑に連れ出し、家業の手伝いをさせます。そんな姿を同級生に見られ、恥ずかしい思いをし、真面目に勉強をするようになります。そして、陸軍士官学校に合格。そこで、厳しい教育を受けます。 21歳の時、フィリピンへ配属。当時、日本は太平洋戦争中で、戦況は厳しくなっていました。善六さんが22歳の時、戦闘中に右耳を損傷。それ以来、善六さんの右耳から音が遠くなります。 戦争が終わり、1946年に親類からの紹介で、管財支所に嘱託就職することになります。そして、1年後の1947年に須美子さんと結婚。しかし、この年、GHQによる公職追放令で、善六さんは官職を失ってしまいます。職を失ってしまいましたが、世話する人があって、ある建設業で働きます。当時、肉体労働者には”加配米”といって米の配給量が加算されていました。それを水増しして支社に請求することが常識だったようで、善六さんは「節を曲げない」ことを肝に銘じて信念を貫いてきたため、不正は苦痛でした。この一件などに嫌気がさして半年ほどで会社を辞めることにしたのです。 1948年に知人の紹介で、東京の疎開工場だったガラス会社に就職。そこで労を惜しまず働きます。 しかし、善六さんは人間関係のこじれなどから1955年に辞表を書きます。ちょうどそのころ、クラロンの前身である「綿メリヤス」工場を手放したいという話が出てきます。山形の経営者で、義母と知り合いの関係から善六さんも資本参加していた会社でした。 善六さんは妻須美子さんの賛成も得て、その会社を買うことにし、資金集めに奔走することになります。やっとのことで資金をつくり、1956年2月に創業しました。初めはリヤカーを1台購入して、これに製品のメリヤス肌着を積み、自転車で引きながら売って歩きました。創業当時は「綿メリヤス」の社名で商売していましたが、1959年2月に「クラロンメリヤス」に社名変更しました。倉敷紡績の糸と、鐘渕化学のカネカロンという糸を使っていたので、「倉(クラ)」と「ロン」を組み合わせて、「クラロン」と名付けます。 ところが、これが大きな問題になります。化学企業グループの「クラレ」の商標、特許を侵害してしまいます。善六さんは、大阪府にあるクラレ本社に行き、必死に謝り、悪意のない過失だったと釈明し、今後、誠意をもって償うことを訴えました。それによって、クラレ側と心が通じ、賠償金を免除する代わりに、2つの条件を出されました。1つは、3年以内の社名変更。2つ目はビニロンの糸を使ってトレーニングシャツを作ること。 早速、善六さんは会社で白のトレーニングシャツを作り、学校の市場開拓に全力をあげます。 1964年の東京オリンピックを前に、白のトレーニングシャツは飛ぶように売れます。しかし、スポーツ・体育着用品は流通が固定化され、新規参入が非常に難しく、当時、がむしゃらにストレートな学校攻勢をかけていたので、既存業者から”異端児”扱いされ、締め出しをくらってしまいます。 それでも、東京オリンピックをきっかけにスポーツウェアは全盛を迎え、会社の業績も伸び、倉敷紡績はもちろん、クラレも次第に応援してくれるようになり、商標も不問にされ、かえって倉敷紡績から技術者を派遣して製品の品質向上に大きく寄与する結果となりました。 1968年、善六さんにとって、大きな出会いがありました。それは、「国際ロータリー」との出会いです。 ロータリーの精神は、「職業を通じて社会を奉仕する」です。善六さんもロータリークラブの会員となり活動していくなかで、「私に出来る奉仕とは、何だろうか?」と考えるようになります。 そのころ、時を同じくして養護学校の先生が「教え子を縫製工として雇用してほしい」と頼んできました。その生徒は面接しても返事はなく、動作も鈍そうで弱々しく、善六さんもこれには渋りました。それでも、その先生は「障がい者、特に知的障がいの子どもは働きたくても、会社が雇ってくれない。私はこの子をどうしても自立させてやりたいんです。田中さん、どうか使ってみてやって下さい。この子だって、いい点はあるんです」と熱っぽく訴えてきました。この訴えを聞いて、善六さんはその先生の教育愛に感動し、パッと何かが閃きました。「そうだ、働く場がなくて困っている障がい者に、職場を提供することは、ロータリーの職業奉仕にかなうのではないか」と。この時、善六さんは障がい者に雇用の門戸を開くことを決心します。 しかし、その子は職場に拒否反応を起こします。そこで、善六さんは時間の許す限り、一対一で仕事を教えますが、何度も挫折感を味わい、いっそのこと投げ出そうとも思います。 そんなある日、善六さんがその子に「上手にできるようになったね」と何気なく褒めてあげると、「はい」と返事をしてくれました。その顔を覗き込んでみると、素晴らしい笑顔で、善六さんもこのときの嬉しさは、何にもたとえようがない、ただただ嬉しくて、胸が熱くなったと話しています。採用して1年半後のことでした。