【ヒーローを探せ!】
幼い頃からいろいろな事がしたかったんだぁ。
探検家とか、
刑事とか、
パイロットとか、
宇宙飛行士とか、
スタントマンにも憧れてたなぁ。
中学校に進む時
なぜ学校に通う理由を聞いてみた。
「一般教育だから。。。」が答えだった。
高校に進む時
なぜ高校に行くのか聞いてみた。
「そんなの決まってるんじゃん.高校に行かなければ落ちこぼれだよ。
大学に行けないじゃん。。。」が理由だったなぁ。
大学受験の準備をする時
なぜ、みんな大学受験勉強を必死に取り組むのかなぁ?って聞いてみた。
理由はやっぱり、
「お前、本当に頭悪いよなぁ。。。。
大学行けないと会社に入れないだろう?」
平凡の公立高校に通う自分は
2年生から大学受験勉強のために理系、文系を選ばなくてはならなかった。
「どんな職につきたいかもわからないのに、
どうやったら理系、文系を選べるの。。。。?」
結果、
いろいろな“テスト”を受けたなぁ。。
「性格判断テスト」
「職種判断テスト」
「心理テスト」や
「IQテスト」まで。。。
音楽、スポーツが好きな自分にとって
文系、理系なんてどっちでもよかったんだぁ。
テストの結果も本当にアイマイだったっけ。。。
理論的な考えがあるが、創造力は豊とか。。
理系であるが、文系でもある。。。
「なんだそりゃ?。。」
でも学校が選ばなくてはいけないって言うからねぇ。。
得意ではない学科を上げてみた。
古文、国語、英語、歴史、社会、物理、数学。。。。
「あら。あら。 ほとんど全てじゃない。。。汗」
悩んだ末、
当時学校で教えていた先生の中から自分の好みを決める事にしたんだぁ。
物理の先生はいつもニコニコ。 教科書の内容以外で面白い話ばっかりだなぁ。
理科の先生はとってもきれい。。。笑
数学の先生はとても尊敬する方だなぁ。。
英語の先生。。。 絶対に嫌だ。。いつも下を向いていてつまんないし。。
結果、理系を選択する事にしたんだぁ。。
いよいよ大学受験。
でも、心の奥ではなぜ大学に行くのかがわからなかったよ。
模擬テストで決める“偏差値”から「行けそうな大学」を選んで、
その大学で過去に使われた試験例を勉強して。。
大学の向こう、「会社」には全く興味が無かったから。。
というより、会社ってなんなのかも知れなかったしねぇ。。
受験勉強中もバンド活動に集中したり、
いろんなスポーツに明け暮れていた。。
参考書を買うのは良いけれど、
机の上に右から左へきれいに並べて、
ホコリがかぶってたなぁ。。。悲
大学なんて受かる訳がないよねぇ。。
そんなんじゃ。。
人生で最初にもらったラベル。。。「落第」
我ながら、なかなかのスタートってわけだ。。汗
問題は自分だった。
問題は自分がどんな職につきたいかわからなかったんだぁ。
悩んでも、悩んでも、
両親には本当に悪いけど、
やっぱり、自分はどんな職につきたいのかなんて。。。
アルバイトをしている時、バーテンダーを勤めた時があるんだぁ。
その時は、カッコいいバーティンダーになりたかったなぁ。
バンド活動をしている時は、
憧れのバンドのようになりたかったなぁ。。
でも彼らの私生活をみていると、自分にはあっていないような気がしていた。
世の中には沢山の「職」があるわけで、
自分は沢山の「職」に興味があったんだよねぇ。。
そうやってフラフラしている時、 事故に遭ったんだぁ。
全てが吹っ切れて、職なんて後から付いてくるって思った。
社会からすれば、「落第」、「落ちこぼれ」。
別にこれといった「失うもの」や「ラベル」も無かったから
「もう少し自分勝手に生きてみよう」って思ったよ。 あの時。
当時の夢は「外国人みたいになりたいなぁ。。」
見かけや、英語をしゃべる人に憧れていた自分にとって
そんな漠然とした夢しかなかったよ。
アメリカに渡って場所が一転しても
今までに抱えている問題「どんな職につきたいか?」が
影となって付いてくる。。
外国に行って、英語がわかるようになってきても、
結局、自分はどんな職につきたいのかはわからない。。
「このままじゃ、また落第は時間の問題だなぁ。。。」
外国には全くコネもないから、
最初は短大(鉛筆を転がしてTOEFL試験パス!)へ入学。
寮生活を始めたよ。
ルームメイトのトニーと仲良くなってねぇ。
休みにはいろいろな場所にキャンプに行ったんだぁ。
ある日、山中で遭難してねぇ。
たいした事はないのだけど、
僕たちはインデアン保留地に紛れ込んでしまったんだぁ。
