3rdアルバム「AMARANTHUS」でももクロが語る「生」とは? | Dr.D.D.のドルオタ日記

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職業:勤務医。病院の要職にありながら、空虚な日本医療界に嫌気がさして診療の片手間にサブカルチャー活動に邁進するようになった男の日記 Twitter:Dr. D. D. (@DrDD2)

1. はじめに
2月17日にももいろクローバーZ(ももクロ)の3rd&4thアルバム「AMARANTHUS」「白金の夜明け」が2枚同時発売となりました。

発売翌日に二つのアルバムを手に入れた自分、今週末に札幌ドームへのライブ遠征、3月末にも福岡ドームへのライブ遠征を控えていることもあり、
現在職場の行き帰りに両アルバムをヘビロテして聴いている最中です。

二つのアルバム同時発売、ということ自体が異例ですが、
加えて今回のアルバムは2つにそれぞれテーマがあり、そのテーマ世界が底のところでお互いに繋がっている、という実に深淵なつくり。

前回のアルバムから3年近くのブランクを空けての発売ですから、どちらのアルバムの内容も非常に濃いものとなっており、ちょっと聴いたくらいで一朝一夕に軽々しく感想など言えない状況ではあると思います。

しかし、そのアルバムが扱っているのはそれぞれ「生と死」「夢と幻」という重いテーマ。

現在、人の生死の現場に携わっている立場の人間として、
また、学生時代に座禅などをやったり、現在娘をキリスト教系の学校に行かせているということもあり、
感じるところが多々ありました。

2. 生から死までの現世で通過する具体的事象に焦点をあてた「AMARANTHUS」と、夢・来世などの観念的事象を描いた「白金の夜明け」

まず、「AMARANTHUS」と「白金の夜明け」のジャケットを手にとって思うのが、対照的な色使い。

↑「AMARANTHUS」(左:初回限定盤 右:通常版)


↑「白金の夜明け」(左:初回限定版 右:通常版)

前者が原色とももクロの5色の派手な色使い。ももクロちゃん達も派手な衣装にフェイスペイントを施して、よく言えば鮮やか、悪く言えば毒々しい、作りとなっています。

一方、後者は、色使いは白を基調として、デザインは多層世界のような、ももクロちゃんの顔も描かれない、曖昧模糊とした表現となっています。

これは、「AMARANTHUS」が現実世界をイメージし、「白金の夜明け」が夢や来世、などの精神世界をイメージしていることに他なりません。

色も輪郭も非常にはっきりしているが、ごちゃごちゃで混沌とした現実。
一方、曖昧としているが、整然とした無限階層を形成している精神世界。

西洋の宗教も、仏教にも、地獄や天国に何段階かの階層を設定しているものが多くあるのにつながっていて、そういうことを考え始めると面白いですよね。

ただ、宗教の話をし始めちゃうと、話が広がりすぎてしまうし、そちらはかじったことがある程度で専門家ではないので、僕が話すべきではない。

そこで、新アルバムのうち、「AMARANTHUS」の方をメインに、ももクロの歌う「生と死」とは何なのか、を自分の経験を元に自分なりに解釈していきたい、と考えました。

まだ、自分の中では考えが整理できていない部分もあるし、思いつくがままに書くので、連載になるのかどうかもわかりません。

楽曲の音楽的な解説ではなく、主観的な言葉と医学用語の羅列になってしまったりして、難しい言葉が出てきて退屈になるかもしれませんが、どうかご容赦下さい。

手始めに第一回目?は
「AMARANTHUS」の2曲目、「WE ARE BORN」のMVと歌詞からももクロちゃんたちが我々に語りかける「生」の意味について、
思うところを書いていきたいと思います。

3. 人間出生の苦難を歌った「WE ARE BORN」


YouTubeなどでMVの一部が公開されていましたので、この曲は何度も繰り返し聴きました。アルバム発売後は、初回限定盤に付属しているBlu-rayのfull MVも何回も見直しました。
人は何のために生まれてくるのか?という根源的な問いに迫る、よく考えられた歌詞と映像だと感心します。

