いんりんちゃん

 

インリン、日刊スポーツ掲載原稿一部


台湾人<中国人の私は、平和で穏やかな日本の日常が大好きですが、その日常を守るのもまた、有権者の知性と理性です。どうか二度と、知性と理性を失わない日本でいて下さい。あなたの町に道路を作る為ではなく、日本一国<米国の国益の為でもなく、人類の未来の為に、あなたの一票を使って下さい。あなたの一票は、人類の未来を明るくも暗くも出来るのです。国家や国会議員の義務は先ず平和を守ることです。武力を肯定する前時代的な野蛮人に権力を与えたら、結果、損をするのは普通の人々=有権者なのです。あなたの一票は、あなたとあなたの子孫の生命に関る一票です。

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テロリストを支援するものはテロリストなのだ

(G・W・ブッシュ)

 

宮城、福岡の皆様には是非今後の未来を小泉自民党に任せておいて大丈夫かを考えてから明日の選挙に臨んでいただきたい。

 

ところで、選挙の直前に外交パフォーマンス。

キムジュンイル

昨年7月もやってましたね。

なんども同じ手を使えると、完全に見くびられてますね、国民。

もしかしたらアメリカ経由中国経由の意図を反映しての「反日運動」だったかもしれませんね。

 

これで騙されるとしたら、それまでの国民性だということですな。

 

頼むよホント!

明日は友人の結婚式でございます。

ビデオ撮影を頼まれたのだが、素人にカメラを預けるとどうなるか、思い知るが良いわっふあはっはhっは。

なんでもプロに頼むとウン万円かかるからとかの理由だけどね、

ウン万円にはやはりそれなりの価値があると思うよ俺は。

 

フンフダバディ~サンダバディドゥ~

 

映ってるのが足だけとか、

視点がぐるぐる回って気持ち悪いとか、

急に方向転換してヘンなもん映したりしても

 

ソレは俺が素人だからだよ。

 

新婦が昔俺がナンパしたことがあるという偶然はビデオ撮影には一切関わっておりません。

私怨じゃないってば!

いぎたない。

タイトルにあげた言葉はたぶん方言。

自分の地位に固執し、退くに潔くないさまを言う。

例によってばあちゃん直伝。

ばあちゃん語録にはほかに「てんつき」などがある。

 

で、本題の「いぎたない」である。

小泉かっこわるい内閣のことだ。

小泉キモオヤジ内閣でもいいな。

 

結局「反省して」見せなければならない事態になるくらいなら、最初から「ええかっこしい」ことをしなければいいのだ。

小泉首相:
「反省とおわび」を表明へ バンドン会議(MSN-Mainichi-INTERACTIVE)

 

対外的にみっともないマネを晒す一方、国内向けにこんな「イベント」を行ったりもしている。2枚舌とはこのことか。

 靖国参拝 衆参80人 副大臣2人、政務官2人も

 

遺族感情を政治的に利用しようとするのもいい加減にしろ、

この国賊どもがっ!!

 

俺が生きて覚えている4半世紀の間に、こんなに無能をさらけ出しても尚、政権に固執しのさばった恥知らずはいない。

「いぎたない」にもほどがある。

健康でゴメンネ。

テーマ:

「今年の花粉はすごいのよっ」

「なったこともない人が花粉症にかかるんだからねっ」

と散々脅されていたが、今年もなんともないでーす。オホホホホ。

スマンネ、健康で。

 

フォルトゥーナさん、俺の魅力は足臭じゃなくて快便☆!(亜空間レス&自己申告)

 

と言うわけで、春になってさらに新陳代謝も活発になってきたせいか、快便にも拍車がかかってきたdoxです。(ただ単に下痢気味とも言う。)

 

そんな中、ある日、俺の快便の秘訣を発見しました☆

それは、ある日のいつものように大便チェックしていたときのこと、

いつもより軟便だったのですが、便の切れ目にまるで寄生虫のごときうようよの一団がっ

 

よくよく見ると未消化の「めかぶ」だったのですが、一瞬自分でも「なんだ!」と思いましたよ、ええ。

便にも出ているように、doxは「もずく」だの「めかぶ」だの海草が大好物♪で、最近はパックで手軽に食えるように3個ずつパック包装されたものが売っているのですが、アレをバカ食いしたため、おなかがゆるくなったと考えられます。

 

便秘気味の人は是非「めかぶ」お試しアレ。

押し付けの合祀

下の「日本人の宗教観」で月影のシモン さんから、以下の記事を紹介いただいた。

 

靖国合祀と信教の自由

 