仕事は遅いけれど、まじめに黙々と働くその子の姿に、善六さんはその子の隠れた能力を発見した喜びを感じ、「障がい者にも必ずいい点がある」と言ったその子の先生の言葉は本当だったと確信します。その子によって、善六さんの”奉仕”の目が開き、障がい者雇用の促進が善六さんのライフワークになります。1956年創業当時すでに3人の障がいのある子を採用しておりましたから、特別な負担はありませんでした。 しかし、「クラロンで働いていると、変な目で見られてお嫁に行けなくなる」といって辞めていく人がいたり、ある中学校の就職担当の先生が「あそこは、まともな者が行く会社じゃない」と蔑視したと聞いたりします。それでも、善六さんは働きたくても働く場が少ない障がい者たちに、可能な限り門戸を開いてやりたいと信念を曲げませんでした。むしろ、それらの言葉から健常者も、障がい者も、同じテーブルに座っての教育が必要であったと、反省していました。 1971年、11月には善六さんが発起人となり、養護学校の先生をはじめ、福島市教育委員会、福島公共職業安定所、事業所などの協力を得て、福島市中学校職能開発研究協議会を発足します。そこで、障がいのある生徒が、それぞれの能力に応じて仕事に打ち込み、ひとり歩きできるようにと願いを込めて、職場での適応訓練や、事業所と学校、行政側との研修会(勉強会)、生徒対象の職場見学、そして、職場実習の協力等々の活動を積み重ねていきます。それによって、徐々に成果が出始めて、生徒たちが職を得て、喜々として働き、健常者にひけをとらない働きぶりと真面目さが高く評価されるようになっていきました。 それからの善六さんは、一生懸命ロータリアンとして生きていく中で、国際ロータリー第253地区のガバナーというトップリーダー、国際ロータリー会長代理という大役を務めることになります。その他にも、福島成蹊女子高等学校(現福島成蹊高等学校)の理事長、福島県心身障害者雇用促進協議会会長なども務めます。 そして、2002年3月、善六さんは癌でこの世を去ります。 このような生涯を経た善六さんには、常に影のように寄り添い、温かく、時に厳しく、そして、岐路に立ち迷ったときには必ず、行く手を照らす優秀なサポーターがいます。妻須美子さんです。結婚が1947年ですから、様々な挫折、浪々、独立と荒海を一緒に乗り越えてこられています。善六さんも「会社もロータリーも、妻なしでは語れない」といい、善六さんの不自由な右耳の代わりになっていたそうです。そして、善六さんは「夫唱婦随、ときには婦唱夫随で偕老同穴」と須美子さんとの信頼関係をとても固いものであると述べています。二人三脚で共に生き、そして、現在は善六さんの遺志を継いで、会長である須美子さんと社長である氏川守義さんでクラロンを成長させています。■守り続けた言葉 生前、善六さんは、ロータリアンとして、4つのことを守ることにしていました。1つ目は、真実かどうか。自分の行動一つ一つが正しいのかどうかを常に自分の中で問いながら生きていく。2つ目は、みんなに公平かどうか。これは誰でも同じように接するということではなく、しっかり仕事をした方に対してはそれなりの評価を与えたり、教育したりするというとらえ方です。3つ目は、好意と友情を深めるか。人に対して、好意を持つ、友情を持つことを常に想って人と接する。4つ目は、みんなのためになるかどうか。自分のやっていることが常にみんなのためになっているのか。 この4つのことを「4つのテスト」といって、自分の行動・言動を常に反省して守るようにしていました。 また、善六さんが亡くなり、須美子さんが善六さんの机の中を整理している際に、 笑顔を絶やすな あいさつしたか 感謝したか 油断はないか 満足の一日だったか と書かれたメモが出てきました。これらの言葉は善六さんが生前いつも口にしていた言葉でした。須美子さんはこのメモを善六さんの写真とともに写真立てにいれ、机の上に飾っています。 特に、須美子さんは「感謝する」ことを大切にされています。「クラロンでの仕事は私だけではできない仕事。みんなが真剣に仕事してくれるからこそ、私が今生きていられる」と社員の皆さんにお話されています。また、障がい者雇用に関してもこのように語っています。 「障がい者の採用は学校側からの依頼が多いです。養護学校の先生からお話を受けて、採用したのは全部ですね。だから、学校の先生にも感謝しているんです。こういうチャンスを作ってくれたことに。」 そして、「油断はないか」という言葉を常に忘れないように、善六さんが戦後建設業の仕事をする際に履いていた地下足袋を大切にし、当時の苦しかった生活のことを常に胸に置いて油断しないように、心の戒めとされています。 その他にも善六さんは、善六さんのお母さんからの教えを大事にされていました。例えば、「謙虚に生きよ」や「世のため、人のため」が挙げられます。