エコ・ブログトップへ スマイル・エコ・プログラム

僕は今、臨床医をやめ、日々おもにがん患者さんを対象に医療相談をしています。そんな毎日の中で感じたことを本音で書いてみたいと思います

1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

年金問題に秘策を

テーマ:その他
2012年02月04日

少子化の勢いにはずみがつくばかりで一向に減速の予兆はない

狭い日本に人が増えすぎるのも困りものだが減りすぎるのもまた大変だ

しかもお年寄りの比率が増えるいっぽう


この期に及んで年金を頼りにするほど能天気な僕でもないが

政府の怠慢な対応や不公平さに釈然としないのは僕だけではないはず

だったらいっそのこと年金など全廃しすべて自己責任!としたほうが

よほどすっきりすると思うが・・・

今の政府にはそんな英断を下す勇気もないだろう

さりとて何ら策も講じることなく

ただひたすらずるずると先延ばしにするだけでは

これまた能が無さすぎる


では秘策をというわけではないが・・・、もっと単純に考えてみてはどうか?!

貰える年金の額を、

原則として子どもの数に比例させる

原則としてお年寄りを支える若者を育てた数に比例させる

・・・現役時代に支払った金額はもちろん考慮にはいれるが・・・


それなら極めて公平ではないか

子どもを産んで育てるには多大なエネルギーが要る

費やすお金とて積算すればとても控除や手当なんかではキャンセルできる額ではない


未来の年金を支えてくれる若者を産んで育てた数が異なるのに、

貰える年金が同じというのはどう考えても納得のいかない話だ!


こうすれば少しは不公平感も解消するし

きっと少子化の歯止めにもなると思うが・・・?!

医療特区に期待を!

テーマ:医療・医学
2012年01月07日

昨年の10月にスタートした「りんくう出島クリニック」が、医療特区になるかもしれない!? という朗報が年末に届きました。

旧態依然とした日本のがん医療にも、いよいよ風穴が開くのか・・・と大いに期待が膨らみます!


私たちはずっと以前から、今の日本のがん医療に決定的に欠けるものが3つあると訴え続けてきました。にもかかわらず、私たちの声が小さすぎるせいか、その3つの欠落が顧みられる気配すら未だありません。


その3つとは、もちろん言うまでもなく、「自助努力」、「がんサバイバーの力」、そして「氣の力(東洋医学的)」です。


がんの治癒率、特に病勢が不安定な時期(3期以上に進行したがん、再発や転移をきたしたがん)に関して、私が医者になってから少なくともこの30年間、治癒率にほとんど進展はありません。医者として、まことに情けないかぎりです。

自助努力(セルフ治療)ががんの治癒率を高めることは私たちがすでに明らかにしています。サバイバーの力もまた、治癒率を高めることはサバイバーたちが明らかにしつつあります。そして氣の力(中医薬や気功)が治癒率を高めることはお隣の中国では証明済みですが、私たちも明らかにしつつあります。


-クリニックでは、まだまだ声が小さすぎるのかもしれません。しかし「りんくう出島クリニック」が特区になれば、格段に拡声されます。さすれば声はあまねく社会に響くやもしれません。

そうなることを期待しながら、自助努力(セルフ治療)はもちろん、がんサバイバーの力氣の力(中医薬、気功)を活用することを日々勧める私たちなのです。

がんを治すということ

テーマ:医療・医学
2011年12月27日

e-クリニックもスタートして10年を過ぎ、元気にサバイバルを果たす人たちも多くなってきました。そんな方々と会ってお話しをする時に、共通した感情、なにかしら畏怖に似た念が生じる時がよくあります。それはまさに悟りを開いた徳の高いお坊さんと接した時に感じる気持ちと同じで、自然に頭が下がります。

 それはもちろん、決して糖尿病や高血圧の患者さんに対しては抱くことのなかった感情で、がんと言う病気はつくづく糖尿病や高血圧などとはまったく次元の異なる病気だと思い知らされます。

 


悟りを開き徳の高いお坊さんになるには、命がけの修行が必要であることは言うまでもありません。想像を絶する厳しい修行の最中、ギブアップする者はもちろん、中には本当に命を落とすものもいると聞きます。修羅場をくぐりぬけるとは、まさしくこのことを指すのかもしれません。

だからこそ、そんな修羅場をくぐりぬけた者にしか、見ることのできない景色、体得することのできない境地があるのでしょうし、それを悟りと呼ぶのかもしれません。 ただ悟りを開くと言うことは絶対善に限りなく近づくことに違いなく、だからこそ周りの者たちは、無条件に頭を下げ、畏怖の念を抱いてしまうのでしょう。

私自身も含め、この世の中には無明の民が多すぎます。それ故に悟りを開いた者が必要なのだと思います。つまり、悟りを開いた徳の高いお坊さんが私たちの周りにいてくれることが、せめてものこの世の慈悲なのだと痛感します。


私は高校生の頃、永平寺の修行僧にぶしつけな質問を投げかけてしまいました。

「なぜそこまで自分を追いで修業するのか?そんな修行になんの意味があるのか?その先に何があるのか?」

答えは単純明快でした。

「自分を追い込むのは、まさに意味を知るため!先を知るため!」と

その意味も、無明な私にもわかるよう、丁寧に噛み砕いて説明してくれました。

「私たちはあまりにも多くの物(我(が))を抱え過ぎている。自分を追い込まなければその我(が)を捨てることはできない、その我(が)を捨てることができなければ、修行に耐えることはできない。自分の我(が)をすべて捨てきったあと、ほんの僅かに残るものがある。それが自分自身の本当の意味(姿)であり、自分自身が本当に求めるものである」


ひょっとしたら、がんを治すということも、大胆不敵にも我を捨て修羅場をくぐりぬけることなのかもしれません。がん患者さんは、たとえ命を賭してでも、自分自身の意味を知りたい、自分自身の先を知りたい、そんな思いに駆り立てられた勇者なのかもしれません。

だからこそ、サバイバルを果たした暁には、無明の民には決して見えないものが見え、決して感得できない境地に達するのかもしれません。

と思えば思うほど、やはりサバイバーたちには自然に頭を垂れてしまいます。

Amebaおすすめキーワード

    1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

    あなたもエコ・ブログでブログをつくりませんか?