 合祀とは、国のために忠誠をつくして死んだかどうかを国家が判断し、基準に合った戦死者だけを靖国神社に神として祀る行為であるが、そこには本人や遺族の意思はまったく関与できない。本人や遺族が神として祀ってほしくない、あるいはすでに神として祀られている自分の家族である死者を祀らないようにしてほしいと願っても、その願いは聞き届けられない。拒否される。国家が死者を支配して、勝手に神にしてしまう。

 

 この自衛隊合祀拒否訴訟で中谷さんが問いつづけたのは、遺族の同意なしに、国家が思うままに死者を支配して神にしてしまう非人間的な行為であったが、さらに象徴的であったのは、合祀の対象が自衛官であったことだ。58年前に終わったあの戦争の戦死者だけでなく、自衛官も殉職すると遺族の意向を無視して靖国神社や護国神社に神として祭られてしまう。前掲の中曽根発言にあるとおり、国民の望まない戦争で自衛官が戦死をしても、国が神様として祀ってやる。だから安心して戦場に赴き、死んでこい、という装置として機能させようという、国民を戦争に参加させたい側の意思が明瞭に見えてくる事件であった。

 

「天皇の名の下、軍部に利用されて死んだ」と「一般の兵士」を様式化してしまうことにおごりがあることは俺も気がついていたのだが、つい簡単なのでやってしまいがちだった。

 

だが、こちらの記事も読んで「天皇制に反対し、共産主義を志すも徴兵され、死んでいった」兵士もいることに心が痛んだ。

 

「誰が死者を追悼するのか?・・・靖国神社を巡って」

 

 戦争に動員された大多数は、徴兵されてしゃーないから戦争行った、という人なのではないのか。
 俺の大叔父の死が個別的だったように、個別の兵士の死は、悉く個別的である。すべての戦死者が個人的な背景を背負っている。その個人が、国家の事情で戦争に動員され、これまた個別の背景を背負った「敵」によって倒される。不合理な、全く納得できない死。当然、遺族も納得できない。
 ここで国家は靖国神社という装置を発明したのである。「戦死者は靖国神社へ行って神様になる」「みんな天皇陛下万歳!といって死んでいった」という物語が作られ、個別の兵士の死を奉る事を「国家行事」として位置付ける。そうすることで国家は戦争遺族の納得を取りつけようとするのである。(他国も同様の装置を持っている事は前提ね)

 俺はこのやり方が、実に薄汚いと思うのだ。誰しも、自分の家族や友人が「犬死した」などと思いたくはない。なにがしかの「意味のある死」を死んだ、と考えたい。そこで靖国神社を介して、「国のため」「天皇のため」といった「死の意味」を配布し、付与する。「死の意味」の、国家への回収である。そして兵士の死の意味は均質化され、一律で仲良く「名誉の戦死」で「英霊」とされる。で、「犬死だった」というような言説は排除されていき、戦死者は「国家のモノ」であるかのように取り扱われるのだ。


俺のひいじいさんにあたる人は軍人だったと聞くし、軍学校を出て戦死した(生きていれば戦犯で巣鴨に入れられていたかもしれない)大伯父二人には、こういった「共産主義を志しながら、国家のためという大号令でしょーもなく死んだ」人々と違って、戦死は本意だったかもしれない。

 

しかし、自分たちがそうだからと言って、他人に押し付ける「宗教」など、掲げられた「日本の宗教の自由」の前にできるわけがないだろう。

「日本人(みんな)の宗教観がこうだから認知されてしかるべき」→「死んでしまったら神にしてやるから、日本での宗教の少数派は黙って合祀されろ」はといった「道民」氏が掲げるような思い込みの押し付けには、大多数に含まれる俺のような側からも反発を覚える。

 

 そういった点からも、自らの祖父は「戦争でうまい思いをした」ものであるに関わらず、他人の死を「国家のために」と定義づけて、そのうえで「犠牲になった人たち」のことを「思う」ふりをして「泣いて見せる」小泉の参拝は、反吐が出るほど欺瞞に満ち溢れている。

 

参考リンク

菅直人の今日の一言

軽率な行動Date: 2005-04-17 (Sun)

 