そういった1つ1つの教えが善六さんの中で生き、それが行動に表していたからこそ、周りからの信用信頼も厚かったのでしょう。■褒める善六さんは、障がい者に指導するうえで、大切にしていたポイントがありました。それは「褒める」ことです。指導者たる人は、注意を与える前に、必ず正鵠(せいこく)を射るような褒め言葉を与えることが肝要であるとして、褒めることの地道な取り組みが、障がい者にとり、やがて希望や夢を育んでいくものと善六さんは考えていました。 その「褒める」ことに関するエピソードを教えていただきました。B君という力が強く、言うことを聞かない、気にくわないことがあると手当たり次第に物を投げるという障がいの子がいました。善六さんもこれには困り、一計を案じました。ある日、工場の通路に裁断した反物を置いてもらい、そこを歩いてわざと転んで、大きな声で「あ~痛い」と言うと、近くにいたB君が「社長、どうした」と脇に来て言いました。それには善六さんも嬉しくて、さらにB君の名前を大きく呼びながら「B君は、優しい心を持っているね。私だから良かったが、他の人だったらケガをするではないか。どうだ2人で片付けよう」と40kgもあるその反物を担ごうとしたら、B君が「社長、腰を痛めるから俺一人で担ぐ」と言って自分から進んで片付けてくれました。反物は置き場所によって、通路をふさぎ、それが事故の要因になります。B君は、その出来事以来、自分の任務の一つと思って反物の片付けをするようになりました。ところが、善六さんがいるときはいいのですが、他の社員に「たまったから、片付けて」と言われると、ぷいとどこかへ行ってしまうのです。 そこで、善六さんはその社員に「君たちの言い方が悪いんだ。相手にやさしい言葉を考えなければならない。反物がそこにあることによって、どれだけの人に迷惑がかかるか、生産が落ちるか、無ければどれだけ人が助かるかということを順序よくかみ砕いて繰り返し教えることが必要ではないか」と伝え、B君には「君の力は素晴らしい。その力のおかげで、みんなが本当に喜んでいる。君が片付けてくれた通路を安心してどんどん歩けているじゃないか。それほど大事な仕事を君にあずけているんだ」と言い聞かせました。 その後、B君は50kgもある反物を一人で担いで整理するようになります。善六さんは時々手伝いに行ってみたのですが、「これは俺の仕事で、社長の仕事ではない」と手伝わせてくれませんでした。 そんなあるとき、B君が風邪で会社を休みました。そして、その日にB君の母親から電話がかかってきて、「社長さん、うちの子どもは38度5分の熱があるの。そして、うわごとのように、『俺が会社に行かないと社長が困るから』と言っているけれど、うちの子どもが会社へ行かないと何か困るようなことがあるのですか」という内容でした。善六さんは、それを聞いたとき思わず涙を流しました。B君は心の底から会社を思う気持ちになった、そんなに立派な子どもに育ってくれたのです。そして、障がい者が美しい心、責任感や陰ひなたのない心を持ち合わせていると善六さんは強く感じたのです。 「褒める」ことを繰り返すことで、社員に喜びを感じさせ、それを通して仕事に対する自信や誇りを持たせ、能力を引き出すきっかけになるのです。■美しい人間の生き方 善六さんは障がい者から「美しい人間の生き方を学ばせていただいている」とおっしゃっていました。その1人であるC子さんのエピソードを紹介します。 C子さんという素直で温和な性格の方が入社しました。C子さんも障害のある子で、入社後の職場適応訓練では、単純な反復作業が健常者の5割程度の能力でした。一方、時間をかけて正確に仕事をこなそうとする面がある方でもありました。1年間、教えるほうも教わるほうも血のにじむような努力が重ねられ、どうにか仕事をこなせるようにまでなっていきました。しかし、仕事に慣れるにつれて集中力が失われ、持久力に欠けてきました。善六さんは仕事を教えている社員に、諦めずに根気強く技術の習得にあたるよう伝え、こまごまと指示を与え、指導してくれたおかげで、C子さんは仕事がうまくできるようになりました。いつの間にか、C子さん自身よりも善六さんの方が、確実に進歩するC子さんの仕事ぶりに期待するほどになっていました。 そんなC子さんは仕事を通して成長されたのですが、彼女にはある言葉が支えとなっていました。 「私の将来の夢は人の役に立つことです。私はどんなことをするにものろのろで、うまくいきません。人に迷惑をかけます。この会社に入ったら一生懸命頑張って、人の役に立ちたいと思っています。母がつねづね言います。『あなたにもできるところがある』と励ましてくれます。私はこの言葉を信じ、一生懸命働きます。」 これは、C子さんが入社したとき書いた作文の一節です。この文章にもある、「あなたにもできるところがある」というC子さんの母親の言葉が彼女に力を与え、C子さんの挫けようとする心を奮い起こしてくれたのでした。 