領有権,施政権 | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)


 大手新聞各紙がすべて「尖閣諸島は日本固有の領土である」という前提で同調して記事を書いている。さらに産経はもちろん,東京も赤旗も然りである。だから,この点には異論の余地がないかのように右も左も議論をしているが,果たして本当に日本に尖閣の領有権はあるのか。そもそも領有権とは何なのか。日本は尖閣問題にどう対処すべきなのか。

 日本側の基本的主張は,1885年以来の現地調査を経て無人島&「無主地」であることを確認した上で1895年に尖閣諸島を日本の領土に編入したというものである。そして終戦後,アメリカの施政下に置かれたが,沖縄返還に伴って尖閣の施政権も戻ったとする。それに対して,中国側は,日清戦争の大勢が決した時点で,日本が下関条約の交渉に先立って,明代・清代の地図に明記されていた尖閣(釣魚島)をこっそり奪い取ったと見る。中国側の主張を補強する論拠として,1942年のカイロ宣言が引っ張り出されるし,サンフランシスコ平和条約については中国が参加していないことを理由に無効を唱える。沖縄返還協定による施政権の返還に関しても,アメリカは施政権はともかく,領有権がどっちにあるかは明確にしていない,と訴えている。

 この辺りの日中間の主張の隔たりについては読者の方々には周知であろうし,このブログで詳しく検証するつもりはない。ところで,先日,私は領有権については留保するが,施政権は日本にあるというようなことをチラッと書いたが,もちろん念頭には,「尖閣諸島は沖縄返還以来,日本政府の施政下にある」とするアメリカの公式見解がある。アメリカによれば,したがって日本に施政権がある尖閣諸島は日米安保条約の適用対象となる。だがアメリカは尖閣の領有権および主権に関しては中立というか,関与しないという立場を貫いている。そもそも軍事同盟は領有権や主権には関わり得ないものであり,政府が統治している国民の安全を守ることでその政府を維持していくことを目的にしていることから,すぐれて政府の施政権に関わる。だから万一,尖閣の施政権を日本が失えば,尖閣は安保の対象ではなくなり,アメリカは北方領土や竹島のように,尖閣との関わりを絶つだろう。

 何もそんなアメリカの立場を今日,いちいち説明したいわけではもちろんない。アメリカが沖縄返還以降,日本に帰属したとする施政権とは一体何ぞや,ということである。「施政」なんていう日本人には分かりにくい言葉は,英語のadministrationの訳語に当たる。administrationを辞書で調べれば,大体どの辞書でも最初の方に「管理,運営,経営,行政,政府」とかいう訳語が出てくるだろう。「施政方針演説」というフレーズをよく聞くが,その施政は「行政」の意味で,行政府の長が議会で行政の方針を表明する演説のこと。それ以外,あまり日常では「施政」という言葉を聞かない。言葉が定着していないことは同時に,その意味内容が日本人にはよく理解されていないということを意味しているだろう。

 なるべく分かりやすく簡潔に行きたいが,「施政」とは本来どういう意味か。いま手元にあるオックスフォード系の英英でadministrationを調べてみれば,一義的にはthe act of managing sthとあり,その対象は例えば,a system,an organization,a businessなどである。どうやら「管理すること(the act of managing)」と深く関係がありそうである。administrationの動詞形はadministerで,その語源を遡ればminister。で,そのministerとはもともとattendant(従者),servant(召使い)の意味を持つ。さらに歴史を下れば,非国教会派と長老派の聖職者のことを指すようになる。聖職者とはpriestで,その正確な意味はa clergyman in Christian churches who has the authority to perform or administer various religious rites(様々な宗教的な儀式を執行あるいは管理する権限があるキリスト教教会の聖職者)。ここでもadminister(管理する)が出てきている。なお,clergymanとは,イギリス国教会の主教(bishop)以外の聖職者のことである。

 何となくadministration(施政)の元来の意味がイメージできたのではないか。誤解を恐れずに言えば,管理人というイメージと重なる。administrationの人の形はadministratorで,「管理者,行政官」と訳されるが,法律用語では「管財人」とある。すなわち「管財人」とは広い意味で,他人の財産を管理する人のことで,他人との契約や裁判所からの任命によってその地位につく。ここに「施政」という言葉の本義が見えているだろう。つまり,他人の財産を管理・運用する権限を与えられてはいるが,財産そのものの権利は他人に属する。

 さて,施政権とはadministrative power(right)となる。これは行政権とも訳されるが,要注意である。施政権を辞書で調べれば,「信託統治において立法·司法· 行政の三権を行使する権限」と記されている。先ほどadministration(施政)は「行政」の意味だという風に書いたが,三権分立の原則が確立している現代では,施政権には立法・司法・行政の三権が含まれると考えてよい。重要なのは,信託統治という概念であるが,これは直接には国連の信託を受けた国が非自治地域で統治を行うことを意味するが,広義には,信託(trust=信用)によって財産などの管理・運用(領土については統治)を任されることである。我が日本国憲法にだって,国政は国民の厳粛なる信託によるものであり,その権力は国民の代表者が行使すると書かれているぞ。その意味では,日本も信託統治の国なのだ。話がややこしくなるから,この点に深入りするのはよそう。

 とにかく施政権とは信託の概念であることが最重要ポイントである。それに対して,領有権は財産権&所有権に関わる。領有権とは領土という財産を所有する権利であるが,実はこの財産権や所有権についても日本では十分な理解に達していない。これは法学的概念であると同時に,実はすぐれて経済学的概念でもある。昔,マルクス経済学やイギリスのインド植民地経営について勉強していたとき,この点がなかなか理解できなかった経験がある。難しい問題であるから,なるべく簡単に話を進めよう。 

 西洋の中世ではもともと領土なるもの(領土という観念はないから土地)は王の財と見なされ,その王の信託によって土地が家臣に貸与された。これが封土である。また,イギリスが近代に入ってからも,遅れた文明段階にあると見なされたインドでは土地は王の所有であるとイギリス人は考え(全土王有論),インドの植民地経営を進めていった(ライヤトワーリー制の採用・拡大)。西洋的観念では,もともと土地は王の財として所有権に当たり,封土は信託に相当する。その関係が,市民革命によって人民主権概念が確立することで崩壊する。そこでは,土地=領土は主権者たる人民に帰属することになる。ここではじめて近代的領有権が確立する!で,ここから先は日本国憲法の世界である。つまり国民の厳粛な信託によって施政権が政府に貸し与えられ,信託統治が行われる。

 さてさて,尖閣諸島という領土に王はいたか,主権(the sovereign)が確立されていたことがあるのか,領民はいるか。そもそも尖閣に領有権を主張すること自体が紛争の元ではないか。尖閣には領土としての歴史的必要条件があまりにも足りない。日本はあくまで施政権を強く主張し,「平穏かつ安定的に」実効支配を続けるべきであった。国有化(nationalize=国営化)とはいかにも領有権を強く意識したもので,日帝の領土侵略を受けた中国を刺激することは火を見るよりも明らかだった。

 話が錯綜しすぎて大変わかりにくい記事になってしまった。今日言いたかったのは,日本が領有権と施政権との区別をはっきりと認識してこなかったがために,ある一首長の扇動から安易に国有化へと進んでしまったことが,今回の緊迫した情勢を招いたということ。


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