神様への質問を公開でお答えする、【神様ほっとライン 】。本日のご質問は「もも」さんからです。では、まず、ご質問の内容です。(ももさん、ご投稿ありがとうございます!)
---------------
「人を喜ばせる」ことについて質問があります
自分がしてもらって嬉しいことを、相手も喜んでくれるかもしれないと行動を起こしても
感じ方は人それぞれといいますか、喜びにつながったのかな?と思うことがあります
まぁ、それはそれで仕方がないのですけど、どうすれば喜ばせることができるのかなぁ?と考えてしまいます
そういっておきながら、喜んでくれる人を前に「気を使って喜んでくれているのでは?」と動揺して、その場でどうしていいのかわからなくなる自分もいます・・・
反応が気になるのに、その反応をこわがっている私って・・・どうしたらいいのでしょう?
------------------
龍:「なるほど。喜ばせたいんだけど、反応がすごく気になっちゃう、と」
神:「いい質問ですね。さっそくお答えしますと、人を喜ばせる方法は、大きく分けて、ふたつあります。外面的に喜ばせるのか、内面的に喜ばせるのか。です」
龍:「外面と、内面があるんですね?」
神:「そう。外面的に喜ばせる方法はいろいろあって、人によってそれぞれ違いますが、一言でいうと
その人が喜びそうなことを考えてする。それが外面的喜びを与える、ということです」
龍:「ふむふむ。でも、まあ、普通ですよね、それが」
神:「では、内面的に喜ばせる、というのはどういうことか。それは、自分が嬉しいこと。自分が喜んでいること、興味があること。それを表現するということです。相手のことをよく知らなくても、自分を中心として、相手に対応すること。そのときにあなたから出されるものが、相手を内面的に喜ばせる、ひとつの方法です」
龍:「??? 自分が嬉しいことを表現する? それで相手は喜ぶんですか?」
神:「内面的、つまり魂レベルで、喜びます。外面的に、その人が喜びそうだなあと思うことを頑張ってするのは、もちろん可能ですが、相手は感づきます。ああ、この人、わたしに気を遣っているなあ、と。バレないように気を遣うのは、高度な演技力が必要となりますので、大変難しいです」
龍:「いや、確かにそうかもですが・・・・・でも、なんというか、相手のことより、自分が喜んじゃうのって、どうなんだろうっと思っちゃいます」
神:「内面的な喜ばせ方をさらに詳しく言いますと、
自分を出す
自分のわがままを言う
自分の好きなこと、楽しいことを言う
などの行為をすることです」
龍:「えええっ!? それ、ダメですよ! なんかもう、ナルシストというか、自慢しいとかって感じじゃありません!?」
神:「ははは。驚くのも無理はないですね。『自分自身の生き様を相手に見せることにより、結局は相手に喜ばれる』というお話は、おそらくどこにもないはずです」
龍:「ないですよ! 誰も聞いたことがないと思います!」
神:「龍が想像する通り、相手が『うわ、この人ってナルシストだ!』とか、『この人、自分のこと褒めてる! 自慢しいだ!』など、思ったとしましょう。でも、それが、その人の将来における、喜びの糧、となっていくのです」
龍:「ほ、本当にそうなるんですか? 将来の喜びの糧に?」
神:「はい。これは外面的な、つまりその場だけ喜ばせようとする方法ではありませんが、その人が生きていくうえで、『あんな人がいた』、『面白い人がいた』ということは、記憶に留められます」
龍:「ああ、そりゃ、そんな人ってインパクトあるでしょうからねえ・・・」
神:「つまり、自分の可能性、というものが、その人を見たことにより、開かれるのです。その後、たとえばナルシスト、自慢しいが言っていたことが、今、自分もしてる! で、けっこう楽しい! となる可能性が、非常に高くなるのです」
龍:「ふむ、なんというか、将来のサンプルを見た、みたいな感じでしょうか? でも、本当にそれでいいのかなあ・・・?」
神:「人は、誰かに『これ楽しい! 面白い!』ということを言われると、思わず仲間に入りたい、その行列に並びたい、という気持ちが出てきます。なにか楽しそうだから、ちょっと並んでみようかな、という気持ち。それは、誰しも、多かれ少なかれ、持っているものです。もちろん、理性が邪魔して並ばない人もいますけどね」
龍:「ああ、僕は並ばないタイプかも(^_^;)」
神:「まあ、行列に並んで、体験したとしましょう。でも、そこで大喜びをするわけではなく、あの自慢しいのおかげだとも思わず、自慢しいの言葉がきっかけだとも思いません。ましてや、自慢しいに感謝する、などということは、起こりません。でも、その人は、喜ぶんです」
龍:「まあ、そりゃそうなっても自慢しいの人のことなんか、思い出さないでしょうねえ・・・。でも、楽しいことを体験すると、喜んじゃうのは間違いないですよね」
神:「そうです。魂が、喜ぶのです。だから、人を喜ばせたい、というときに、その場を盛り上げたりだとか、なんとか笑わせたいという気持ちも大事ですが、思い切り自分を出して、自分がまず喜んでみること。それが将来、相手の喜びにつながる、と思ってください」
龍:「いやああ、でも、なんか気の長いというか、難しい話ですねえ・・・。実際、そうなってみると、できるかなあ。。。」