のちに、C子さんは成人を迎え、成人の日には、C子さんの母親が1年も前から用意してくれた着物を着て、「早く社長さんに見せたくて!」と両親とともに挨拶に来られたそうです。「お陰様で!こんなに立派に成長しました。社長さん!」あとは言葉にならず、母親の頬には涙が流れていました。 善六さん自身、障がい者とのふれあいがなかったら、美しい心を美しいと感ずる人間にはなれなかったろうとおっしゃっています。そのくらい善六さんの中で障がい者と共に仕事をし、時間を過ごすことの影響は大きかったのです。■働くことが楽しい株式会社クラロンでは、障がい者雇用以外にも、女性・高齢者の雇用も積極的に行っています。 従業員数は全体で134名ですが、そのうち100名が女性で、そのうち12名が管理職に就かれています。その一人である、営業課長の小手森タンさん。80歳。定年は65歳と規定されていますが、クラロンでは希望で1年毎延長することが可能なので、会長からは「死ぬまでここにいなさい」と伝えられているそうです。 小手森さんは「働くことが楽しくて仕方がない」とおっしゃいます。会社に居場所があり、自分の能力を思う存分に活かせ、それを通して自分の価値を見いだせているからこその言葉です。それは健常者だけではなく、障がい者にとっても同じです。 一時期入院されていたD子さんがいました。退院しても普通は何日か休むだろうと思っていたのですが、その子は退院した次の日に出勤してきました。しかし、病み上がりですから、貧血で倒れてしまいました。そこで、須美子さんは「休んでもあなたのことを退職にしないから、休みなさい」と伝えて、次の日休ませました。また次の日も休むだろうと思っていたのですが、次の日出勤しました。この時、須美子さんは、D子さんが親に「早く出勤しないと会社をクビになるかもしれないから出勤しなさい」と言われたのだと思い、親のことを心の中で快く思っていませんでした。その出来事から数年後、D子さんの親と会う機会があったので、「どうしてあんなに早く出勤させたのですか?」と尋ねたところ、「本人が『早く会社に行きたい。会社に行って働くのが楽しい。そして、お友達にも会いたい』と言うもんだから、仕方なく出勤させたんです」と言われました。クラロンが働く人にとって心の支えであり、楽しい職場であることが分かります。 高齢者は能力が落ちているわけではありません。むしろ、経験が豊富で、会社としてはずっと働いてほしいと思っています。それに応えるかのように、働いている方も自分の能力を活かしたいと思ってくれています。また、障がい者であっても、優れている点やできることは必ずあります。このように人を活かせる会社の環境づくりが行き届いているところもクラロンの強みです。 ■伝承伝達 創業者の善六さんのメモにあった「感謝したか」を会長である須美子さんも大事にされていますが、社員の方もやはり大事にされています。 営業課長の小手森タンさんと係長の荒川富士栄さんは、善六さんの月命日に14年間一度も欠かさずお墓参りに行かれています。なぜ、欠かさないのか尋ねると、「私は何も知らないのに、ここに雇っていただいて、ここまで成長させてもらったことに感謝しています。その感謝の気持ちを本当に何万分の一しか返せないけれども、少しでも返すという気持ちで行っています。月命日に行くのは自然なことで、当たり前なことです」とおっしゃいます。 そして、小手森さんは、会長が何気なくお話される言葉をいつもメモされています。その言葉を通して、勉強し、学んでいるのです。 感謝の気持ちを忘れない。善六さんの遺志は須美子さんの中で受け継がれ、その須美子さんの言葉から社員の皆さんへと伝承伝達され、社員の皆さんの精神の中でも生きている。 善六さんが大切にされてきた想いを社内で受け継いでいるところも、クラロンの強みの1つと言えそうです。■生き続ける想い 今のクラロンは、田中夫婦が二人三脚で誠心誠意を持って会社を創設し、障がい者雇用、女性・高齢者雇用と向き合い続けてきたから存在します。そして、これからも障がい者雇用、女性・高齢者雇用は大事に続けていきます。そのためにも、進化をし続けることが求められます。スポーツウェアの受注の大多数を占める学校であっても、まだ開拓できるところがあります。開拓を行うためにも、営業の人財育成を行い、新たな商品開発も積極的に行っていきます。 創業60年を迎えても、まだまだ勢いのある株式会社クラロン。その源となっているのは、障がい者の働く喜びを守りたいという、田中夫婦の優しく、そして、熱意のある想いです。その想いは会社、そこで働く社員の皆さんの中でこれからも生き続けていくでしょう。 ※重度ダブルカウント…身体障がい者、知的障がい者のうちの重度障がい者については、1人雇用しても2人雇用しているものとみなされる制度。(敬称略)

