心理カウンセラーのマダム・ラニエが
面談のため我が家を訪ねてきてくれました。
公園ではカメリア(椿)が咲き始めました
家で面談ができるというのは
かしこまらず、ラフな感じでフランクに話ができます。
やっぱり蕾のまま終わりそうな薔薇
まず
ドキソルビシン&カルボプラチン療法の1回目の投与を終えたけれど
その後、約1週間はとても辛くしんどかったこと
このまま治療を続けていくと、心身ともに疲れ切ってしまうと思うし
今は、投与室へ行きたくないという気持ちになっていて
もう治療を止めるつもりでいることを、ひととおり話しました。
できたばかりの蕾。これはどこまで開くかな
治療を止めたいという話は、以前にも彼女に話したことがありましたが
「治療を止めたい」と聞くと
やはりすぐに思うのは
「生きることを諦めてしまうのか」ということのようです。
そう聞かれたので
「生きるのを諦めるのではなくて
多少、生きる時間が短くなっても
よりよく生きたいので治療を止めたいのです。」と説明しました。
「よりよく生きたいというのは具体的にどういうこと?」
そんなふうに質問を繰り返しながら
マダム・ラニエは私のいろんな気持ちを引きだしてくれます。
教会の手前の菩提樹は、すっかり葉を落としました
いろいろ話しているうちに
私から「もし家族がいたら、事情は違ったと思います」と言ったのですが
その瞬間に、亡き相棒の姿が浮かんで
「あ~、もしあの人が今いてくれたら
いろんなふうに私を勇気づけてくれただろうなぁ」と
彼の仕草や表情が見えてくるようでした。
南仏時代のある冬、珍しく大雪が降ったことがありました。
その日、出かけようとした私に
「これを着ていきなさい。温かいから」と自分の厚手のオーバーを貸してくれました。
私には大きくて、ちょっと不恰好でしたが
ほんとに温かくて、それを着て出かけました。
そのオーバーのように心の温かい人で
何かあれば、何をおいてもすぐ駆けつけてくれると信じられる人でした。
あの人がいたら
もっと何とかして治療を続けようという気持ちになっただろうか・・・
いや、勇気はもっと湧いただろうけれど
治療を続ける勇気ではなくて
やっぱり治療を止めて、より充実した時間を過ごす勇気をくれるのではないかな。
グレーの空の下で、灯りの灯ったお店の窓をを見るとほっとします
マダム・ラニエと話しているうちに
自分の素直な感情が自然と表に出せたような気がします。
だからといって、何かよりよい方法が見つかるとか
新しい決断ができるというわけではないけれど
心のもやもやはすこし晴れたのではないかと思います。
治療に関しては
とにかく次回は一旦お休みして
治療なしでの体調の様子を見ながら
その先のことを考えていこうという話になりました。
石の建物の色がグレーの空と溶け入りそうです
さて、先週末には森を歩いてきました。
友人夫妻が車で近郊の森まで連れて行ってくれたのです。
もちろんカシューも一緒です。
あ~、久しぶりに嗅ぐ森の香り
幸せ~
ちょっと偵察に行ってみたくなります。
森の中のこの湿った感じ
この横道も歩いてみたいな。
小さい頃から
点呼をとるのが得意なのです。
手前の黄葉した葉が美しい樹はカジカエデのようです。
広大なトロンセの森もあるのです。
なんだかんだいっても
私たちは、晩秋を堪能しているのでありました」