あたしは綺麗でも賢くもないんだよ。でも、あなたがそういうのなら、それでいいことにしておくよ。 | 泡姫日記~風俗嬢の戯言~in Ameblo

あたしは綺麗でも賢くもないんだよ。でも、あなたがそういうのなら、それでいいことにしておくよ。

今回の沖縄旅行のパートナーは、 

あたしがその昔勤めていた、某有名企業(←あっさり辞めた)で、

今もバリバリとキャリア積んでる働き者な女。

彼女とは、年に一度はどこかへ旅行する仲。

普段はほとんど会わないし、電話もメールもしないのだけれど、

『そろそろ、どっか行きたい!!』ってどちらともなく連絡を取り合い、

予定を合わせてレズビアン旅行する(イタシテハナイケレドネ)。


ひさしぶりに長い時間を共に過ごすと、イロイロな昔話やらセックスライフ暴露やらを必然的にする。

そんな中で、あたしが彼女との酒盛りで拾ったネタは、

『印象』という壁(防御壁であり、面倒な壁でもある)のお話。


彼女曰く、あたしに持つ印象は”キレイデ、デキル、キレル、オールマイティなキツイ女”なのらしい。

笑っちゃう。もう何年も友達をしてきた子があたしに抱く印象というものに。


実際のあたしと言えば、ブログを読んでいただいてる方には解っていただけると思うけれど、

全然、ちっとも、微塵もキツサなんて持ち合わせていない。

自分でも悲しくなるくらいに不器用だし、おつむ弱いし、融通が利かない。で、超平和主義。

あたしは自分のことをこう分析する。

躁鬱の差が激しく、不安定で、飽きっぽく、ひがみっぽく、

根がまじめ過ぎて面白味に欠け、けれども目先の快楽や悦楽には貪欲で、

自分なりの筋は通っているつもりだけれど、その筋はかなり極端な場所にあり、

気が弱く、根深いコンプレックスを持ち、自分勝手なくせして人目を気にし、調子がいい。

座右の銘はケセラセラ(スペイン語 que sera sera なるようになるさ)。

つまり、ダメ人間なのだよ。ホントニ。


「綺麗ですね」なんて言葉は耳にたこ。

別に嫌味なんかじゃない。素材は全然綺麗でもなんでもないことくらい嫌というほど自覚してる。

自分の見せ方というものを研究した女は素材がダメでも「綺麗」という賞賛くらい

浴びるのは当たり前。そう思わせる努力をあたしはしているのだ。

そうすることを生活の糧にしてきたのだ。

けれども、賞賛に対する思いの裏側には、コンプレックスというものが浮き彫りになる。

あたしは他人に綺麗と思わせることは出来ても、自分じゃちっとも綺麗だなんて

思えない。賞賛を浴びるほどにあたしは、自分の嫌いな部分を思い知らされるのだ。


「キレル」って、怒るって意味じゃなく、頭の回転が速いってことらしいんだけれど、

それに関しても、あたしは自分がとても不器用であることに非常にコンプレックスを持っている。

会話だって上手くないし、間の取り方なんて悲惨だ。

一度、「綺麗だねホント」って客に言われて「ありがとう」と答えたら、

ロウソクの光の話だったことがある(単に話も聞けないアホ)。


同じように、「デキル」に関してもそう。

あたしは全然出来ない。自分でここまではやりたい!というものがあっても、

全然出来ない。全然出来なくて死にたくなることだってある。

もう今頃は風俗を引退している計画だったのに、未だにどっぷりなあたしってものそう。


誰もがこうして、コンプレックスやネガティブな思いを抱えて生きているのだけれど、

それが他人には見えない気がしてならない。

「他人の芝は青い」ってことだ。


あたしは「綺麗だね」って言われたら「ありがとう」とだけ答えるし、

「知的だね」って言われても知的な振りして微笑しておく。

だから、皆はあたしが微笑してる裏側で自分のコンプレックスを思い苦笑いしていることだとか、

「あたしは賢くもないし、頭の回転も鈍いのだよ。もっと人を見る目を養いな!」

と叫んでいることを知らない。


人の価値だとか印象なんて、自分でなくて他人が判断するものなんだよね。


一時は、その「ギャップを埋めたいのに埋められない」という事実と向き合い、

戦ってみたりもしたけれど、最近はもう開き直ってるあたしがいる。面倒くさい。



あたしは綺麗でも賢くも出来る女でもないんだよ。

でも、あなたがそういうのなら、それでいいことにしておくよ。ケセラセラ。