4.生まれてくる瞬間からすでに苦しみが始まっている
よく、産みの苦しみ、といわれますが、この曲のイントロで歌われる通り、実は人間、生まれる側も、生まれた瞬間から外部の厳しい環境に適応(アジャスト)を迫られます。

4-①救急マスト
人間は野生動物よりも弱い生き物であるので、自力で出生後に生存できる能力が弱く、まさに「救急マスト」、の状態となります。

生まれてきても、すぐに呼吸が始まらずずっと止まっている事例はざら。気道に羊水が詰まって仮死状態になっているのです。
それを外部の医療従事者が細いチューブで素早く吸引し、刺激してあげると、ようやく、肺の膨張がはじまって第一呼吸声の「オギャー」が始まります。

僕は婦人科医ではないのですが、学生時代や研修医時代に出産に立ち会うたびに、出生した後になかなか呼吸が始まらず焦ったことがなんどもありました。
ようやく弱いシャウトの声があがると、心底ほっとして、涙が出たこともあります。

4-②肺呼吸アジャスト
出生から数時間後、肺動脈と大動脈との間をバイパスでつないでいた血管(=動脈管:胎内では胎盤から母親のきれいな血液を安定供給されているので肺を血流が通る必要がなく、ショートカットしている)が閉塞し、肺に十分な血液が行き渡るようになって、はじめて安定した肺呼吸ができるようになります。



しかし、胎内での発育が悪く、低体重で出生した赤ちゃんなどでは、出生直後に肺がうまく広がらず、動脈管が閉じずに残ることもあり、こうなってしまうと低酸素の状態でさらに発育が悪くなってしまい、のちに手術が必要となることもあります。

出生後のわずか数時間の間だけでも、人はそれだけの危険と苦難を乗り越えてきているのです。

5.生まれた後のこの世界は荒野。無力と不可抗力。
「WE ARE BORN」のMVでは、赤ん坊の着ぐるみを着たももクロちゃんたちが元気に踊っていますが、その周辺は殺伐とした荒野です。

無責任なコウノトリさんはこんな場所に彼女たちを置き去りにして、どこかへ飛んでいってしまいます。

絶対安心のシェルターである胎内の安定した環境とは異なり、現世はエゴと敵に満ちあふれている。まさに荒野といえるでしょう。
泣きながら、生きる意味を探す旅の始まりです。

5-①生まれる場所も名前も決められない。
しかし、実際、赤ん坊は絶対的に無力な存在。生まれる親を選べないし、環境を選べない。
自分の名前すら決めることができないのです。

昔、自分の子供に「悪魔」などという名前をつけた親がいました。
今の流行りは「キラキラネーム」。

研修医時代小児科の外来にいたときは、子供の名前が読めなくて苦労したものです。
(「銀」って書いて「しるば」くん、なんて言う子がいましたね。)

皆さんは自分の名前がなんでこんな名前なんだろう、って疑問に思ったことはありませんか?僕はあります。
僕の父親が母にも祖父母にも相談せず、勝手に自分の名前から一部をとって、それに別の漢字をくっつけて役所に届け出てしまったらしいのです。
それが音訓読み(重箱読み)になってるのですが、その分ひびきがなんか不自然で、
反抗期の高校生くらいのときは、ちょっと不満に思いました。

5-②泣きっ面に蜂
まあ、名前くらいなら別にいいけれど、バカな親のエゴで子供がつらい目に遭うニュースは多いですよね「まさに泣きっ面に蜂」。

虐待のニュースなんか日常茶飯事。
貧困があった時代から虐待はずっとあったと思いますし、それに対しては行政が守るシステムが整ってきてはいるようですが。

最近は、若い親が乳幼児に面白半分にタバコ吸わせてるところをSNSに載せるような事件もありましたね。
これはもう貧困とかいうレベルの問題ではない。日本人全体のモラルの問題。

