原発問題に精力的に取り組んでいる広瀬隆氏が、米国ハンフォード再処理工場がコロンビア川に垂れ流した放射性物質が、食物連鎖で100万倍との話(下の絵)を、その引用先と放射性物質を明示せず、講演や書籍でしていて、残念だった。


さらに愕然としたのは、Twitterやブログなどで、何も深く考えずに下記の絵を転載して拡散していたり、また、そんな広瀬隆氏の言うことは信用できぬという意見が飛び交っていることだ。


そこで、広瀬隆氏がその話をどこから引き出してきたのか追跡してみた。 


結果、この話はこうであるらしい。


・コロンビア川という淡水系へ垂れ流した放射能汚染水から食物連鎖によって放射性物質が濃縮するケースであり、このケースで取り上げた100万倍の濃縮の例は、P-32というリン同位体のものであった。


・淡水生物のその濃縮度は海洋性生物のそれより高くなる傾向にある。(淡水生物は、環境水に必要元素が極めて少ないため、過剰に同元素を摂取する傾向にある。)


・今回福島原発事故でフォーカスされている放射性セシウムや放射性ストロンチウムなどでは、それぞれ通常摂取されるカリウム及びカルシウムの範囲内で生態系に採りこまれ、おのずと濃縮係数が低く抑えられている。が、コロンビア川で取り上げたのは、P-32であり、その元素は特に淡水生物にとり最も通常摂取が困難なもので、生態的に体内摂取量(濃度)を調整できずに100万倍への濃縮が起きると思われる。


・さて、この後に取り上げる別な米国文献では、その後の調査で人間への食物連鎖での影響を調べたとしているが、ネズミを使って実験をして、その結果に基づき、人間への影響は安全基準内だと述べているのが不気味であった。


米国・コロンビア川での放射能濃縮データ
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そこで、この話がどこから出てきたのか追跡したところ、一つの資料が見つかった。

http://books.google.co.jp/books?id=RSmEvbKo4FcC&pg=PA119&lpg=PA119&dq=Ecology+with+a+Wartime+Focus+Richard+Foster+and+J.J.Davis&source=bl&ots=fvxFARFSj4&sig=LiGf2shuEfyYeFAfXPlzomU1iak&hl=ja&sa=X&ei=gukUT9rmAfDHmQWz9-i8BA&ved=0CCAQ6AEwAA#v=onepage&q=Ecology%20with%20a%20Wartime%20Focus%20Richard%20Foster%20and%20J.J.Davis&f=false

訳出してみました。(原文は下に貼り付けました)


第二次世界大戦中に、核兵器を秘密裏に開発する科学者と軍の努力が進行中、米国政府がワシントン大学の水産生物学者を雇って主な魚種への放射能影響を調査させた。


大学で漁業を学ぶために1930年にシアトルに着き1939年に修士号と博士号を得たローレン・ドナルドソンが、水相系への放射能影響を学んだ一団の生物学者を率いた。 


彼らは大学内に創られた応用水産研究所という法人下で働いた。その研究所の公表された目標は、サケのライフサイクルを研究することであった。政府は進行中の放射能の作業を注目されたくなかった。ドナルドソン自身はサケの放射能研究と兵器開発が結びついている可能性についてはなにも知らなかった。その水産の仕事は、現実的な懸念の場所- ワシントン州中央のコロンビア川のハンフォード施設の核研究所、大学から175マイル東南、から注意をそらせるため校内で実施された。


ドナルドソンは1944年後期にその結びつきを知った。 その時までに、彼の研究チームはサケの卵の死亡率と高い放射能レベルとのリンクを既に確立していた。


生育したサケがたとえ低い放射線照射量を受けたとしても、それらの卵の少量だがかなりの部分が孵化に失敗した。さらに高い照射量で、卵から孵化したサケの間で機能不全が増加した。


1945年の夏、ドナルドソンは応用水産研究所の一部をハンフォードに移すことを許された。 どのように放射能に影響を受けた水相系が拡大するかについての関心、そして放射線の現場研究が科学的な好奇心以上のものになった。


ハンフォード工場は少なくとも194年9月以来放射能を生産してきたが、その1944年9月に、物理学者達はその時までに創り上げた最大の核物質の連鎖反応をテスト開始した。 これらの原子炉はコロンビア川からの水で冷却された。


その原子炉は川が直接放射能物質と直接接触することから防ぐよう設計されたが、漏出と事故放出が一定の脅威をもたらした。


例え政府の関心の多くが爆弾開発から爆弾テストに移っても、ハンフォードのまわりの採取は戦後も続いた。 

放射能採取で最も経験のある生物学者達は太平洋に行ったが、そこで軍は1946年に一連の爆弾テストを開始する計画をしていた。 ワシントンと他の開発サイトで、生物学者達は蓄積されていく放射能廃棄物に力を入れ始めた。 彼らはこの廃棄物が生物の健康に及ぼす脅威がどのくらい大きいのか知る必要があった。


ハンフォードの研究はエコロジカル・プランニングにほとんど関与しなかったが、生物学者たちは、生態系についての思考を刺激するかたちで、技巧を結集し始めた。


戦争終結時その場所にいたことのあるワシントン大学出身の二人の水産生物学者、リチャード・フォスターとJ.J.デイビスはコロンビア川の食物網の中でリン同位体(P-32)を追跡した。GEはハンフォード工場を運営し、大学と契約してフォスターとデイビスに研究を強化させた。


ハンフォード工場から流れ出た放射能の量はわずかであると一般に信じられていたが、その同位元素はコロンビア川の生態系にとどまっていた。 例えば、小魚では、周辺の水より15万倍以上のP-32濃縮があった。 鳥もまた影響を受けた。 子つばめは水のP-32より50万倍の濃縮があり、アヒルとガチョウの卵は150万倍の濃縮があった。 


生物学者はこれを連鎖の各レベルの消費生物の生体組織の中で濃縮が拡大していく食物連鎖の生態影響と認識した。原子炉を川の水で冷却する処理の間、例え最低レベルのP-32しかハンフォード工場からコロンビア川へ漏れてなくても、その同位体はまさしく他のどのリン原子と同様にその食物連鎖に入った。その同位体は有機分子の一部となり、植物と動物の組織を作り、それはその後食物連鎖を通じて他の動物によって食べられた。リンのような元素の濃縮が無機環境では低いままである一方、植物及び動物の有機組織はこれらの元素を保持し、蓄積する。 わずかな放射能を含んだ水だったら飲んでも安全かもしれないが、そのような環境からの植物と動物を食べるのは未解決のリスクをもたらした。


ハンフォードでの原子力事業(?)は生態系を通じた放射能の動きの重要なケーススタディへと発展した。 これはこれらの研究の元々の意図でなかったので、フォスターとデイビスには放射能の環境影響を探求する機会はほとんどなかった。 一部分において、ハンフォードのまわりの廃棄物へのフォーカスはそれを運営している請負元GEの実際の関心事から生じたものだった。 ワシントン大学はGEの要求で関与したが、環境を理解してのことでなく、むしろ同社が究極的に責任を取らされるかもしれないリスクを評価し確認することだった。 この時、企業は環境訴訟や規制をほとんど恐れていなかったが、もし人の健康へのリスクが余りに高くなると政府財源支援が無くなる高度技術企業の長期収益性を心配した。


<原文>

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