いったいなにが違うの? | カリフォルニアの建築家日記

いったいなにが違うの?

I can go to shopping with John tomorrow in Osaka if I can finish writing with my essay tonight.


「今夜中にこのエッセイを書き終われば明日ジョンと大阪へショッピングへいける。」
こんなセンテンス。みんなはなんてことないように思えるでしょう。


でもこれって結構「頭がいい」考え方。日本語と英語語の違いはこの考え方が違うだけ。


「今夜中にこのエッセイを。。」


このままだとだれが、何をして、どうするのか全くわからないでしょう。


「私は」が抜けてるし、最後まで聞かないと、「行く」という意思がわからない。


日本語って最後の文を聞くまではわからないってこと。


逆に考えると、日本人って話しをしながら結果を決められるっていう考え方もできる。



「今夜中に。。。ショッピングにいかなくてもいい。」とかね。



では英語(実は世界に存在する大半の言語)はそのようには考えないんだ。


ちょっと違ったアングルから想像してみて。 



むかし、むかし、言葉が発達していなかったとき、人が人に話しかけてる。


言葉が発達してないとなかなか難しいことって考えられないよね。


そんなとき、自分を象徴する言葉から並べるはず。


「僕 好き」とか「君 行く」みたいに。


これがもう少し発展すると「僕は好き」とか「僕が好き」みたいに微妙な変化ができるようになる。 


日本語的考え方(韓国語やブータンなど)と英語圏的考え方の違いはここから始まったのだと思う。


「僕 行く あなたと どこへ どのようにして なんで」みたいな考え方が英語園


「僕(省略)なんで どこへ どのようにして あなたと いく」が日本語圏のアプローチ。


つまり英語の方が実はもっともっと単純ってことだったのです。 


だから誰でもはなせるようになる。使いやすくなるってこと。 


発音の話は後にすることにして、この簡単でいってみれば結構ルーズな言葉が英語だった。



英語の頭になったとき、自分の意志もけっこう自己表現的になる。言葉、すなわち文化の違いってこと。


まずは結果をつたえたくなる。


「僕は行きたい」 そして誰と、どこで、どのように、いつ、みたいに。



最初のセンテンスを聞いただけで、聞き手はあなたがどうしたいかがわかる。


実はこれって本当に大事。 特に大人(大学生以上)になってからはなす英語を学ぶとき一番大事なことだと思う。



まずは最初の2-3つの言葉に集中するだけで実は結構いってる意味がわかるようになってくる。 


逆にいうと、最初に自分の結果を表現しないと聞き手は全然わからなくなってしまう。


「実は、いつ、どのようにして、だれと、、、」なんて話してると、


「誰が? 何がしたい?」なんてことになる。


これが「文法の違い」になるわけで、僕たち日本人は特に英語が苦手な民族として理解されている理由だったのです。  




こんなに難しい日本語をはなすのだから、他の言葉はある秘密を何個か理解すればそんなにたいしたことではないということに気づいてくるよ。


つづく