その一方、過保護な親(モンスターペアレント)が教育現場を脅かしていたりもする。

こういうのをみると、本当に生まれる環境は大事だなって思います。

5-③堕胎と中絶を彷彿とさせるシーン
歌詞だけでなく、MVではもっとダークなところにも踏み込んでいますよね。

途中、人間の体内での人形劇のシーン。順調に階段を上って(育っていた)と思っていたら、いきなり暗転してれにちゃん人形が「骸骨になって」ドキっとしますよね。

そして、その後は実写で天使の輪をつけて真っ暗な闇(たべかけのチョコやおでんがある)の中さまようももクロちゃんたち。

帽子には相変わらず骸骨のシルエットがついています。
無事に出生できず死んでしまった赤ちゃん(水子)が迷ってる姿を暗示しているシーンです。

これは、自然流産だけでなく、人工流産(堕胎・中絶)も含まれているわけで、
これまた人間のエゴで生まれることができなかった生命もある、という警鐘、ともとらえることができます。

(※ここらあたりのシーンの解釈については人によってわかれるだろうし、ももクロちゃんたちにどれだけ話がなされて伝わっているかはわかりません(Blu-rayのドキュメントのMVメイキングにもそこらの話題は出ていない)
ただ、今までのももクロらしくない、かなりネガティブな部分もある、と夏菜子ちゃんが雑誌の対談でも語っているので、それなりに伝わって考えているのではないか、と思います。)

6. それでも生きる!

このように、「WE ARE BORN」
歌詞も、映像も、かなりネガティブな要素のつまった楽曲。

それでも歌詞と旋律には、「失うものはない」、「希望を捨てない」、「生きろ」、と、いういつもの懸命なももクロちゃんらしいメッセージも伝わってきます。

聴く者はどれだけ救われ、勇気をもらえることでしょう。

しかしその一方で「されど無力、アイロニック(皮肉的な)」、と言う言葉も最後まで並ぶのです。

あのももクロちゃんたちですら最後まで迷っている姿がある。こんなももクロちゃんは初めてです。

やはり無力だから、仕方ないとあきらめるしかないのか。我々も迷ってしまいます。

ここから先は、聴いた人たちに判断してもらい、考えてもらおう、ということなのかもしれません。
皆さんは、どのような感想をお持ちでしょうか?

少なくとも僕は、この曲から一種の希望を感じ取ることができました。
その理由について今から書きます。

7. 無事に生まれてくるには・・・

ここからは、自分のことを少し語らせてください。

今から30年近く前のことです。

自分は当時、私立医大の1年生になりたての頃でした。

時はバブル景気のまっさかり。医師の父兄をもつ同級生や先輩たちには、教養課程の勉強はそこそこ要領よくサボって、
親の金でイイ車に乗って、六本木や渋谷で遊ぶことばかり考えてるような連中が多かったのです。

一方、裕福とはいえないサラリーマン家庭に生まれ、半分ひきこもりのオタクだった自分。
半分本気、半分冗談で受けた私立の医大(浪人覚悟だったので全部を通じてたった一校しか受けなかった)の入試になぜか合格してしまったのでした。
行かせてもらえるとは思っていなかったのですが
親が借金をして学費を工面してくれたのです。

当然心をいれかえ、感謝の気持ちをもって苦学、を覚悟していました。

ところが、僕を待っていたのは、バブルの浮ついた空気。

自分には金もないし、だから同級生と話をしていても話題も合わない。

そんなこんなで僕はいつしかオタクに逆戻りしてしまい。すっかり嫌気がさして、勉強することもやめ、2年間の教養課程の間に仮面浪人して他学部への転出、を考えるようになっていました。

そんなある日、「医学概論」という、毎週、学部のいろいろな教授先生が交代で行う講義がありました。

ちょうどその日は、解剖学(発生学)の教授が話すことになっていました。

医学概論は出席点だけで試験はなく、教養課程の成績には直結しない講義。
当然聞かないで寝るための講義、みたいな位置づけで、ほとんどの学生が机につっぷして寝ています。普段なら僕も講義中寝てるのですが、

たまたまその日だけは寝ないで聞いていたのです。

その教授は、「人間の出生」、の奇跡について熱く語りはじめました。

・数億の精子が1個だけ卵子と受精する確率、
・無事子宮に着床までにいたる確率、
・細胞分裂が始まり、体内の環境が安定し、正常に発生(体内のどこにも奇形や異常が生じず、流産も起こらずに人間の形になる)が終了する確率
・体内で無事に生育する確率、
・そして、最初に書いたとおり、無事に出産する確率。