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    • SK出版 のぞみという生き方 2

      1.生い立ち―盲人である両親のもとに生まれて 盲人(ここでは「視覚障害者」ではなく、家族でいつも使っている「盲人」を使わせていただきます)であり、治療家である両親のもとに私は生まれました。両親は目が見えないというハンデがある中でも、私にたくさんの愛情を注いで育ててくれました。そして両親は自宅で治療院を営みながら治療家という志事を身近に感じさせてくれました。私にとっては、子供の頃からその環境が当たり前であり、何の不自由もなく育ちました。両親の目が見えないという事で、幼い頃からどこかに出かける時には、両親の手を引いてガイドをしながら、「ここに段差があるよ」「これはこんな色だよ」などと伝えていました。我ながらよくできた子供だと思います(笑)。そのような事をして両親や周りの人たちに褒められるのが、とても嬉しかったのを覚えています。そのような環境があったからこそ、人より簡単な事でも親孝行ができていたのだと思います。両親からすれば、目が見えないということで、私に対して申し訳ない気持ちがあったと、あとで話してくれました。しかし私が幼い頃は、そのような事も感じさせず、伸び伸びと育ててくれました。自宅の前が公園で、鈴の入ったボール(鈴の音でボールの飛んだ方向が分かるため)で私と一緒にサッカーで遊んでくれました。また、ガイドヘルパーの方や友人と一緒に、遊園地やぶどう狩りなどに連れて行ってくれ、私の友人を集めて誕生日会をしてくれました。今でも鮮明にその時の記憶は残っています。そんな中でも、私はそれを当たり前と感じて反抗期があったり、家出をしてみたり、友達と悪さをしたり、いろんな迷惑をかけてきました。高校時代は反抗したり、勉強を全くしなかったり、両親を困らせてしまいました。母は小さな円形脱毛ができるほど、私のことを心配してくれました。やはり両親は、「目の見えない親だから」と、人一番大事に、また人一倍気を使いながら、他人に迷惑がかからないように私を育ててくれていたのだと思います。しかし、当時の私は、その想いに対して鬱陶しく感じていました。 それでも、朝早く学校に行く時間に合わせて朝ごはんを一緒に食べたり、部活で遅くなる私の帰りを待って(当時は、夜の9時、10時は当たり前でした)、一緒に晩御飯を食べてくれたりと、精一杯の関わり方をしてくれていました。小学校、中学校、高校と進学していくにあたり、私は特に何かやりたいことがありませんでした。幼い頃は「プロ野球選手」とか、「飛行機のパイロット」とか、人並みの夢を持つ少年でしたが、少しずついろいろなことがわかってきました。「どうせ無理!!」「そんなの自分がなれる訳ない」など、自分の価値を下げる癖が付いていました。部活の先輩などからは「お前のうちはマッサージやってるから、お前もうまいんやろ?マッサージしてくれ!!」などとよく言われました。当時の私は、「喜んでくれるのは嬉しいけれど、自分が疲れている時に言われるのは嫌だ」と思いました。また、「実家が治療院やっているのなら、跡を継ぐんやろ?」聞かれることもありましたが、なぜか恥ずかしさ半分で、「そういう仕事はしないよ!!」と言っていました。高校2年生の時、真剣に自分の進路を考えました。すると、今まで見てきた両親の仕事が、なんとなく面白そうに思えました。そして、目の悪い両親の元に帰って来られるということもあり、両親と同じ道を志すことにしました。実は何かを成し遂げたいとか、どうしてもこの仕事がしたいとか、この業界に賭けていきたいという「想い」もありませんでした。ただ「なんとなく」、この業界が自分の身近にあったことで、治療家を目指そうと思いました。

