「あら、こんなとこにあったのね」
「おお、見過ごしていたなあ。とりあえず入ろう、腹減った」

裏路地にひっそりと構えるタイ料理店。
ランチはバイキング制で、10種類ほどの料理が大型のプレートに盛りつけられている。
テーブルはガタつき、店員も必要以上の愛想はない。
壁には客が書きなぐったと思われる、乱雑な言葉で占められている。

「いいわね、アタシこの雰囲気すきよ」
「でも、料理はちょっと冷めてるよ。さすがにカレーは温かいけど」
「思えば、もう三年前になるかしら。バンコクは楽しかったなあ」
「おいおい、そんな話きいたことないぞ。誰と行ったの?」
「うん、ちょっとね。息抜きにね」

はぐらかした答えを飲みこむように、彼女はスプーンでカレーを口に運ぶ。
それにあわせて、僕も適当にぶっかけたメシをかきこんでみた。旨い。
タイ料理独特の適度な酸味と辛味が、つかの間のエキゾチックな世界を感じさせる。
パクチーの匂いが気になるものの、本場と比べると目立ってはいない。

「俺も何年か前にチェンマイへ旅行したけど、面白かったなあ。メシも旨かった」
「やっぱり安いしね。一度、あの物価で暮らすと日本に戻れないわ」
「バンコクで暮らしてたの?今日は知らないことばかり聞かされるなあ」
「ううん、少しだけよ。そんなに大したことないから。タイだけにね」
「なんだかなあ、君はいつもはぐらかすよね。で、誰と?」

しばらく黙ったまま、別の料理を口にする彼女。何かを思い出して楽しそうだ。
気になる。とても気になってしかたない。辛味が感じられなくなってきた。

「まあ、思い出は思い出。いまはアナタと一緒にランチしている。それでいいじゃない」
「そりゃそうだけど、男としてはすっきりしないなあ」
「気になる?一緒にくらしていたのは、彼よ」

とりだしたスマホに、いくつかの写真があった。
象の世話をしている彼女。どこかの動物園だろうか。笑っている。

「象はね、とても優しいのよ。本当に。それが今、アナタと付き合っている理由。わかった?」

天狗のように伸ばしたいところだが、僕の鼻は申し訳なく縮こまる一方だった。ありがとさん。