お勧め書籍 | ふうりんの備忘録

ふうりんの備忘録

中国での生活・体験など

書籍:大東亜戦争の正体 -それはアメリカの侵略戦争だった-
著者:清水 馨八郎



P116~118 毛沢東、周恩来、劉少奇の証言

昭和12年7月7日、午後10時過ぎ、盧溝橋近くに駐留していた日本軍に何者かが発砲した。
銃撃は数回にわたったが、日本軍は反撃せず、隠忍自重していた。
が、翌日になって日本軍は遺留明の保護と自衛のため反撃に出た。
この最初の発砲事件が中国共産党が仕掛けた謀略であることは、先にも述べたとおり、次の発言で明らかとなった。


①劉少奇の「盧溝橋事件は中共軍の謀略だった」という発言
当時中国共産党の副主席であった劉少奇が、戦後になって

「盧溝橋事件の仕掛人は中国共産党で、現地の責任者はこの俺だ」

と証拠を示して西側記者団に発表した。
この発表が契機となって、当時戦犯として巣鴨プリズンに拘置中の河辺大将、牟田口中将は理由も告げられず釈放された。
東京裁判で、盧溝橋事件を起こした罪を、日本軍に負わせるため現地の日本軍指揮官を処罰しようとしていたところへ、事件を起こした真犯人は中共軍だと発表され、あわてて右のような処置に出たのである。
劉少奇の発表を聞いた時、東京裁判の主席検事だったキーナンはあわてふためき、顔面蒼白になったそうである。


②周恩来の「中共軍が日本軍と国民党軍の鉄砲を撃ち込み、相戦わせた」という発言
周恩来首相は昭和24年(1949年)の中華人民共和国樹立宣言の際、

「われわれ中共軍が日本軍と蒋介石の軍隊の両軍に鉄砲を撃ち込み、さらに日華協定を妨げたことが、中国共産党の今日の栄光をもたらした起因である」

と言明した。


③毛沢東の「日本軍のお陰で、中華人民共和国をつくることができた」という日本に対する感謝発言
右の周恩来や劉少奇の言と同じように、毛沢東も日本軍と蒋介石軍を相討ちさせたお陰で、中華人民共和国をつくることができたと認めている。
昭和39年(1964年)7月10日、毛沢東は当時の日本社会党の委員長だった佐々木更三氏と、会見した時の対話の中で、はっきりと、こう述べている。

<中略>


何も申し訳なく思うことはありません。
日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。
皆さんの皇軍なしにわれわれが権力を奪取することは不可能だったのです。
この点、皆さんと私は意見を異にしており、われわれ両者の間には矛盾がありますね(皆が笑って会場が盛り上がった)。