中国の反日デモ。中国政府として鎮静化を図るべき。それにしても戦後いろいろな時期はあったが小泉内閣以前は対日感情も改善してきていた。北朝鮮問題、そして国連安全保障理事国問題など近隣の国の理解が特に必要なこの時期、日中の首脳会談すら出来ない状態がつづいている。小泉外交がアメリカ一辺倒でアジアを軽視したつけ。ドイツは近隣諸国の信頼を回復する事によって今日のEUの主要国となった。  私は1月の予算委員会で靖国神社は日本の伝統的神道とは異質な存在で、どちらかといえば当時の欧米の国家主義の影響を受けて明治2年に設立されたものという、哲学者の梅原猛さんの考えを紹介した。伝統的神道では滅ぼした相手の魂を慰霊するという考えで、味方だけを祭るというのは異質。4年前、小泉総理が目の前の総裁選のことだけを考えて靖国参拝を約束したとしたら余りにも外交戦略を考えない軽率な行動。 

国民の目そらしにマスコミが大々的に取り上げてきたものの推移。

途中鳥インフルエンザとか牛丼とかいろいろあったような気がするが、

 

政府のやったことに一切触れずに、相手ばかりを批判して「みせかけの愛国心」や「差別意識」を高揚させるのに役立っていることは共通している。

 

例えば小泉改革とやらがアメリカ型の競争至上主義の導入だったことにも関わらず、ライブドアの堀江氏が「日本的会社構造を壊す」「人と人との繋がりを何だと思っているのか」といった「権威に逆らう、成り上がりものの恥知らず」という差別的な論調で叩かれたように。

 

どうも、メディアリテラシーという言葉が一部で浸透してきてから、

「どうせそんな言葉は知らない層は、そういったものに警鐘を鳴らす層には耳を貸さず、読売新聞とワイドショーを見て自分で何か意見を言えるという錯覚に浸れば満足する

と、マスコミがかえって居直っている姿勢が感じられる。

 

「これほどあからさまに情報を操作するだろうか」という、逆の錯覚も生まれているのではないだろうか。

マスコミが反日デモの映像を流し、庶民が「愛国心」のために青筋を立てている間に、政府が国民の財布から金を抜き取るどころか、未来に過度の負担を残す借金を重ねている。

 

ライブドアの過剰報道も、次のネタが決まって収束したように、

反日デモネタ大騒ぎも、政府の対応が不完全で日本企業に多大な迷惑をかけた後、マスコミが他の話題を追っかけ始めて(たとえデモが引き続き起こっていても)収束していくような気がする。

お久しぶりね。

テーマ:

☆みく☆

件名: みくだよ!!

みくだけど覚えてるかな!?

また、みくと遊んでくれたら嬉しいな。(*^。^*)

ちょっとエッチで過激な私を載せちゃいました!!(^_-)-☆

ここ を見てね。^_^;

 

送信者:あなたの名前 <miku_new_mail@yahoo.co.jp >

 

ああ、覚えてるよ、ここ に書いたからねえ。

また画像が使える日がくるとは・・・・・

 

 

日本人の宗教観

おじいちゃんっこの被害者意識共有。」 において「道民」氏が「 A級戦犯合祀はあくまで日本の宗教観によるものです。いわゆる日本の宗教観は『死人に鞭打つ文化』ではないのです。」とコメントし、日本人の宗教観とはなんぞや?という水掛け論になっていたところ、フォルトゥーナさんがすばらしいコメントを残してくれた。(必見。)

 

一部抜粋させてもらうと、

 

日本の宗教観というのは、恨みを残して死んだ人が、生者に祟りをなすという考え方が根底にあって、祟りを防ぐために、死者というのは誰であれきちんと弔いをしなければならないという訳です。だから、例えば処刑された罪人はもとより、牛馬や虫に至るまで、弔いをする塚なんかがあるわけですね。

だけど、死者そのものを神として神社に祀っているのは、その中でも神格化するに足ると思われた人だけです。歴史上の人物でも神として祀られている人はそう多くないです。コレという明確な境界線があるわけじゃありませんが、強い恨みを抱いているに違いないと恐れられた人、つまり、無実にも関わらず、陥れられて死んだ人(菅原道真)や、もしくは惜しまれて死んだ人(源義経)などが神様になっている場合が多いです。

それから、しっかり弔いをしなくてはならないのは、味方ではなくて敵なんです。ゆえに、祟りを恐れられて神格化され人たというのは、だいたい政治的な生々しさがなくなってから、神格化されています。例えば、菅原道真が大宰府で憤死してから、北野天満宮の祭神になるまでが40年。道真を陥れた人々がみな死んでからのことです。さらに天皇が参拝するまでは、100年ほどかかっています。

つまり、こうやって見ていくと、A級戦犯合祀の矛盾が見えてきますよね。

A級戦犯は敵ではなくて、味方の死者。さらに、政治的にホットなうちに、外交問題にまで発展させて無理矢理合祀。さらに靖国神社は祭神は誰彼なく溶け合っているので、合祀後は外すことができないなんて言ってますよね。


