猫の後ろ姿 1853 なぎら健壱『下町小僧』 | 「猫の後ろ姿」

猫の後ろ姿 1853 なぎら健壱『下町小僧』

 

 なぎら健壱さんは、昭和27年・1952年、東銀座の木挽町生まれだそうです。その頃、あのあたりは東京の下町のくらしが息づいていたそうです。
 東京の下町に育ったひとりの少年の眼に映った、昭和30年代の風物が見事にこの本には書き残されています。
 僕は昭和29年・1954年生まれで、山梨県甲府市の伊勢町に育ちました。そこは、決して豊かとはいえない人々が群れ生きている街でした。父はひとりで商いしておりましたので、つまり僕は、「伊勢町の小あきんどの小せがれ」なのであります。
 ぼくらは、「昭和30年代」に子供時代を過ごしたことになります。東京という都会と山梨という貧しい地方の違いはありますが、なぎらさんのこの本を繰りながら、「ああ懐かしい」と何度もつぶやいたのであります。
 「昭和30年代」。敗戦から立ち上がり、暮しが少しずつ良くなりつつありましたが、依然貧しいながらも、世の中が変わりつつあるという実感は、田舎の場末の子供である僕にもありました。
 七輪での煮炊きはプロパンガスの強い炎で一挙に楽になりました。電気洗濯機が我が家に来て、「電気」の時代が始まりました。そしてなんといっても、テレビがうちに来た日のことは、忘れられません。近所の人達が、我が家のテレビで野球やプロレスを見るために毎晩集まってきました。不思議な、毎日がお祭りのようなうきうきした雰囲気がありました。
 しかし、「昭和30年代」が夢と希望にあふれていた時代だったとは僕は思いません。ただ、近隣の国々への経済的侵略が、後の「高度経済成長」の時代よりも少なかったのではないか。そういう意味で、アジアのひとつの国として地味に、堅実に暮らしていく可能性があったのではないか。しかしその夢と希望は、ひたすらな経済的膨張の果てについえてしまった。日本はふたたび、アジアのなかで孤立しつつあるのではないかと危惧します。
 懐かしさの向こうに今のこの日本の姿をみすえているなぎらさんのこの本を僕は大切にまた読み返すだろうと思います。