当時アメリカ人がインデアン保留地に入る事は許されていなかったから、
僕たちも村の村長さんのところに連れて行かれてねぇ。
トニーが英語で申し訳ないって話してたけど、
村長さんは英語が話せないし。。。
自分もなにか映画のようなシーンだったから
あっけにとられていたなぁ。。
幸運な事に村長さん“赤い羽”(後に“コーヨーさん”と呼んだ)と自分は
英語が話せない同士、仲良くなってねぇ、
後になっても、彼を訪ねることになったんだぁ。
ある日コーヨーさんに相談したよ。
「自分は将来、いったい何になりたいのかがわからないよ。。」
「ダイスは音楽が好きだし、スポーツも万能だねぇ。
幼いころは探検家や刑事になりたかったんだねぇ。。」
コーヨーさんはそう言うと
「ちょっとこっちにいらっしゃい。 面白いものを見せてあげよう。」
【ヒーローを探せ!】
彼が見せてくれたのは
自分が生まれて初めて見た「建築」だったんだぁ。
やさしい表情で彼は、
建築とは「アートと機能のバランスをとった住み家」って教えてくれた。
建築は「衣食住」の中の一つで、
人として生まれた大切な行動に関わっているって。。
建築は「人を理解することで、一生をかける価値がある」って。。
父親が建築家である自分にとって
建築は「何か難しい設計図」みたいなイメージだったけど、
小さいころから、“ジェームスボンド007”みたいなロマンも感じてた。
でも、建築って落ちこぼれの自分にはほど遠いものって感じてたし、
毎日遅く帰ってくるお父さんを見ては、
仕事ばっかりでつまらないなぁ。。って勘違いしていたんだぁ。。
そんな時、
コーヨーさんは建築の面白さや
建築が与えるインパクトみたいなものを
難しい言葉無しで教えてくれたんだぁ。。
「そうかぁ。。建築ってアートみたいなものなのかぁ。。」
「でも、きちんと造らないと人や社会に迷惑がかかってしまうんだぁ。。」
何より一番インパクトがあった瞬間だった。
僕はコーヨーさんがとてもカッコいい人に見えたんだぁ。
仕事をするコーヨーさんも、
私生活のコーヨーさんも。
村の人々がコーヨーさんを見る姿も。。。
僕にとってはコーヨーさんは“ヒーロー”だった。
始めて身近に感じた“HERO”。
僕はコーヨーさんのようになりたかった。
それから、急遽大学へ進もうと思った。
建築を勉強して、建築家になろうって思ったんだぁ。
当然、
勉強は大変で今までサボっていたことを全て吸収しなくてはならなかったけど、
好きなことは誰だってできるんだよねぇ。
会社に入るために勉強していたら、
絶対にできなかったかもしれない。
漠然に建築職につこうって思っているだけでは、
絶対にできなかったと思うんだぁ。。
今考えてみるとねぇ、
最初の質問から間違っていたんだよねぇ。
「どんな職につきたいか。。。?」
そんなのわかる訳ないよ。
経験していないのだから。。。
「どんな人に憧れるか?」
「どんな人が自分の憧れの仕事/私生活をしているのか?」
そういう質問をするべきだったんだよねぇ。
もう一度やり直せって言われたら、
僕はヒーローを探す旅にでるよ。
遠い外国へ行く必要もない。
周りの人々や本を読んだっていいんだぁ。
ヒーローをいつも探していれば、必ず見るかるよ。
多分、とても身近な場所でねぇ。
コーヨーさんはもうこの世の中にはいないけど、
今でも彼は自分の心の中に住んでるよ。
新しいヒーローも沢山できたよ。
70になってもまだ懲りるどころか、
益々仕事がしたい父親、
60を過ぎても
自分の好きな花を描いている
母親。
世界中で活躍する素晴らしい友人や恩師達。
建築家になることが目標ではなく、
憧れた人になることが目標だったんだよねぇ。
「カッコよくてやさしい人」になる。
いつも好奇心や正義感みたいなものをもっていて、
何かを探し当てることや、人ができないようなことをする。。
そんな人になりたいんだなぁ。。。
昔憧れたこと。。
刑事とか、
パイロットとか、
宇宙飛行士とか、
スタントマンとか。。。。
今となってみると、全部やってるんだよねぇ。
職は建築家かも知れないけれど、
やっているやっている内容は以前と変わっていないんだよ。
追求心、冒険感、それにちょっとしたスリル。
そんなことを味わう人になりたかったんだぁ。
将来、やりたいことがわからない?
そんな時は。。。
“Look for your hero!”
「ヒーローが周りにいないって?」
それなら自分でヒーローを造ってしまえばいいんじゃない?
