サンドバッグに浮かぶ憎いあんちくしょう | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)


 新しい難病助成法案が今度の国会で通れば(おそらく通るであろう),私の場合,来年から薬代を含めた医療費がこれまでの5~10倍になる。万一,軽症者とされれば20~30倍ほどにも跳ね上がるから,もう生活していけないだろう。とにかく今は来年からの生活に備えて,現在の生活を切り詰め,少しでも貯金していかねばならない。少々貯金したところで,どうにかなるわけではないのだが,近い将来,少しでも生活の足しになれば,という思いで日々生活を送っている。薬や栄養剤についても,本来服用すべき量を減らして,少しずつでもストックしようという心理がすでに自分の中で働いている。本当はいけないことだが,そうせざるを得ない状況に追い込まれている。なんでこんなことをせねばならないのか,俄にいきり立つ。

 昨日行った銭湯に何故かサンドバッグがあったので,怒りを発散させるため,数発,思いっ切りパンチを打ち込んでみた。するとサンドバッグが揺れた。まだ自分に力があるということを,この物理現象を目にして認識した。問題はこの力をどこ向けるか。


 今は今後の生活防衛のことで頭がいっぱいで,なかなかブログに向かう余裕が出ないのだが,そんな狭量,近視眼的な考えではよくないと思い直す。やはり心に余裕がないと,いいアイデアもユーモアも出てこないし,当たり前だけれども自らを冷静に,客観的に見つめる時間は必要である。ブログに向かうことは,それを可能にしてくれる機会でもある。ブログを書いてらっしゃる方は,多少とも余裕のある方たちだと思う。それは経済的に余裕があるとか,時間に余裕があるとかいった意味ではない。そういう類の余裕があっても,自分の生活とか世の中のことを落ち着いて見る精神的な余裕がなければ,こんな一銭にもならないブログをわざわざ書こうとは思わないだろう。自分の抑えきれない気持ち,見た風景,出会った言葉などを誰かに伝えたいとか,あるいは何か社会や政治の問題を訴えたいとかいう欲求衝動もまた,その余裕の中から生まれてくるのだと思う。感情的に見える記事でも,書くという行為によって一旦,書き手の感情は鎮静化・客観化されていて,むしろ読み手の方が,それを読んで感情移入し,冷静でいられなくなることはよくあることだ。余裕がないと,自分のエネルギーや能力を間違った方向に向けてしまうことにもなりかねない。だから,サンドバッグに向かうのもいいが,時にはブログなどに向かい,心を落ち着かせて,自らの羅針盤がちゃんと機能しているかどうか確かめる必要がある。

 ブログと並んで読書も自らの羅針盤形成に役立つものである。最近は忙しかったので,新書クラスの軽めの本を読んでいた。一般向けのものとしては,根井雅弘『20世紀をつくった経済学』(ちくまプリマー新書)と藻谷浩介他『金融緩和の罠』(集英社新書)が比較的よかった。両書とも経済を専門としない人にもわかりやすく書かれているので,お薦めしたい。

 前者は,高校生や大学1・2年生向けに,シュンペ-ター,ハイエク,ケインズという20世紀経済学の三巨星を取り上げ,彼らの思想や経済学について,水準をそれほど落とすことなく解説している。経済学上の巨人とはいえ,20世紀に活躍した彼らの経済学がそのままの形で,21世紀の現代に通用するわけではない。しかし,今の経済学も多くは,彼らの経済学を積極的に受け継ぐにせよ否定するにせよ,それらとの対話の中から生まれてきたものである。だから,彼らの思想や経済学を学ぶことは,今の経済政策やそれに指針を与えている経済理論を思想的に根本から評価・批判する上で有益である。本書でも触れられていた点だが,最近のハイエクへの関心にしても,ハイエクの市場原理主義的な一面だけが取り上げられていて,彼の知識論とか競争論など肝心の部分が無理解におわっている。むしろハイエクの思想・社会哲学は,フリードマン流の市場原理主義や新古典派経済学の市場均衡理論とは異質な面,というかそれに批判的な面さえ持っている。ハイエクが価格システムを知識の伝達メカニズムとして捉えていたことや,競争を意見の形成過程として見ていたことなど,世間の均衡論的・原理主義的なハイエク理解とは大きく乖離している。とにかく,歴史や過去の思想を学ぶことは,「他者」との対話によって多様性を醸成する上で貴重な示唆を与えてくれるものである。その意味で,本書は経済学に興味のない方にもお薦めしたい。なお著者の根井さんは私と同世代で,同じ学会に所属していることもあり,若い頃から注目していたが,最近はこうした入門書・啓蒙書の類も書かれるようになったようで,これからの活躍に期待したい。

 後者はかなり政策的にアクチャルな内容を持った本だが,いわゆるアベノミクスの柱である金融緩和の効果を問うものである。というより,本書の著者3名(哲学者の萱野稔人が3名の経済学者にインタビューする形式)はいずれも金融緩和に否定的な論者であり,その根拠をそれぞれに明らかにしたものである。このブログでも金融緩和,リフレ政策の無効性や副作用について何度か書いたが,本書では日本経済の根本的な問題点を指摘してくれていて,大変勉強になった。今までの経済学は人口増加(人口ボーナス)を前提にして,供給サイド本位(供給は自動的に需要を生み出すというセイ法則)で考えられてきたが,もはや90年代半ばから生産年齢人口(特にその中の労働力人口)が減少し続けており,そういうファクトベースを重視して,その中でいかに有効需要(消費需要と投資需要)を創出していくかという観点から経済問題を考えていかなければダメだということを思い知らされた。内需を中心にして経済再生を目指すという点は3名の論者に共通していて,共感を持って読めた。また,お金への欲望がモノへの欲求を上回ってしまった「成熟社会」では,金融緩和もインフレターゲットも,さらには生産性のアップも雇用の流動化も,効果がないばかりか弊害の方が大きい。需要があって利益の上がるものは民間に任せ,政府は,利益はあまり出ないが国民が必要としている分野(介護,保育,教育,インフラ整備など)に積極的に取り組んで,安定した雇用をつくり出すことに専念すべきだ,という小野善康氏の主張は,当たり前のことを言っているだけなのだが,エセ自由主義やバブル景気に毒されてしまった今の日本社会ではむしろ異端とされている。日本人はお金のフェティシズムから早く免れて,雇用や需要といった実体経済を重視する方向に転換してもらいたいものである。金融緩和を肯定するにせよ否定するにせよ,日本経済の有り様を考える上で一読をお薦めしたい本である。




*****************************

    ※パソコン用ペタこちら↓↓↓
ペタしてね

    ※携帯用ペタこちら↓↓↓
ペタしてね

きたよ♪してね!(オレンジ)