DOERSの紹介 スティーブ
「Hey! What's up~ Dais-K!」
Steve M, 彼は自分にとって良き先輩でありソールメイトでもある。
彼と出会ったのはハリウッド・アケデミーのオスカー賞プロジェクト以来なので
かれこれ13年ほど前になる。
ニューヨークベースの建築会社で勤務していた自分は
俗にいう「バリバリに働くデザイナー」であり、
プロジェクトがとても大きくとても困難だったため
沢山の「バリバリ族?!」と出会う機会があった。
スティーブもそんな数多い当時バリバリ族の一人。
ケンタッキー州の田舎で育ちアメリカンドリームに憧れニューヨークに。
忠誠心が強い彼は武力より法を選び法律家となった。
社会へ入り法をPractice(実務)するが当時の数多く見られた法(規律・秩序ではなく政治的力が優先する)に疑問そして相違を感じ、法のPracticeから離れた。
数年後シカゴに渡り公共アートの平等権や公共がもとめるイベントなどを指示するコミュニティーをサポートし「法の裏」で法を定めるパイオニアとなる。
ハリウッドのプロジェクトは表ではアクター達が祝う場所やショッピングモールと報道されたが、広い視野から見ると当時廃れきった街ハリウッドを生まれ変わらせる目的で作られた。 ショッピングモールに日本円にして500億円を投資する理由は実は政治的理由が大半だった。
公共と内部が考えるバランスを整えるためにはとても困難な壁があり、通常ではできない事柄を確実に限られた時間内に成し遂げなくてはならないミッションがあった。
それが公共・政府・行政そして起業家達との間に存在する“ネゴシエーター”である。
彼はそのポジションをコントロールするためにハリウッドにやってきた。
【酒を飲めば不平、頑張ることが自分ができるベスト?】
デザイナーとしてまだまだ若かった自分にとってそんな「深い話」などわかるはずがない。 当時彼に会った時の印象は「しゃべり好きな奴」ぐらいで内気でもなく常に人の意見を聞く態勢を整えてい人だった。
プロジェクトを友にする際、お互いプライベートの話をシェアするようになり
社会に対する考え方や理想論などを不平を言い合ったり、お互い勇気付けたりしたものだった。
プロジェクトが抱える問題は想像を超していて今となってもあの時学んだ経験が自分たちのベースを作ったと考えてもいいぐらいだ。
働いて働いて、尿に血が混じるような経験をしたり、常に気を失うぐらい睡眠を取らなかったり。。。 深夜(っといっても朝方)、交差点で信号待ちをしていたのに気がつくと朝になっていたり。。。
頑張るのはいいが、まだ加減をしらない自分たちは頭がない鶏のように走り回っているだけで、“頑張ることが目的ではなく効果を出すことが目的”だとは気がついていなかった。
「頑張る価値があるからねぇ。 世間がどう思っても。」
仕事帰りそんなことを言いながらウィスキーを飲んで 次の作戦を立てていた彼。
あの時からプロフェッショナルという意味や、ライフスタイルとの関係もお互い考え始めるようになった。
「世間では◯◯するべきと言われているけど、
いったい誰が◯◯しなくてはいけないのかと言ったのか。。」
学校で学んだことや、今まで“常識”といわれていることを全て自分で考え直してみることにしたのも彼との出会いからだった。
彼からは沢山のことを学んだ。
【ネゴシエーターから学ぶ法】
◎ 人をルールや名誉を使って動かすことはできない。
だが、一つの感情が一致すれば一瞬にして多くの人びとが動くことができる。
◎ 人に興味を持つことが人があなたに興味を持つことの始まりである
◎ すべて正直に発言すれば必ず相手がわかってくれる。
◎ 人に自分の考えを押し付けるとき意見の相違が起きる。
などなど、上げだしたらきりがない。。
これこそウィスキーのボトルが何本も開いてしまう。(今はワインがいいねぇ。笑)
【外見ではなく中身で話す】
あれからお互い違った道を進み、彼はハリウッドで学んだエンターテイメントに目をつけ、公共のレベルで難しい政治や社会問題をジョークを使いながら一緒に考えるStanding Comedy (漫才)をしたり、アメリカ有名クイズ番組に出演して世間をあっといわせたり、ある世界的有名な漫画「シン◯ソン」のネタを発行したりしている。
しかし、自分のプライベートを守るためきちんとマスコミをコントロールし
「必要最低限の生活」をしている。
彼とは自分が独立し’現実の歯車’に引かれそうになったり、
“不可能な夢”をあきらめかけた時など 勇気付け会う関係となった。
常にお互い不平をいうのではなく、
解決案を見つけ合う勇気の源。
“Hey, we both knew it was a hard decision.
but the hard feeling is passed, man"
おいおい、難しい決断とはお互いわかっていたことだろ。
悲しがってる時間はもう終わりだよ。
“Remember, we are not talkers, but the doers."
話し屋じゃなくて行動者だっただろう?
現在彼はロンドンに移りイギリス人向けにアメリカで成し遂げた同じようなアプローチを考え、”好きな仕事を好きな場所でするライフスタイル”を実践している一人でもある。