「わたしは,ダニエル・ブレイク」@伏見ミリオン座 ※ネタバレ注意 | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)


貧困を生み出す国家への怒り,抵抗
~ケン・ローチの訴えたかったこと~


 この映画を観て,国の福祉制度というのは放射線被曝と同じなんだなと思ったわけである。ゆっくりと人を殺していく。いわば国家による「静かなる殺人」。それが正当化,合法化され,誰も罪に問われず,責任を取らない…。

 本作の主人公ダニエルもそんな福祉によって殺された一人。舞台は英国ニューカッスルだが,こういう新自由主義路線の福祉削減は,今や英国に限ったものではないだろう。国が福祉行政を民間の下請け機関に委託する理由は,ひとえに経費削減であり,しかも福祉受給者にはサンクション(制裁措置)まで用意されている。どんな理由であれ働かない者は犯罪者同然,刑務所に入れられているのも同然の扱いなのである。

 人間らしさ,尊厳を支えるはずの福祉制度が,非人間的な仕組みとなって庶民に牙を剥き,合法的にその精神や身体を浸食していく。本作はそんな非人道的な現代社会を描いている。さすが名匠ケン・ローチ。常に社会的弱者に焦点を当ててきた監督らしい,面目躍如の映画だと思った。

 国の援助を受けるためには極めて煩瑣な手続きを要する。そんな複雑で,時に理不尽さを伴う制度に翻弄される主人公ダニエル。心臓の病気で医師からは仕事を止められているのに,審査を行う機関は,目に見える障害はないことからダニエルを「就労可能」と判断し,就職活動をするように仕向ける。福祉当局の判断に異議申し立てをしようにもできない不合理な仕組みも。
 
 あまりに理不尽で吝嗇な制度の描写は,本当に現実味があった。福祉や経済政策で人が死ぬというリアルを見せつけられる思いがした。「ゆりかごから墓場まで」というのは今は昔。サッチャーやブレアによって続いた新自由主義路線の結果なのだが,福祉を市場メカニズムにゆだねておけば,こういう人間の尊厳を侵すほどの貧困を生み出してしまうのである。ブレディみかこさんのレビュー(『わたしは,ダニエル・ブレイク』はチャリティー映画じゃない。反緊縮映画だ)によると,実際,今年の1月,呼吸困難など複数の症状を訴えていた男性が「就労可能」と判断され,心臓発作で亡くなるという痛ましい事件がロンドンで起きたという。

 そのような非人道的な世の中だけれども,ケン・ローチは決して"希望"を見出していないわけではない。ダニエルが二人の子連れシングルマザーを助けたことから,その家族と絆を深め,助け合い支え合っていく様子は心温まる。また,市民によって運営されるフードバンクは国の福祉の不備を補い,貧しい人たちの胃袋だけでなく心も満たしているようだった。そういう隣のだれかと助け合い,支え合うことで,社会の非人間性や理不尽に対峙できる。そんなポジティブなメッセージも,私はこの映画から受け取った。

 この映画で描かれる社会に比べて,日本の現状はどうだろうと考える。余所事ではないと思った。というか,もっと酷いだろう。孤独死に追い込まれる日本の下流老人と比べれば,訴訟の希望を抱きながら仲間に見送られて旅だったダニエルは幸せだったかもしれない,とさえ思う。

 ところで,映画のパンフレットを見ると,湯浅誠さんが,ダニエルはトランプ米大統領を支持しただろうなどと,ピントのずれたことを書いていた。トランプなら,ダニエルなどの「忘れられた人々」の名前を呼んで寄り添っただろうから,というのが理由。だがダニエルは,そんな偉い人や権力者に助けられることを望んだだろうか。大統領に名前を覚えられたいのではない。首相に認められたいんじゃない。むしろ逆だろう。超緊縮財政や福祉削減をとる,そういう政治家や国を批判しているのだ。人間の尊厳を最後のところで支えるはずのセーフティネットが,単に福祉国家を装うための偽装工作にすぎす,実態は弱者や貧困層の尊厳を踏みにじるものになっている。そういう国のあり方に怒っているのだ。

 そういう怒りを持ったダニエルが世界には無数,存在するということを,ケン・ローチは訴えたかったのではないか。残念なことだが,湯浅さんのように一度腐った権力機構に身を置くと,庶民の感覚が分からなくなるみたいだ。本作は,権力は信用できないことを描いているのだ。ダニエルにしても,最後はシングルマザー親子に助けられる。そこに希望を見出しているのだよ。なのに,何でダニエルはトランプを支持するなんて馬鹿げたことを言い始めるんだろう。湯浅さんの見識を疑ってしまう。湯浅さんは完全に反福祉,反庶民,緊縮主義,新自由主義に寝返ったとしか言いようがない。全く信用の置けない御用学者だ。また,こういう人のエッセイをパンフレットに載せるのもどうかと首をひねりたくなる。

 ちょっと話が横道に逸れてしまったが,ともかく湯浅さんのように特定の政治的意図でもって矮小化してしまっては,本作の良さが台無しである。本作のテーマは,現代社会で人間が生きる根本に関わる。懸命に生きようとする一人の人間の,その存在の重さを,ケン・ローチは激しく訴えたのだ。ケン・ローチが引退宣言を翻してまで,ダニエルに託して訴えたかったのは,そのあたりではないか。

 ダニエルは大統領に認められたいから,職安の壁に自分の名前をスプレーしたのではないのだ。権力や権威に媚びてまで生き延びようとは思わない。福祉をもらいたいからスプレーしたんじゃない。本当は働きたいけど働けない。今まで真面目に税金も払ってきた。施しなんて要らない。正直者がバカを見るのが我慢ならないだけ。ただ普通に生きたいだけなんだ。俺は番号じゃない。一人の人間,市民だ!――これがダニエルの心の叫びであり,ケン・ローチの訴えでもあったのだろう。


 カンヌでパルムドール(最高賞)を取ったのも頷ける傑作。日本でも多くの人に観て感じて,そして考えてもらいたい作品です。観おわった後は何とも言い難いやるせなさが残りますが,劇中,個人的にはシングルマザーを演じた女優さんの演技に心打たれました。貧しい生活の中でも子どもの幸せをどこまでも願い,他人のダニエルのことまでも心配する彼女の健気な姿に,思わず涙してしまいました。