アダマーの神


沖縄では、「人は死んだら、土に帰る」ということがよく言われる。これは聖書の中で、神がアダムとイブに語った言葉と全く同じである。

あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに(死んだ後は)土に帰る。あなたは土から取られたのだから。(口語訳)」(創世記3:19

沖縄の創世神話の中に、天の神が人間を造る場面があるが、その時も「土」が使われる。その他にも、類似点がある。「土」という材料が同じだけでなく、神の形に似せて人間を形づくるところ、また神が息を吹きかけると「生きるもの」となるという内容も、聖書の記述とそっくりである。

人間は「土」で形づくられたが、この「土」は、原語のヘブル語で「アダマー」である。アダマー(土)から造られた最初の人間なので、語呂合わせで「アダム」と名づけられた。つまり「アダム」の名は、「アダマー」に由来する。そして興味深いことに、昔の沖縄の人は、葬式の中で、人が亡くなって土に帰る時に「アダマーの神よ」と呼びかけて祈ったのである。以下に祈りの内容を記すと、

「アダマーの神にお願いします。○○が亡くなりました。どうぞお願いします。骨は朽ちることなく、時が来るまで、神の守りの中においてくださり、肉は肉開かせて土に帰してください。人の霊は、天の国の親加那志(ウヤガナシ:天の神。加那志は様の意味)が清めて下さり、受け取ってください。天の神々へ、この世の者たちからのお願いは、○○が生前、神を畏れない行為や罪があったなら、どうぞ私たちに、その罪科は負わせないでください。」(月刊レムナント「沖縄のユダヤ文化」久保有政著)

ここで「アダマーの神」と呼んでいるが、沖縄ではこの神は創造主とされている(「おきなわルーツ紀行」小林ゆうこ、与儀喜美江共著)。この「アダマーの神」は「アダムの神」あるいは「土で人を造られた神」ということであろう。古代イスラエルでは、神に祈る時に「先祖の神よ」「アブラハム、イサク、ヤコブの神よ」と呼びかけて祈ったが、「アダムの神よ」と呼びかけてもよい。聖書の神ヤハウェは「アダムの神」でもある。

また、この祈りの内容も、非常に聖書的な祈りである。「骨が朽ちることなく、時が来るまで」とあり、世の終わりの死者の復活の時を祈っているようであり、それは非常に聖書的な観念である。実際に、聖書には枯れた骨が、復活するという預言的な箇所もある(エゼキエル37章)。また先祖の罪咎が、子孫に影響するというのも聖書的な観念である(出エジプト20:5)。