神:「じゃあ、少しエクササイズをしてみようか。たとえば、龍が失恋したとしましょう」
龍:「失恋のプロと呼んでください!」
神:「ははは。まず、恋愛をしている男女。これは、お互いが、お互いを喜ばせようとして、頑張りますよね」
龍:「そりゃあ、頑張りまくるでしょう!」
神:「で、頑張りすぎた人が、傷つくのです」
龍:「あ・・・・・・・・」
神:「ですから、喜ばせよう、喜ばせようと、頑張らないようにしてください。つまり、
愛をその人からもらおう、もらおうとしないことです
どちらも奥ゆかしい、いわゆる、スローな恋をしたほうが、関係は長続きします」
龍:「参考になります・・・」
神:「あとはたとえば、性格の不一致、価値観の違いもありますよね。自分が喜んでいることを『ケッ』と思う相手。そういう相手とは、当然、うまくいきません。逆に、あなたが喜んでいることに対し、それいいね! と、本気で認めてくれる人が、あなたの本当の『魂のお友達』になるのです」
龍:「魂のお友達! 素晴らしい!」
神:「出会って、別れて、出会って、別れて、人間は成長していきます。では、ここでクイズです。
『別れにおいて、相手を喜ばせる方法は、なんでしょうか?』
龍:「別れるときに、相手を喜ばせる方法!?」
神:「たとえば龍が惚れ抜いた女性がいて、相手から別れを切り出された場合。どうすれば、相手は喜ぶと思いますか?」
龍:「むむむ。。。そりゃまあ、何も言わず、すっと身を引く、とか?」
神:「甘いですね」
龍:「えええ? えっと・・・・・・・もう、泣いちゃうとか?」
神:「もっと!」
龍:「もっとお??? ええええ???」
神:「自分の心を、さらけ出すのです」
龍:「・・・降参です。。。失恋のアマと呼んでください。。。」
神:「答えは、『自分がどういう人間であったかを、はっきり言うこと』です。君は、こういう僕が嫌いだったんだね、ということを、はっきりさせなさい。それが、相手の喜びにつながります」
龍:「エーーーッ!? それ、過酷っす!!!!!!!!」
神:「しかし、それにより相手は、龍を嫌いになった理由をはっきりと認めることになり、また新たな場所へ羽ばたいていけます。だいたい、別れにおいては、それを認めないからこじれることが多いのです。ふられた、ということを認められなかったことが、傷となるのです」
龍:「そ、そうかもしれませんが、でも、やっぱそれは難しいですよ」
神:「でも、そういう自分すらも、認めてあげればいいのです。認められなかった自分を、認めてあげればいいのです」
龍:「認められない自分を、認める・・・」
神:「そう。でも今後、龍がふられたときは、そういえば、僕は確かに、そうだった。君はそこが嫌いだったんだね。そこが苦手だったんだね。そこをウヤムヤにせず、自分を見つめることが大切です。自分がどうして嫌われたのか、憎まれたのかを、よく考えることです」
龍:「・・・・・・・・・・・・」
神:「相手がいないと、自分は存在できません。なぜ、そういう結果になったのか、自分で見て、自分で伝えるのは、自分の魂の喜びでもあります。自分のすべてを、相手に見せること。そうすると、最終的に、自分を認めた自分を好きになります」
龍:「自分を認めた自分を、好きになる。僕も、できればそうしたいです」
神:「相手を喜ばせよう、という行為は非常に尊いものです。相手が喜べば、自分の魂も喜びます。その逆のパターンも同じく。でも、それを受け入れるか受け入れないかは、意識とは別です。意識では嫌いと思っていても、魂は、ちょっと必要かも? と感じていたりします。そうやって、色んな人と補完しあいながら、魂は息づいているのです」
龍:「なるほど・・・」
神:「相手がいることを認め、相手を喜ばせようとする努力は、自分に対する努力となります。それを訓練していってもらえれば、自分を見つめ、自分を認め、愛することができるようになります。そうすれば、おのずと、人を喜ばせられるようになります。そこに、生き方のヒントがあるのです」
龍:「自分を愛すれば、相手も喜ぶ、と!」
神:「もうひとつ、最後に大切なことがあります」
龍:「なんでしょうか?」
神:「自分や、相手を認めるときは、ほほえみを忘れないようにしてくださいね(^-^)
以上です。ももさん、素晴らしい質問を、ありがとうございました」
以上です。
人を喜ばすという行為には、外面と内面、二種類のアプローチがあるんですね。気を遣って、その場を盛り上げるのはあくまで外面。逆に、まず自分が喜んで、その楽しい気持ちをおおいに表現することが、相手の内面、つまり魂の喜びを生む、と。
また、恋人にフラれたときに、自分が嫌われたところを確認する作業・・・。これはそうとう過酷ですが、でも、そうすれば、相手も自分も、自分を認めることができて、成長できるんですね。(カモン勇気!)
僕もこの方法を使って、これからもっともっとたくさんの「魂のお友達」を作っていこうと思います。もちろん、常にほほえみながら!
ももさん、、一緒にがんばりましょうね!
---
さて、明日は、「受験生の娘さんをもつ、めんたさんからのご質問(神仏のお守りやお札の扱い)」について、お聞きしていきます!