サッカーには興味はないが、日本のマスコミが「こんなことするなんてヒドイバカざあますねえ」からMVPをもらったら何故か一転、「差別的なことを言われたようですねえ、それだったら・・」になったこの件で、ジダン選手の発言はちょっと胸を打たれた。


ジダン:彼は耐え難い言葉何度も…テレビ発言の要旨  


 自分の行為を後悔するわけにはいかない。後悔すれば(マテラッツィ選手が)ああいう言葉を口にするのは正しかったということを意味してしまうからだ。それはできない。

 (国際サッカー連盟に)言いたいことは、挑発がなければ、それに反発する(暴力)行為も起こり得ないということだ。責められるべきは挑発してくる人間だ。W杯の決勝で、自分の選手生活の終わりまであと10分しか残っていないという状況で、自分の喜びのために私があんな行為をやったと思いますか。

 わたしがやったことは許されない行為だ。しかし言いたいことは、本当に責められるべき人間を罰する必要があるということだ。


この事件のF2やBBC、TVEなどの一連の報道を見て、差別主義に抵抗するものに対して寄り添おうとする姿勢を感じた。本当に憎むべきは卑劣な差別主義者だ。


ジダン選手に屈辱を与える発言をしたとされる選手は、こんなことを言っている。

「侮辱的な言葉をかけたことは認めるが、それは(試合中)よくあることで具体的に何を言ったかは覚えていない」


相手が言われた屈辱的なことを絶対に口にしないだろうと承知の上でそらトボける、

日本でも、民族的差別をする人間にこういった卑怯な態度をよく見かける。

相手に差別的な発言を投げかけて、「これは差別語じゃありませんよ、日本では普通に使われている言葉ですよ」「差別と感じるあなたに問題があるんですよ、アナタが○○人だからそんなにひがみやすいんですよ」といって、自分は無垢を装い意図的に相手を不快にさせて優越心に浸る気持ちが悪くなる位の根の暗い薄汚さ。



そういった自己満足的行為で相手を侮辱することによって差別主義者たちが何を得て、何をしようとしているのかということは、本当に俺の想像の範疇外だが、


「国際社会」というものはそんな差別主義を容認するほど野蛮でないことを承知しているだろうか?

「ボクたちは優れた日本人だから『区別』するのは当たり前で、傷ついたとかいうのがおかしいんですよ、日本人が他の『特亜』を『区別』することは『特亜』を知れば欧米諸国も理解してくれますよ」などという世迷いごとを本気で思い込んでいるのだとしたら、浮世離れしてイカれているとしか思えない。