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猫の後ろ姿 619 菅首相、がんばれ! ここがロードスだ、ここで跳べ。

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   菅首相が、「脱原発」を国の基本政策として表明した。
「段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもきちんとやっていける社会を実現する。」という首相の発言に対し、さっそく政官界、産業界、原発立地自治体の多くが反発しているとの事。
 原発建設によって利益を得るのは彼らであり、巨大な利権を保持したいと考える彼等は様々な脅しをかけて国民を「原発」容認にしむけようとしている。電気が足りない、熱中症でたくさんの人が体調を崩している、経済成長がとまる、生産業が海外に移転してしまう、等々。これら脅しには僕等はもう少し冷静に対処したい。「成長神話」から目覚めよう。経済の成長は、人を幸福にはしないのだから。

 一方で、このように直接反論するのではなく、「脱原発」を出来る限り遠い将来に追いやって、とりあえず現状を容認させようという作戦の人々もたくさんいる。たとえば、「将来の脱原発は賛成だが、すぐにはできない」とか、「方向性は間違っていないが、菅首相の考えには具体性がない」などといって、一定賛成するようなふりをして、実はすべてを否定するようなやり方だ。
 この国では常にこうやって、理想ははるか遠くに追いやられ、「現実」のみが生き残る。最悪の現実だけが。

 脱原発の根拠を示せと朝日新聞は書くが、あの莫大な人的・物的損害と、何ら好転しない福島原発の現状を見れば十分だ。日本には、原発一基をコントロールする技術力も無いことは明らかではないか。
 まず、一歩を踏み出そう。遠い目標に向けてゆっくりと進んで行こう。自分の頭で考え、自分の暮らしを少しずつ変えながら。
最後に一言。頑張れ!菅直人。情けない首相だなあとおもうときもあったけど、今はあなたに頑張ってほしい。肝炎患者との和解も、脱原発も、菅政権以外では、政官界の圧力に抗することはできない。今はあなたが頼りなのです。頑張ってください。




猫の後ろ姿 618 永田和宏 『もうすぐ夏至だ』

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歌人にして科学者である永田和宏の初のエッセイ集。先年、乳癌で亡くなった妻・歌人河野裕子への思いを抜きにこの書を手に取る人はいないのではないか。その死以前に書かれた永田の文章も、あらためて河野裕子という歌人の存在とその死を考えるものとなるのは当然のことなのだろう。
 例えば、2009年1月発表の文章の中の、「死者は、生者の記憶のなかにおいてのみいきいきと存在し続ける。」などという一行は、当時河野の癌が再発していた事を知っていた永田がどのような思いで書きつけたか。このような一行に度々出会い、そのたびに本を置き、様々な思いにとらわれた。
 しかし、この書を読み終えて、やはり歌人・永田和宏の歌への「信」を強く感じ取ることができ、それは同時に歌人・河野裕子へのゆるがぬ「信」なのだと知った。
 短歌では悲しいとか寂しいとか、おのれの感情をそのまま言うことはない。したがって短歌は、「短い言葉から、それらを受け取れる読者の存在を前提としなければ成り立たない詩型でもある」と永田は言う。
 つまり短歌は、読者という存在への「信」の上に成り立つ文芸であると言える。
そのことを孔子は、こう表現している。「詩は以て興(きょう)すべく、以て観るべく、以て群すべく、以て怨むべし。」
 白川静さんによれば、「興」とは心の開かれること、「心が開かれて、はじめて他を理解しうる。他を理解することは、共同のいとなみの基礎である。このような彼我の理解の上になり立つ世界においてのみ、感情を訴え詠嘆することができる。」(『孔子伝』)
 他者に対して心を開き、その存在を理解しようとすること、つまり他者への「信」のうえにこそ、文芸は成り立つ。だから、文芸の「作り手」「送り手」ももちろん必要なのだが、文芸はその「受け手」を育てることも文芸の継承という点から大切なのだと知る。「受け手」への「信」が文芸を次の世に伝えて行くことができる。
 昨日、紹介した『大津波と原発』のなかで平井憲夫さんの言葉が引かれていた。
「原発には放射能の被爆の問題があって後継者を育てることができない職場なのです。」
 「受け手」を育てられない原発という職場は、人のいとなみの場ではないということが分かる。








猫の後ろ姿 617 『大津波と原発』



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      内田樹・中沢新一・平川克美『大津波と原発』(朝日新聞出版)




 4月5日にUstreamで配信された番組「ラジオデイズ」のなかで話されたものを文字にしたもの。この3人がこのテーマで何を話しているのか、期待をもって読み始めた。がっかりした。こんな程度の人たちだったんだと期待した自分に腹が立ってきた。

 この本の101~102頁にこんなところがある。3者の思想の在り方がよくわかる。

中沢 天皇陛下をこんな放射能にさらして、ほんとに申し訳ない。
内田 今回は陛下は東京から離れなかったでしょう。周りには「東京を離れたほうがいい」っていう意見があっただろうにね。でも、とどまったね。
中沢 なさっていることがいちいちご立派です。
平川 今回、祈祷をなさっていたっていうんでしょ?
内田 お仕事ですからね。
平川 ああ、天皇が天皇の仕事をちゃんとやっているなと思いましたね。
内田 震災の後に読んだコメントで、いちばんホロッとなったのは、天皇陛下のお言葉だったね。
中沢 そうですね。自主停電というのも感動的なふるまいで、やっぱり天皇というのはそういうことをなさるお方なんですよ。
平川 そう。何をする人なのかよくわからなかったんだけど、今回でよくわかったね。
内田 まさしく日本国民統合の象徴なんだよ。総理大臣の談話と天皇陛下のお言葉では格調がちがうね。

 なかで3人は色々な事を話していますが、興味ある人は自分で手にとって読んでください。
 96頁で、内田氏が、「今日いろいろとしゃべったけど、この話について一年後ぐらいに検証番組をやって、あのとき云ったことはどうなってるかって、チェックすると面白いね。」と言っている。
 ぜひ「検証番組」をやってください。日本のインテリがどういうものか検証できるはずです。