1996年1月のピンボケ写真 | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

例によって紙の山を片付けていると、


水色の封筒から十数枚のプリントの塊が落ちてきた。


日付スタンプを見ると1996年の1月7日だ。


何か内々の新年会だったのだろうが、どうも不安で仕方がない。


写っている人々の顔に、二人をのぞいてまるで見覚えがない。


しかもその二人はもう、この世の人ではない。


撮影した人間は察しが付く。したがってその人物も写っていない。


かなり酒の入った状態でシャッターを押していたのだろう、

ほとんどすべてがピンボケだ。



編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks-1996年のピンボケ1


1996年と言えば16年前になるが、ほとんど同じだ。時代の気分は今とほぼ変わらなかったという記憶がうっすらと蘇ってくる。


同じなんとなく不安定な感じ、気分がもう20年も続いているのだ、

ということにあらためて気づかされることになった。


3月11日は、ケジメのようなものになると思えたし、


今でもそうあることはできるはずだが、なんだか覚束ないのは、

単に人の正常性バイアス的な喉元過ぎればだけではないという気がする。


96年と言っても1月7日のことだから、まだあの1995年を意識は、しょっている。


あの年もかなり大変な年だった。


ケジメなく、同じ不安のようなものが漂い続けるなかを、


今年もあっと言う間に暮れていくのだろう。


ケジメは「明日への責任」などで付くようなもんじゃない。


三丁目の夕陽を、あんなふうに使い回すのは、お願いだからやめてくれ。


生命至上主義と平和主義の限界を、


浪花節的できそこないの国威発揚で突破できるかのような


発情もよしてくれ。


どちらにしても、国民的生命の土壌喪失に気づかない、


もしくは見て見ぬふりする


引かれ者の小唄に過ぎない。



編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks-1996年のピンボケ2