保守主義~ドイツと日本~ | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)


 日本の保守派には改憲論者が多いのだろうが,そういう彼らは,私にはどうもエセ保守のような気がしてならない。そのことは,ドイツの保守主義と比較してみるとよくわかる。深井智朗さんの新著『プロテスタンティズム』で教えられたことなのだが,ルター派プロテスタンティズムの伝統が,ドイツ保守主義の懐の深さというか寛容さを支えているように思われる。それは,例えばドイツ独特の大統領制を見るとわかりやすい。

 ドイツで実際に政治を動かすのは首相だが,他方,大統領はいわば国の象徴的存在であり,ある種の宗教的もしくは啓蒙的な役割を担っている。だからだろう,かの有名なヴァイツゼッカー大統領にしてもガウク大統領にしても,言葉や語りを大切にする。まるで牧師の説教のように国民に語りかけるのだ。それはナショナル・アイデンティティや自国の利益の大切さを説くだけでなく,時に自国の過ちを忌憚のない言葉で批判する。

 ドイツの保守主義は,日本でイメージされる保守とは大きく異なり,プロテスタンティズムという宗教的伝統をバックグランドに持っているため日本人にはなかなかわかりにくい面があるかもしれない。すなわちドイツ保守主義は,国家・政治との密接な関係を築いてきたルター以来のプロテスタンティズムの伝統を受け継いでいる。それゆえ戦前はナチスの国家社会主義に加担する面もあったのだが,戦後は世界との連帯や多様性を求める政府と歩調を合わせて歩んできた。つまり,異なった宗教・宗派の存在を認め,異なる立場との共存のシステムを築こうと努めてきたのである。だからドイツの戦後保守は,排他的なナショナリズムや不寛容な政策には明確に「ノー」を突きつける。

 ヴァイツゼッカーやガウクなど,プロテスタンティズムの伝統を自覚した保守派政治家の言葉の中に,そういう寛容性や多様化の容認がはっきりと読み取れるのである,ドイツの保守主義は,単に体制保持や反動を求める勢力ではない。その点,日本の保守との大きな違いである。

 ヴァイツゼッカーの「過去に目を閉ざす者は,現在に対してもやはり盲目となる」という言葉は殊に有名であるが,それとともに重要だと思うのが,次の発言である。

 若い人たちにお願いしたい。他の人々に対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。ロシア人やアメリカ人,ユダヤ人やトルコ人,オルタナティヴな考えを持つ人や保守主義者,黒人や白人,これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。若い人たちは,互いに敵対するのではなく,互いに手をとり合って生きていくことを学んでほしい。・・・われわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。

 このような言葉を日本の保守派が語れるだろうか。皆無であろう。私が最初に,ドイツの保守主義は「懐が深い」とか「寛容」と言ったのは,こういう点なのである。

 もう一つ,ガウクの演説の一節も引用しておきたい。偏狭なナショナリズムや排他性を脱して,アウシュヴィッツの記憶と反省こそがドイツのナショナル・アイデンティティであるという主張に,感動を覚えずにはいられない。

 おそらく将来世代は新しい記念の形を追求することになるでしょう。またホロコーストもすべての市民にとってドイツのアイデンティティの核心的要素とはもうみなされないかもしれません。しかし,これからも言い続けなければならないことは,アウシュヴィッツなしにドイツのアイデンティティは存在しないということです。ホロコーストを記憶することは,ドイツで暮らすすべての市民の責務なのです。
 (深井智朗『プロテスタンティズム』中公新書p.164~p.165)

 こういう主張こそ,本物の保守主義であろう。何度も言うけれども,日本の保守政治家でこのような言葉を吐ける人間はいるだろうか。いないだろう。偏狭なナショナリズムや排外主義と結びついた日本の保守主義が偽物である所以である。それは私が日本の保守を嫌いな理由でもある。

 保守派が主張する改憲論というのも,歴史的な反省や世界史的な視野を欠いた,いわば後ろ向きの時代逆行的な改憲論であり,ばかばかしくて到底認めることはできない。ガウクの演説のような認識の上に立たない限り,戦後レジームからの脱却などできるはずがないし,平和憲法の修正など百年早い。また,パリ不戦条約やユネスコ憲章など世界が平和を求める努力の中で平和憲法(憲法9条)が産み落とされたことの意義も,計り知れないものがあるだろう。そういう世界史的な意義を持つ憲法こそ,日本のナショナル・アイデンティティにふさわしい。ヴァイツゼッカーやガウクなら,そう言うだろうね...


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