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    • SK出版 のぞみという生き方

        弊社にて出版させていただきましたのでこれから毎日少しづつ公開させていただきます。 本当に素晴らしい一冊になります。  はじめに 私は20代の頃、実家の三重県に帰って開業することを目標にしていました。盲人である父母が営む「小川三療院」の後を継いで、一緒に仕事をしながら暮らしていくことを考えていました。あの頃は、朝から晩までがむしゃらに働き、目標に向かって突き進んでいました。結果として今は、ここ「のぞみ」に残り、この場所で仲間達と自己実現をしていくと決めました。そして私には2人のとても大事な子どもがいます。「のぞみ」で自己実現を果たし、子ども達に誇れるような仕事をしていきます。 私の人生理念は、報恩感謝を基に行動し、家族・仲間・患者様・地域・業界に貢献すること。そして両親や仲間の想いを次の世代に伝承し、地域を元気にし、日本を元気にしていくこと。私の人生ビジョンは従業員という立場で、この業界の良さを存分に発揮する「志事(仕事)」をして、この志事の良さを伝えていく。盲人の治療家の方たちに、「目が悪くなって良かった。なぜならこの志事に導かれたからね」と言ってもらえるような影響力のある人生を送っていくこと。その志事を子供たちが見てくれていて、憧れを持ってくれて、「自分もここで働きたい」と心の底から思えて、「ここで働いて良かった」と思えるような会社を今の仲間たちと作っていくこと。その考えに至るまで、さまざまな出来事や体験がありました。たくさんの出逢いや変化がありました。そうしてここまで来ています。 本書では、その経験を書かせていただきます。

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  • 14 Nov
    • どん底からはいあがった 男達

       南相馬にありますホンダカーズさんの震災以降、震災以前からの取り組みの事例が掲載されていました。 もともと、車が売れるごとにワクチンを一つ寄付されている取り組みを震災以前からされていてあり方を大切にされている会社さんです。震災があったときには 本田宗一郎ばりの奥さんがにこにこどっしりと穏やかにサポートしてくださったそうです。 どん底からはいあがった男  立の陰には女性あり(#^.^#) いつの世も女性には感謝ですね。     世界を一つにするには宗教か女性のリーダーが世界にたつこと 脳科学のカリスマ西田史朗郎先生

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  • 10 Nov
    • 国語の先生はすごい・素敵

        先日、福島県内の高校国語課の先生向けのご縁の出番をいただきました。そこで改めて考えさせていただいたのですが、社会という言葉をきいてみますと明治に英語からの翻訳で当てられた文字らしいのですが、国語はそのまま国語だそうで 日本の魅力、日本人の良さを伝承伝達する科目が国語だったんだということを改めて気づかせていただきました。 考えてみますと、こうしてブログを書かせていただく力読ませていただく、読む力お伝えさせていただく話す力 すべての基本を国語で教えていただいていたんだとハッと気づかせていただきました。指摘で変わる科目ではなく愛情をかけてじっくり時間がかかるそんな科目でもありいきなり答えは出にくい教科のようですがあらためていままで小学校、中学校、高校でおしえていただいた高校の国語の先生に感謝を感じさせていただく一日で磨かせていただきました。 福島県高校国語教員の先生方ありがとうございました。感謝   

