「すっかり良い天気になったなあ。今日は極上の子供の日だ」
「あら、まだ童心をたもっているとでもいうの。公園でビールをあける子供はいないわ」
「今日くらいは見逃してくれ。この気持ちのよい空が大人の自制心を解放させるんだよ」

あちこちに風船をもった子供を見かける。どこかの企業が宣伝がわりに与えているようだ。
無邪気な彼らは、あっというまに割る。その大きな音におどろく鳩が一斉にとびたつ。

「なんか、本当にのどかなだよなあ。子供が元気に走りまわる姿をみると、ホッとするな」
「天然の癒しよね。赤ん坊の泣き声さえ、愛おしく感じちゃうわ。普段はそうでもないんだけど」
「そうだよな。満員電車で泣かれるときほど、言っちゃ悪いけど不快感きわまりない」
「そのときの気分をはかる目安になるわね。男女差もあるんだろうけど」

本来、守られるべき存在の声にイラつきを覚えることは、精神的によくないときを示している。
かよわき赤子が何らかのSOSを求めているのだ。機嫌をそこねている場合じゃない。

「核家族化が進みまくって、いまどきは赤ん坊の声をきく機会が結婚までないからなあ」
「耐性は必要ね。私は学生のときに、保育的なことをボランティアでやってたから」
「そういや週に何回か保育所に通っていたよな。実際、どこまで面倒見ていたんだ」
「ほんのヘルプにすぎないわ。オムツをかえたりとか、ミルクをあげたりとかね」

それでも、その経験は未来への貴重な財産となる。乳幼児の世話は本当に大変だ。

「俺も弟のオムツをかえさせられたよ。六才離れているから、それくらいはやったもんだ」
「はじめて聞いたけど、それってすごいよね。私も初めてのときは、失敗ばかりしていたわ」
「なにしろ子供だったから、なんとなく勝手に覚えたよ。いまはすっかり忘れちゃったけどな」

見なおしたわ、と尊敬のまなざしをおくる彼女。大したことじゃないが、すこし威張ってみせる。

「じゃ、子供はもちろん、私のオムツも替えてもらおうかしら。そのときまで元気だったらね」

端午の節句は子供の健康を願う日。そうなくなった相手のためにも、健康でいなきゃな。