See ya,
:D
探検家とか、
刑事とか、
パイロットとか、
宇宙飛行士とか、
スタントマンにも憧れてたなぁ。
中学校に進む時
なぜ学校に通う理由を聞いてみた。
「一般教育だから。。。」が答えだった。
高校に進む時
なぜ高校に行くのか聞いてみた。
「そんなの決まってるんじゃん.高校に行かなければ落ちこぼれだよ。
大学に行けないじゃん。。。」が理由だったなぁ。
大学受験の準備をする時
なぜ、みんな大学受験勉強を必死に取り組むのかなぁ?って聞いてみた。
理由はやっぱり、
「お前、本当に頭悪いよなぁ。。。。
大学行けないと会社に入れないだろう?」
平凡の公立高校に通う自分は
2年生から大学受験勉強のために理系、文系を選ばなくてはならなかった。
「どんな職につきたいかもわからないのに、
どうやったら理系、文系を選べるの。。。。?」
結果、
いろいろな“テスト”を受けたなぁ。。
「性格判断テスト」
「職種判断テスト」
「心理テスト」や
「IQテスト」まで。。。
音楽、スポーツが好きな自分にとって
文系、理系なんてどっちでもよかったんだぁ。
テストの結果も本当にアイマイだったっけ。。。
理論的な考えがあるが、創造力は豊とか。。
理系であるが、文系でもある。。。
「なんだそりゃ?。。」
でも学校が選ばなくてはいけないって言うからねぇ。。
得意ではない学科を上げてみた。
古文、国語、英語、歴史、社会、物理、数学。。。。
「あら。あら。 ほとんど全てじゃない。。。汗」
悩んだ末、
当時学校で教えていた先生の中から自分の好みを決める事にしたんだぁ。
物理の先生はいつもニコニコ。 教科書の内容以外で面白い話ばっかりだなぁ。
理科の先生はとってもきれい。。。笑
数学の先生はとても尊敬する方だなぁ。。
英語の先生。。。 絶対に嫌だ。。いつも下を向いていてつまんないし。。
結果、理系を選択する事にしたんだぁ。。
いよいよ大学受験。
でも、心の奥ではなぜ大学に行くのかがわからなかったよ。
模擬テストで決める“偏差値”から「行けそうな大学」を選んで、
その大学で過去に使われた試験例を勉強して。。
大学の向こう、「会社」には全く興味が無かったから。。
というより、会社ってなんなのかも知れなかったしねぇ。。
受験勉強中もバンド活動に集中したり、
いろんなスポーツに明け暮れていた。。
参考書を買うのは良いけれど、
机の上に右から左へきれいに並べて、
ホコリがかぶってたなぁ。。。悲
大学なんて受かる訳がないよねぇ。。
そんなんじゃ。。
人生で最初にもらったラベル。。。「落第」
我ながら、なかなかのスタートってわけだ。。汗
問題は自分だった。
問題は自分がどんな職につきたいかわからなかったんだぁ。
悩んでも、悩んでも、
両親には本当に悪いけど、
やっぱり、自分はどんな職につきたいのかなんて。。。
アルバイトをしている時、バーテンダーを勤めた時があるんだぁ。
その時は、カッコいいバーティンダーになりたかったなぁ。
バンド活動をしている時は、
憧れのバンドのようになりたかったなぁ。。
でも彼らの私生活をみていると、自分にはあっていないような気がしていた。
世の中には沢山の「職」があるわけで、
自分は沢山の「職」に興味があったんだよねぇ。。
そうやってフラフラしている時、 事故に遭ったんだぁ。
全てが吹っ切れて、職なんて後から付いてくるって思った。
社会からすれば、「落第」、「落ちこぼれ」。
別にこれといった「失うもの」や「ラベル」も無かったから
「もう少し自分勝手に生きてみよう」って思ったよ。 あの時。
当時の夢は「外国人みたいになりたいなぁ。。」
見かけや、英語をしゃべる人に憧れていた自分にとって
そんな漠然とした夢しかなかったよ。
アメリカに渡って場所が一転しても
今までに抱えている問題「どんな職につきたいか?」が
影となって付いてくる。。
外国に行って、英語がわかるようになってきても、
結局、自分はどんな職につきたいのかはわからない。。
「このままじゃ、また落第は時間の問題だなぁ。。。」
外国には全くコネもないから、
最初は短大(鉛筆を転がしてTOEFL試験パス!)へ入学。
寮生活を始めたよ。
ルームメイトのトニーと仲良くなってねぇ。
休みにはいろいろな場所にキャンプに行ったんだぁ。
ある日、山中で遭難してねぇ。
たいした事はないのだけど、
僕たちはインデアン保留地に紛れ込んでしまったんだぁ。
当時アメリカ人がインデアン保留地に入る事は許されていなかったから、