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  • 28 Oct
    • 停電して感じたこと

      先ほど、事務所周辺エリアが停電しました。 せっかく、突然の停電で真っ暗なので事務所のみんなでろうそくを囲んでお茶会。改めて、電気が通っていること、パソコンを使わせていただいていること、ありがたいですね~(#^.^#)...明るいだけでこんなにもほっとするんだと実感です。なにより真っ暗でも手馴れて、ろうそく出したり、ご近所と会話して状況をみたり、お茶会を準備してくれたり 笑顔がでる社内に本当にスタッフのみんなが素敵だと感謝です。  当り前の日常こそ特別の毎日ですね。

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  • 12 Oct
    • 笑うお食事会のお知らせ

      笑うお食事会のお知らせ日本一不親切なチャリティイベント「笑うお食事会」を今年も開催させていただきます。 12月29日(木)に、福島市内の児童養護施設の子どもたちと遊び、語らいながら食事をする ボランティアの皆さんを募集しています。        <イベント詳細> 日 時:2016年12月29日(木) 10:00~15:00 場 所:福島県郡山市 恩野菜横塚店 (〒963-8803 福島県郡山市横塚2丁目1−6) 募集人数:39名 参 加 費 :1万円〔子供1人の食事+ご自身のお食事代+子供へのお土産+子供の移動費1名分〕   ※ジャージ等動きやすい格好でご参加ください     ▼笑うお食事会 特設サイト http://warauosyokuji.jimdo.com/   ▼お申し込みチラシはこちらからダウンロードいただけます ※PDF形式

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  • 11 Oct
    • YELL新聞vol.13ができました

       YELL新聞vol.13ができました  採用と教育研究所発行の社外報YELLの第13号が出来ました。   今号では、第5回「日本でいちばん大切にしたい会社 大賞」にて厚生労働大臣賞を受賞された「株式会社クラロン」様特集を掲載させていただきました。   ▼YELLvol.13 株式会社クラロン特集(PDFでご覧いただけます)  <クラロン製オリジナル点字Tシャツ限定販売中!>     

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  • 07 Oct
    • なるほど

      今日、藤倉保険企画の藤倉さんが子供たちの旅行保険をかけるためにご来社してくださいました。  そこで、教えていただいたのは 半田さん。40歳までは家族や、先祖の徳で守られている  そこを過ぎていくとここからは今までのあなたの生き様や  あり方がすべて今後は反映するようですよ。 いままでと他者からも自分自身もちょっと変化して物事が見えてきますよと  教えていただきました。  なるほど。 なるほど。 40歳という年齢が近づいていくこと それぞれのステージの味があるんだなあと 91歳の会長が先日教えてくださった 90代だからこそ見えるものがあるから楽しみにしていてねという 言葉に共通するなあと  今日も未熟な自分を磨いていただきました。  感謝   田坂広志氏 特別講演のご案内 [福島市開催]  12月17日(土)、田坂広志氏を特別講師として福島市にお招きし、講演会を開催させていただきます。 福島県のリーダーに立つ皆さまにおすすめの講演です。     人物のまち・福島県のリーダーたちへ ~いかに生きるか震災後の新たな日本を拓く7つの言葉~         ■開催概要 日 時:平成28年12月17日(土) 15:00―17:00(受付14:30) 会 場:ホテルサンルートプラザ福島 参加料:お一人様10,000円(税込)  特別講師:田坂広志 氏 1951年生まれ。東京大学大学院修了。1981年同大学院修了。工学博士(原子力工学)。米国シンクタンクを経て、1990年、日本総合研究所の設立に参画。2000年より多摩大学大学院にて社会企業家論を講じる。同年、シンクタンク・ソフィアバンクを設立。2008年より世界経済フォーラムのGACメンバー。2011年内閣官房参与。2013年全国から2600名を超える経営者やリーダが集まり「変革の知性」を学ぶ場、「田坂塾」を開塾。著書は国内外で80冊に及ぶ。 ▶未来からの風-田坂広志公式サイト- ■お申し込み方法 1お名前 2企業名 3電話番号 4住所 をご明記の上、FAXまたはE-mailでお申込みください。 ・FAXでお申し込み ▶▶▶申込用紙ダウンロード ・E-mailでお申し込み ▶▶▶申し込みページへ FAX:024―529―5794 MAIL:info@saiyoutokyouiku.com   お振込みが確認でき次第ご案内書をお送りいたします。【振込先口座】ゆうちょ銀行 二二九店 当座預金 0139462 採用と教育研究所 ■申込締切 12月12日(月)   ■アクセス ホテルサンルートプラザ福島(福島市大町7-11) ●JR福島駅 東口より徒歩10分 ●東北自動車道 福島西IC、飯坂ICから車で約15分     ■お問い合わせ 採用と教育研究所 TEL 024-529-5153 MAIL info@saiyoutokyouiku.com   

