7月28日に呉 善花(オ・ソンファ)という韓国生まれの帰化日本人が韓国の仁川空港で入国を拒否されたというニュースがあった。ソウルで行われる親族の結婚式に出席するために降り立ったところ、入国審査ではねられたのだという。


実をいうと、私は呉善花という人がどういう人なのか全く知らなかったのだが、ネット上でたまたま見つけた彼女の伝記のような文章を読んだら抜群におもしろかったので、今日はこれについて述べてみたいと思う。


これは一言でいえば、彼女が韓国の学校教育で植え付けられた反日という洗脳の呪縛を自ら苦労して解き放った記録である。話は留学先を選ぶところから始まる。彼女は韓国の学校を卒業してアメリカに留学しようとしたが、ビザがなかなか取得できなかったため、日本に一旦留学して、日本からアメリカに留学しようと考えた。1983年、彼女が27歳の時のことである。つまり、日本留学は彼女にとってトランジットのようなものだったのである。


彼女は、日本で暮らしてみると日本は韓国では悪魔の国と教えられてきたのに、どこへ行っても日本人は優しく親切で、町並みはきれいなため、驚きと感激の連続であった。こうして彼女の最初の1年は心地よく過ぎていった。


ところが、日本人の友人もでき、少し深く付き合うようになると、日本人の行動は彼女には全く理解できない。なぜなら、韓国では、友人であればその人のものをまるで自分のもののように勝手に使ってしまうのが親しさの表現なのに、日本人の友人は彼女の消しゴムを借りる時にも、いつも、「ちょっと貸してくれる?」と聞き、使い終わると、「どうもありがとう」と感謝の言葉を述べるからであった。韓国には、「親しき仲にも礼儀あり」という習慣はないのである。


やっぱり、日本は悪魔の国で、日本人の温かさは表面だけのものであり、内面は冷たい心の持ち主なのではないかと思えてきて、日本人の全てに嫌悪感を感じるようになっていった。


そこで彼女は考えた、郷に入りては郷に従えだろうと。彼女は自分の方から日本の習慣や日本人のものの見方に近づいていった。キムチを食べるのをやめ、韓国人にとっては薄味過ぎる日本食に積極的に挑戦し、韓国人の目から見て価値があるとは思えないいただきもののコーヒーカップを奥から取り出してきて、毎日そのカップでコーヒーを飲み始めた。そうこうしているうちに、日本人の美意識なるものの意味がおぼろげながらも見えてきたというのである。


結局、彼女は、日本人の目で日本と韓国が見られるようになって、日本の良さも悪さも、韓国の良さも悪さも、客観的に捉えられるようになった。そして、日本に帰化して定住し、2004年から拓殖大学の教壇に立っている。


今回、呉善花氏が不幸にも母国への入国を拒否されたのは、彼女の日本での評論活動が韓国内で反韓的と思われていることと、それに対して韓国政府は彼女と議論しても勝てないことを知っていることと、ほぼ同年代の同性の朴槿惠大統領の嫉妬が影響しているのではないかと私は考えている。


それにしても、今回の一件で反日の洗脳を解くのがいかに難しいか痛感させられたことである。