一方、周囲にいる方が、心に怪我を負った方に対して出来ることには、どんなことがあるだろうか?

今まで述べてきたように、「自分の気持ちを他人に聞いてもらう」ことは大変意味がある。だから、心にケガをした方に対して、「話を聞く」ことは大変重要である。

 「話を聞く」というと、一見誰にでもできそうだが、ここにもいくつか注意しなければいけない点がある。

 まず、話を聞かねばならないからと言って相手に話すことを強く要求したり、話の途中で相手が話を続けられなくなった時に続けることを促したりしてはいけない。あくまで、「相手のペースで」話を聞くことが重要である。特に、災害の直後、まだ生々しい記憶にさいなまれているときに、無理に話を聞きだすことはむしろマイナスである。

 「話を聞く」ことの効果のひとつは、相手が「自分が受け入れられている」「一人ではない」という安心感を得られることである。この安心感は心の安定につながり、ひいては心のケガの回復にもよい効果をもたらすことが期待できる。

 だから、別に「話を聞く」という行動に拘らなくてもよい。相手と自分の関係の中で、ちょっとした自分にできることを手伝ったり、手伝いを申し出たりすることも相手の孤立感を和らげ、安心を得ることにつながる。安心できる人間関係ができれば、「この人なら話しても大丈夫」と相手が思い、辛い気持ちを話すことができるようになれば、さらにケガの回復が早まることも考えられる。また、遠く離れた場所にいる友人が災害に遭った場合などは、すぐにできることはなくても、「連絡を取り続ける」「友人であり続ける」ことだけでも少なからず相手の孤立感を和らげることができる。

 一人ひとりの体力や体質が異なるように、回復の早さも人によって異なる。同じ場所で被災した人たちの中でも、早期に回復して復興のために奔走する人もいれば、なかなか心のケガが治らず思うように動けない人もいるだろう。震災から二年近くの時が過ぎたが、まだ心のケガから立ち直れない方も、決して少なくはないはずだ。時が過ぎれば過ぎるほど、比較的早く立ち直って様々な活動をしている方と、なかなか苦しみから抜け出せない方との間の差は目立つようになってくる。

そういう時、周りが回復の早さに差があるのだということを理解して、なかなか立ち上がれない人がいてもその人のペースを尊重すると、逆説的だが早期の回復につながるのである。

 それとは反対に、「みんながんばっているのにあなただけいつまでもくよくよして……」など非難したり、「一緒にがんばりましょう」などと激励したりすることは、意図に反して相手を傷つけ、心のケガの回復を遅らせることになりかねない。震災から時が経つほど、この点には注意が必要かもしれない。時間がたてばたつほど、周囲の人は心に傷を負った方の傷が治っていることを期待するようになり、また、先に述べたように、立ち直った方との差も目立つようになるからである。

 また、一つ、支援する側にも注意しなければならないことがある。支援する側も、悲惨な体験を直接聞くことで心に傷を受けることがある。こんな時にも、「自分が支援する立場だから」と一人で抱え込まず、同じ立場の人と気持ちを分かち合ったり、無理せず休息をとるよう心がけたりすることが大切である。