木村久夫「もう一通の遺書」 | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)


 5月3日に「朝日新聞」と「東京新聞」に出る意見広告である。私も賛同したので是非読んでいただきたいのだが,ただこれだけを読んでも,それほど説得力を持つものではないだろう。最後の段落に「若者が生命を奪われる,あるいはまた,他者の生命を奪うよう命じられる戦争を再びおこしてはなりません」とあるが,その言葉をわがものとするには,実際に命を奪われた者の無念さを共有することが不可欠ではないだろうかと思う。

 昨日の中日新聞で,「きけ わだつみのこえ」で知られる木村久夫の遺書がもう一通存在することがわかったという報道があった。また,哲学書の余白に書き込まれたとされる遺書も,削除されたり加筆されたりした箇所があるとのことだった。(参照,東京新聞のウェブサイト)木村久夫については前に少しだけ触れたことがあるが(「安倍政治に『明日』はあるか」),B級戦犯として処刑されてから68年たって,また新しい資料が出てくるとは驚きだった。岩波文庫もこれを機に改訂する必要に迫られるのではなかろうか。それくらい大きな発見であったように思える。


 末尾に「処刑半時間前擱筆ス」と書かれた「もう一通の遺書」の抜粋を読んで,思わず胸を締めつけられた。刑が執行される直前までこれを綴っていたのかと思うと・・・

 特に学問の道を志半ばで絶たれることへの無念さは読む者にひしと伝わってくる。

 せめて一冊の著述でも出来得るだけの時間と生命が欲しかった。これが私の最も残念とするところである。
 (略)
 死刑の宣告を受けてから,図らずもかつて氏の講義を拝聴した田辺元博士の「哲学概論」を手にし得た。私はただただ読みに読み続けた。そして感激した。私はこの書を幾度か諸々の場所で手にし,愛読したことか。・・・私は戦終わり,再び書斎に帰り,学の精進に没頭し得る日を幾年待っていたことだろうか。
 しかしすべてが失われた。私はただ新しい青年が,私たちに代わって,自由な社会において,自由な進歩を遂げられんことを地下より祈るを楽しみにしよう。マルキシズムも良し,自由主義もよし,いかなるものも良し,すべてがその根本理論において究明され解決される日が来るであろう。真の日本の発展はそこから始まる。すべての物語が私の死後より始まるのは,誠に悲しい。



 木村の言う物語は戦後,本当に始まったのだろうか。木村から未来を託された私たちは,木村の学問への思いのどれだけを受け継いで学問していると言えるのか。木村から与えられた歴史の教訓を受け継ぐことなしに「戦後レジームからの脱却」などと言うのは百年早いだろう。―――この遺書を読んで,そう強く感じるのである。


 また,「わだつみ」にある辞世の歌二首のうち最後の一首は違うものだったという。ショッキングな事実であるが,恩師が善意から編集したものらしい。ともあれ今ここに本物と出会えた喜びを噛みしめたいと思う。


 風も凪ぎ雨も止みたり爽やかに朝日を浴びて明日は出でなむ

 心なき風な吹きこそ沈みたるこゝろの塵の立つぞ悲しき




 それから,「哲学通論」への書き込みの中で削除されていた箇所は,軍への批判・怒りが集中砲火的に綴られていて大変興味深い。全文読んでみたいと思った。それは丸山真男や野間宏が軍の薄汚い「いじめ」体質,無責任性を告発し,そのルサンチマンを戦後,自らが主導していく民主化運動の中でも決して忘れることなく,その根っこに持ち続けていたことに連なって見える。その意味で多少なりとも木村の物語を継承発展させたのは,丸山や野間だったように思う。

 削除された部分の一部をここに引いておきたい。これを読んで軍の不条理を知るとともに,冒頭に引用した「戦争を再びおこしてはなりません」という言葉の意味を噛みしめたいと思うのである。


 ★日本の軍人,ことに陸軍の軍人は,私たちの予測していた通り,やはり国を亡ぼしたやつであり,すべての虚飾を取り去れば,我欲そのもののほかは何ものでもなかった。

 ★この(見るに堪えない)軍人を代表するものとして東条(英機)前首相がある。さらには彼の終戦において自殺(未遂)は何たることか,無責任なること甚だしい。これが日本軍人のすべてであるのだ。

 ★軍人が今日までなしてきた栄誉栄華は誰のお陰だったのであろうか,すべて国民の犠牲のもとになされたにすぎないのである。
 労働者,出征家族の家には何も食物はなくても,何々隊長と言われるようなお家には肉でも,魚でも,菓子でも,いくらでもあったのである。――以下は語るまい,涙が出てくるばかりである。

 ★天皇崇拝の熱が最もあつかったのは軍人さんだそうである。・・・いわゆる「天皇の命」と彼らの言うのはすなわち「軍閥」の命と言うのと実質的には何ら変わらなかったのである。ただこの命に従わざる者を罪する時にのみ,天皇の権力というものが用いられたのである。






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