「シンガポールか。前にインドネシアへいったときに少しだけよったんだよなあ」
「そういえば、そんなこといってたわね。しかし美味しそうに食べるわね、このリポーター」
「俺の大好きな番組のひとつなんだよ。そしてもっとも悔やまれる瞬間が、いま流されていた」

再放送されるのを見るたびに後悔の念がつきない。とんでもない失敗をしたからだ。

「この紹介されたチキンライス店、世界的に有名なんだよ。しかも恐ろしく安い」
「ここって、いわゆる屋台が集まったフードコートみたいなものよね」
「そう。日本のようにチェーン店が出店しているんじゃなく、個人屋台の集合版なんだ」
「私もバンコクで、似たようなところへ行ったわ。いかにもザ・東南アジアって感じだったわ」

かの地は食に対するこだわりがあるようでないというか、とにかく雑多である。
衛生面では日本にかなわないが、それがほどよい緩やかな雰囲気を生みだしている。

「かしこまる必要が何ひとつないんだよなあ。それでいて安い、早い、うまいとくる」
「物価の差があるから、食いしん坊の日本人には桃源郷にうつるでしょうね」
「文字どおり、フルーツもうまいんだよ。桃はないけどマンゴーやパイナップルとか」
「たまにドリアンの強烈な匂いに出会うこともあるよね。私は嗅いだだけでダメだけど」

ガイドブックでは生モノやフルーツ、氷にはつねに気をつけろと書かれている。
そして屋台街での食べ歩きも控えるようなアドバイスがあったりする。もったいない。
読者になにかあったときの免責事項だろうが、人間の腹は実際それほどよわくない。

「私もお腹は丈夫なほうだけど、一緒にいった友だちはずっとホテルにこもってたわ」
「なにかにあたったんだろうが、疲れや緊張が消化の調子を一番にくるわせるからなあ」
「私もそう思うわ。しかもあなたは昼間からビールを飲むもんね、旅行中は」
「あたりまえだ。これは異邦人の特権であり、緊張をとく意味もある。食べあるきの基本だ」

さすがにイスラム圏では、日の出ている時間帯に顔を赤らめるのはやめておいた。
それにかわるローカルなお茶やコーヒー、フルーツジュースをあびるほど飲んだ。

「郷にはいれば郷にしたがえだよ。違和感を日常にかえるのが、旅の醍醐味ってもんだ」
「ところで悔やみにくやみきれないことって、なんだったの」
「ああ、わすれてた。じつは到着がはやすぎて開店前だったんだよ」

そこには早朝についたため、まだ準備中。店のおやっさんに聞くと開店時刻は昼前とのこと。
わずか数時間のトランジットのため、ボイルされていくニワトリを指くわえて眺めるだけだった。

「しかたなく空港でチキンライスを食べたんだが、たしかにうまいんだけど雰囲気と値段がなあ」
「そこまであなたを虜にするその店に嫉妬しちゃうわ。明日から私の開店時刻も遅らせるようかな」

いつもギリギリまで寝る彼女に、その言葉の意味はあまりないと思った。
だが、閉店時刻まで繰りあげられるのは勘弁だ。とりあえずベッドまでは開いていておくれ。