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  • 06 Oct
    • 小さなご縁が時間を超えたご縁に

      広島の友人が、福岡のお兄さんの結婚式に参加すると花屋さんに出会い。 花屋さんがひまわりプロジェクトに興味をもたれ、ご参加いただき ひまわりを取材してくださいましたNHKさんが その花屋さんの福岡に転勤になり取材をしていただき そのテレビをみた高校生たちがスイッチが入り 一昨日から三日間福島に遊びに来てくださいました。 本当に最近の若者は素晴らしいですね(#^.^#)  それを支える大人たちも。ようこそ福島へ     [内堀福島県知事]  [知事室にて][福島県教育委員長] 福島民報社さん 記事[今日] http://news.goo.ne.jp/ar…/fminpo/region/fminpo-50632364.html福島民報社 さん[福島に行く前] https://www.minpo.jp/news/detail/2016093035074東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から5年半が過ぎた「福島の今」を学びたいと、福岡県大牟田市の高校生4人が10月4日から3日間、県内を視察する。高校生は花のオブジェを制作・販売し、旅費の一部を自ら捻出した。県内では復興に向けて取り組む県民と交流を深める。 県内を訪れる生徒は、福岡県立ありあけ新世高3年の末藤真優さん(17)、久間明日香さん(18)、中村恵理子さん(17)、田中美樹さん(18)。松本雅子教諭が3月に震災5年を報じるテレビ番組を見て、生徒に福島について話をした。生徒から「5年が過ぎるが、何も知らない」「自分たち高校生は福島のために何ができるか考えよう」との声が上がった。 3年生15人が「被災地支援プロジェクト」を始めた。生徒は大牟田市で福島県産の花を販売し、福島の復興を応援している生花店・グリンピース磯浜の支援を受け、花のオブジェを作り、大型商業施設で販売した。 訪問する一人、田中さんは「自分の目で福島の今を見て、どんな支援が必要かを考えたい」と思いを語る。 生徒は学校の秋休みを利用して、木本和宏校長、松本教諭の引率で来県する。津波被災地や原発の避難地域を訪れる。県農業総合センターで農産物の安全検査を見学し、食に関するNPO法人から話を聞く。■相馬高新聞部が同行 相馬市の相馬高出版局(新聞部)の1、2年生3人がありあけ新世高の視察に同行し、現状を伝える。 南相馬市の小高駅前や浪江町請戸地区などを一緒に訪れる。2年の大谷亘さん(16)は「相馬市の復興は進んでいるが、避難区域ではまだ途上にある。震災の傷痕が残る被災地を見て、被害の甚大さを理解してほしい」と望んでいる。[高校生の皆さん][志ある県の職員さんと]

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  • 05 Oct
    • 日本一大切にしたい会社 掲載記事紹介

      独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構様発行の高齢者雇用の総合誌「エルダー 10月号」に「株式会社クラロン」の田中須美子会長のインタビュー記事が掲載されていましたので、ご紹介いたします。            「日本一大切にしたい」オリジナル点字Tシャツ <限定販売のご案内> 採用と教育研究所より、「日本一大切にしたい」オリジナル点字Tシャツが出来ました。【限定200枚】    このTシャツは、女性、高齢者、障がい者を職場の主役に学校運動着などを作る 「株式会社クラロン(福島県福島市)」で製造しています。  

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    • KUMAMOTO

        熊本地震がら半年熊本募金を以前告知させていただきましたがそこでご縁をいただきました竹下さんが主催してくださいます。  以下熊本竹下さんより  【半年イベントやります!!】 震災から半年の節目となる今月の10/15(土)にイベントを、福島のひまわり里親プロジェクトにご協力をいただき、開催することになりました! 当日は、福島の方に、ひまわりのプロジェクトを通しての福島の復興に向けた経験や想いなどを、お話しいただく予定です。 その他にも、熊本でのプロジェクトの話や、熊本の子供達が描いたひまわりの絵の展示などを行う予定です。...詳しくは、案内を下記に添付しておりますので、そちらをご覧下さい!会費制にしておりますが、 当日に黄色の服か小物などを身につけてきていただいた方は、 無料でご参加いただけます!!たくさんのご参加お待ちしております!! 

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プロフィール

半田 真仁

自己紹介:
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