次は作曲家の側からクラシック音楽を眺めてみよう.本来であればこちら側から見ていくのが王道かもしれないが,このシリーズの最終目標はお手頃なクラシック入門アルバムであるからして,やはりプレーヤーの側から入っていくのもありだろう.ただ注意したいのは,各作曲家ごとにそれを得意とする,ときにはそれを専門とするプレーヤが存在し,ジェネラルな人気のあるプレーヤーのパフォーマンスを上回るときがあるということだ.

アシュケナージであっても得意分野,苦手分野というものがある.時代ですみ分けて,バロック以前はまったく弾かない人・バロック以前しか弾かない人,そういう演奏家もたくさんいる.例えばポリーニのバッハなんて聴いたことがない.逆にアシュケナージのようなレパートリーはむしろ怪物級であり,普通はもっとレパートリーは絞るものである.そのようなことも念頭に作曲家を眺めてみたい.



知名度が高いという観点から最も古い作曲家はアントニオ・ヴィヴァルディだと思われる.1678年生まれ,今からちょうど330年前の作曲家,日本は江戸時代である.こう見てみると古典西洋音楽というのは他の芸術領域と比べてかなり最近になって確立してきた分野であることがわかる.たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロは1400年代の人,日本は応仁の乱で織田信長も生まれていない.

この理由は単純で,楽器が工芸作品だからだ.絵画や彫刻に比べて道具とそのからくりに対する精度・要求度が高い.楽器に不可能なことは作曲できないし,作曲しても意味がない.楽曲の発展と楽器の発展は後者が先であるため,(手)工業力の発展とともに音楽も発展するのである.例えばヴァイオリンが登場したのはヴィヴァルディが生まれる約100年前,1500年代とされる.場所はイタリア.鍵盤楽器としてはオルガンとチェンバロが存在したが,ピアノはまだ生まれていない.そんな時代である.

管楽器・弦楽器,だいたいの顔が出そろい始め改良も進み,それにともなって練習法・器楽奏法が充実し一つの技術的頂点を見せ始めたのがヴィヴァルディ時代のイタリア半島である.彼は「協奏曲」というジャンルを確立した人とされるが,この時代にいわゆる「ヴィルトゥオーゾ」という楽器演奏の名手が生まれ始めたことがこのジャンルの確立に寄与している.もちろんヴィヴァルディ自身もヴァイオリンの非常な名手であったとされる.

前にも書いたが,昔はプレーヤーとコンポーザーはほとんど重なっていた.分業が進んだのはつい最近である.今となっては自分が弾けないような曲を書くのは当たり前になっているが,クラシックのほとんど全ての作曲家はなんらかの器楽の名手であり,ある時はそのヴィルトゥオジティを披露するために作曲することもあった.

当時のイタリア・ヴェネチアは非常に手工業が発達していたが,それには暗い影がある.一時は地中海に覇を唱えるほどのヴェネチア艦隊であったが,この時代のヴェネチアは地中海の制海権をほとんどオスマントルコに奪われている.そして貿易の主体はアドリア海から大西洋・インド洋へとうつり18世紀末にナポレオン・ボナパルトに侵略されるまでの緩やかな経済的没落が始まっていた.

そんな中でもイタリア手工業は魔性の楽器ストラディヴァリウスや楽器の女王ピアノフォルテを生み出した.

器楽の原点,そして一つの頂点が生み出した作曲家,ヴィヴァルディで何を聴くかと言ったら,もちろん「四季」.「和声と創意の試み」というシリーズで出された4曲である.前にも書いたがこれはソロ・ヴァイオリンと弦楽合奏,および通奏低音という編成によるヴァイオリン協奏曲である.タイトルの通り,きわめて意欲的で独創的な手法が取られており,ただの通俗名曲とは一線を画する,当時の前衛音楽といって良い.現代に聴いても全く古さを感じさせない.

小学校の音楽の時間から聴かされているため,あえてここでは変化球からはいる.

エイト・シーズンズ


このブログでもさんざん取り上げているが,ギドン・クレーメルとその自前楽団による演奏である.もちろんイ・ムジチなどのオーソドックスな演奏があるからこそこのクレーメルの演奏が光ってくるという部分もあるが,この演奏はこの曲が持つ永続的な前衛性・底知れぬ魔性・大地と自然への郷愁を存分にえぐり出している.妙な効果音やどう考えても無理なテンポ設定など,一部にいまだ理解の及ばぬところもあるが,「クラシックってこういうのもありなんだ!」と開眼するためにはむしろ至高の入門アルバムかもしれない.一緒に入っているアストル・ピアソラのタンゴ「ブエノスアイレスの四季」も非常に秀逸.完全なSM・エロティシズムの世界だ.

ソリストのギドン・クレーメルはもともとラトビア出身の亡命ヴァイオリニストであるが,当代一の奇才ヴァイオリニストといっていい.彼は1970年のチャイコフスキーコンクールで優勝しているが,それまでの数カ月の間,地下にこもって「4時間練習したら4時間睡眠」というとんでもないスケジュールで追い込んでいたらしい.要するに変態である.西側に亡命してからも我々の既成概念をあざ笑うかのように,クラシック音楽が秘めている魔性を暴き続けてきた.

そんな悪魔のヴァイオリニストによるアルバムであるが,いわゆる「トンデモ盤」ではない.クラシック音楽を自覚的に聴く最初の一枚として,自信を持っておすすめする.



次回はヴィヴァルディが生まれて7年後,奇しくもおなじ1685年に生まれた3人の偉大な作曲家,ドメニコ・スカルラッティ,ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデル,そしてヨハン・セバスティアン・バッハのアルバムを取り上げる.