野の花カルテ2 ” ビビとビビ ”
『あらゆる患者さんを好きになることは不可能。
でもあこがれはある。どうしたら好きになれるか。
イソギンチャクを思い浮かべる。
何本もの触手があって、1本が何かにふれてビビと来ると全体が縮む。
僕ら医療者も触手を持っていて、患者さんの何かに感じてギュっと患者さんを包み込む。
いろんな触手を増やしていくこと、それが宿題だ。
去年の冬、92歳のおばあさんが受診した。
柔和な日焼け顔、お百姓さんだった。顔を見て、僕の触手はビビとなった。
胆嚢ガンの末期。本人には胆石症と告げた。
しばらく家への往診、となった。
家は谷の村。山や川を見ながら車で走る。
僕の疲労は飛ぶ。
「まあようこそ」と庭先まで笑顔のお迎え。
そのまま田んぼの向こうの清流岸の畑に案内された。
たわわな柚子の木。
「取りなんせー」
おばあさんの部屋から稲田や里山が見えた。
横断が強くなって入院。
「胆石じゃあないでしょ?」。僕を見つめた。
「胆のうがんです」。
その瞬間、シワの刻まれた顔がピクッとなった。
生まれて初めて、92歳の人のピクッを見た。
心は何歳でもふるえる。 僕の心も共振した。
「わし、せんせいのことだいすきです」
昔は照れた。今は照れない。
「診療所で死なせてつかんせえ」
僕の手を握った。 握り返した。
患者さんもイソギンチャクの触手を持っている。
ビビ。 僕もビビ。 亡くなった。
患者さんからの好意は医療者を包む。
包まれた経験が、患者さんへの好意につながる。』
何度読んでも涙が出てくる。 周りに人がいなくて良かった。
今も涙を拭きながらかいている。
なぜ涙が出るのか分からない。
おばあさんがかわいそうなのか、患者と医者の心のつながった姿に感動したのか?
理屈はどうでもいい。
とにかく感動した。
自分からでたものは自分に返ってくる。
人への好意は忘れないようにしたい。