僕たちも村の村長さんのところに連れて行かれてねぇ。
トニーが英語で申し訳ないって話してたけど、
村長さんは英語が話せないし。。。
自分もなにか映画のようなシーンだったから
あっけにとられていたなぁ。。
幸運な事に村長さん“赤い羽”(後に“コーヨーさん”と呼んだ)と自分は
英語が話せない同士、仲良くなってねぇ、
後になっても、彼を訪ねることになったんだぁ。
ある日コーヨーさんに相談したよ。
「自分は将来、いったい何になりたいのかがわからないよ。。」
「ダイスは音楽が好きだし、スポーツも万能だねぇ。
幼いころは探検家や刑事になりたかったんだねぇ。。」
コーヨーさんはそう言うと
「ちょっとこっちにいらっしゃい。 面白いものを見せてあげよう。」
【ヒーローを探せ!】
彼が見せてくれたのは
自分が生まれて初めて見た「建築」だったんだぁ。
やさしい表情で彼は、
建築とは「アートと機能のバランスをとった住み家」って教えてくれた。
建築は「衣食住」の中の一つで、
人として生まれた大切な行動に関わっているって。。
建築は「人を理解することで、一生をかける価値がある」って。。
父親が建築家である自分にとって
建築は「何か難しい設計図」みたいなイメージだったけど、
小さいころから、“ジェームスボンド007”みたいなロマンも感じてた。
でも、建築って落ちこぼれの自分にはほど遠いものって感じてたし、
毎日遅く帰ってくるお父さんを見ては、
仕事ばっかりでつまらないなぁ。。って勘違いしていたんだぁ。。
そんな時、
コーヨーさんは建築の面白さや
建築が与えるインパクトみたいなものを
難しい言葉無しで教えてくれたんだぁ。。
「そうかぁ。。建築ってアートみたいなものなのかぁ。。」
「でも、きちんと造らないと人や社会に迷惑がかかってしまうんだぁ。。」
何より一番インパクトがあった瞬間だった。
僕はコーヨーさんがとてもカッコいい人に見えたんだぁ。
仕事をするコーヨーさんも、
私生活のコーヨーさんも。
村の人々がコーヨーさんを見る姿も。。。
僕にとってはコーヨーさんは“ヒーロー”だった。
始めて身近に感じた“HERO”。
僕はコーヨーさんのようになりたかった。
それから、急遽大学へ進もうと思った。
建築を勉強して、建築家になろうって思ったんだぁ。
当然、
勉強は大変で今までサボっていたことを全て吸収しなくてはならなかったけど、
好きなことは誰だってできるんだよねぇ。
会社に入るために勉強していたら、
絶対にできなかったかもしれない。
漠然に建築職につこうって思っているだけでは、
絶対にできなかったと思うんだぁ。。
今考えてみるとねぇ、
最初の質問から間違っていたんだよねぇ。
「どんな職につきたいか。。。?」
そんなのわかる訳ないよ。
経験していないのだから。。。
「どんな人に憧れるか?」
「どんな人が自分の憧れの仕事/私生活をしているのか?」
そういう質問をするべきだったんだよねぇ。
もう一度やり直せって言われたら、
僕はヒーローを探す旅にでるよ。
遠い外国へ行く必要もない。
周りの人々や本を読んだっていいんだぁ。
ヒーローをいつも探していれば、必ず見るかるよ。
多分、とても身近な場所でねぇ。
コーヨーさんはもうこの世の中にはいないけど、
今でも彼は自分の心の中に住んでるよ。
新しいヒーローも沢山できたよ。
70になってもまだ懲りるどころか、
益々仕事がしたい父親、
60を過ぎても
自分の好きな花を描いている
母親。
世界中で活躍する素晴らしい友人や恩師達。
建築家になることが目標ではなく、
憧れた人になることが目標だったんだよねぇ。
「カッコよくてやさしい人」になる。
いつも好奇心や正義感みたいなものをもっていて、
何かを探し当てることや、人ができないようなことをする。。
そんな人になりたいんだなぁ。。。
昔憧れたこと。。
刑事とか、
パイロットとか、
宇宙飛行士とか、
スタントマンとか。。。。
今となってみると、全部やってるんだよねぇ。
職は建築家かも知れないけれど、
やっているやっている内容は以前と変わっていないんだよ。
追求心、冒険感、それにちょっとしたスリル。
そんなことを味わう人になりたかったんだぁ。
将来、やりたいことがわからない?
そんな時は。。。
“Look for your hero!”
「ヒーローが周りにいないって?」
それなら自分でヒーローを造ってしまえばいいんじゃない?
See ya,
:D