これらの倍率を掛け合わせたら、天文学的倍率になるのだと・・・。

そして、彼はこう言いました。

「君たちは、医大に合格して安心してふぬけきっているようだが、医学部の倍率なんてせいぜい数十倍ではないか。
ご両親のおかげで、天文学的倍率を乗り越えて無事生まれて来られたエリート中のエリートである、という自覚を持っているのか。
君たちにもしその自覚があれば、講義中にこんな風に寝てられるわけがないんです。」

と。

はっとしました。

そして僕は、親に頼んで、医学部でもう少し頑張ってみよう、と決意したのでした。

あのとき、あの講義を聴いていなかったら、とっくに大学をやめていたかもしれず、
僕は今、こうやって医療関係の仕事をしていたかどうかわかりません。

当然、推しごとも、ももクロの曲に出会わなかった可能性もあります。運命は不思議なものですね。

さて、話を「WE ARE BORN」のももクロのMVにもどしましょう。

MVの暗闇をさまよう赤ん坊のシーンの後、画面が明るくなって、
骸骨ペインティングをした5人が、カラフルな衣装で、美しいお花畑を歩くシーン。

医学的に解釈するならば、卵巣から排卵された卵子が卵管をゆっくりと進んでいくことを表しているわけですね。

YouTubeではそのシーンの途中で途切れています(レコード会社の販売の都合もあるし、内容的な都合もあるか)が、

full MVでは、あの後、白い光る球(=卵子の象徴)をもったももクロちゃんに、CGで映像上でオタマジャクシ状の精子が入って受精が完成します。



その後もももクロちゃんたちは(子宮着床へ向けて)ゆっくりと歩き続ける。




静かな笑みをたたえてゆっくりと歩む五人の姿は、五色の天使が再び天界から輪廻の魂を運んできている姿のようにも見えます。

(※そういう点で、「AMARANTHUS」の現生の世界と「白金の夜明け」の夢幻の世界は、ここでもつながっている。)

そして、映像は、もう一度、赤ちゃんの格好で生まれて力強く生きようとする5人の決意の表情で終わります。

このシーンをみたとき僕はあの学生時代の講義のことが鮮烈に蘇り、
このMVで語られる希望と決意が、自分が学生時代にもった希望と決意に重なり合い少しだけ涙が出ました。

8.終わりに

この楽曲、MVではどくろのフェイスペインティングして、
「オギャー」
なんてMステで歌ってるのをみて、
一般の人も、他のアンチのオタも、「なんて変な曲」って思うかもしれない。

「だいたいなんでアイドルがこんな曲を歌わなければならないのか、」
っていう疑問もあるでしょう。

また受け狙いの独りよがりが始まった、と。

でも、ももクロが歌わなければ、じゃあ、どのアーチストが歌うのか。

MVで恥ずかしい格好までして、
生きることの苦難に関して、直感的な説得力をもった表現をできるアーチストが、他のどこにいるのか・・・?
と、問いたい。

そう「AMARANTHUS」
独りよがりでもいい、少しでも多くの人にメッセージが伝われば、という意気込みが感じられるアルバムであることは疑いなく、僕は高く評価しています。

このアルバムはゆるやかに終焉に向かいつつあるアイドルブームを救う希望の一つだと言ってもいい。

そして、その中の「WE ARE BORN」を通じて僕は医療従事者なりの経験と重ね合わせて「生」の意味を考えなおすきっかけをもらいました。

で、他の方にも、アルバムの楽曲を深く考えてくださるきっかけになれば、と思いこの記事を書いた次第。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

近日中に次は、「AMARANTHUS」のもう一方のテーマ「死」について。

楽曲「バイバイでさようなら」「HAPPY Re:BIRTHDAY」を中心に、普段から(生よりも)「死」と間近に接している者としての経験を元に思うことを記事を書ければ、と思っています。

機会があれば、お目にかかりましょう。