靖国が一般の兵士を祀ることに対して異論はありませんが、A級戦犯合祀や、それを取り巻く大陸の被害者を軽視する視点には矛盾があるよ、といいたいだけです。

 

あげてくださった例などは本当に参考になるので、コメント欄 を見てもらうとして、

「人生アウト」さんからのコメントも引用させていただく。

 

 国のために戦って死んだわけでもないA級戦犯を、本当に追悼すべき「国のために戦って死んだ人々」とごっちゃにすることが、「日本の宗教観」なのでしょうか?
 自分の家族を殺した人間と、自分の家族を、ごっちゃにして弔うことが?


俺が「A級戦犯に共感する人」と呼んだのは、こういった「戦って死んだわけでもないA級戦犯と、国のために戦って死んだ人々」をごっちゃにして正当化し、参拝に反対する俺のような人間に「靖国を愚弄する」かのごとくレッテル貼りを続ける人間たちのことだ。

 

下のコメント欄 や ここ  や ここ  にも書かせてもらったが、自分の祖父方の兄弟に2人の戦死者を出し、母方の祖母は戦争未亡人で、母は戦死した人の弟の子供(祖母は夫が戦死したのちに、夫の弟と結婚させられている)で、戦争によって辛酸をなめさせられた層であると思う。

よって、俺は祖父母が戦死者を悼む気持ちに水を差すつもりはないし、戦後の苦しい中「昭和天皇陛下は戦争に反対されていた」と昭和天皇に対する尊敬を励みにしていたことにも異論を挟む気にはなれない。

 

 

ただ、そういった自国の遺族たちを騙すかのように、A級戦犯のことを言わずに「首相の靖国参拝に反対している人々は戦死者を愚弄している」かのような論調に誘導して、遺族の気持ちを政治利用すようとする人間の汚さ・浅ましさには、反吐が出る思いがする。

かつて日本は戦後急速な技術・経済発展を遂げ、アジア各国から尊敬されてきました。

かつて日本は漫画やゲームなど独自の文化を発展させ、表現の自由の面でもアジアの中では先進国でした。

かつて日本人は「世界のどこにでもいる」と言われ、どの国に行っても政治的に命を狙われることなく、そして善意の日本人が代表として多数身を挺して、技術・産業などの面で他国に貢献してきたおかげで、「日本人」は善い民族だと思われてきました。

 

 数年前、先の大戦の影響から日本はずいぶんイメージが悪いだろう、と思って東南アジアに出かけた折に、そこに出会った人たちが「あの敗戦から国を復興させ、経済大国となった日本はすごい」「日本製品はすばらしい、日本人は優秀だ」と口々に言ってくれ、自分はそんな日本に誇りを持っていました。

南米に行ったときには、「日本人ならいい、アメリカ人ならこうはいかない」と言われ危険を回避できたこともあり、自分が日本人であることに感謝したりもしました。

 

 しかし、現在「戦前の日本」にどういった了見なのか誇りを持ち、こういった生き残った日本人が努力して作り上げた「戦後の日本」を貶める人たちによって、そういった日本に対する「善い」イメージがどんどん崩れています。

 

いまや「日本人」の中で、善意で他国のために動く日本人や、他国との交流を図り国際理解に努める日本人を「非国民」呼ばわりして、自国の中だけ威勢のいい差別主義を振り回す人間が増え、他国人から「得体の知れない不気味な存在」と思われています。

 

大部分の日本人が「日本は二度と戦争などしない」と思っているのにも関わらず、他国にその姿勢を示さず、理解を求めることをしないで一方的に他国からは「軍隊」としか見られない、本来は国防のために働く自衛隊を他国に送り、「善いことをしているのだから」と自分たちだけで納得してしまっていることで、他国からの不信を招いています。

そろそろ先の大戦のイメージを払拭し、未来に向かって他国との相互理解・発展をともに歩むという気持ちはあってもいいと思いますが、それを先の大戦を肯定し、教科書からの記述を減らすことによってよしとする欺瞞がはびこっています。

 

自分は愛国者として、これが本当に日本を発展させる道なのか問いたい。

「愛国心」を踏み絵にし、「南京虐殺を認めるのか、非国民が」などと言い、他のアジアの国と自国民をを差別し、そのくせ日本を、アメリカの犬と呼ばれる道をどうして歩めるのか、こんな矛盾を何故受け入れられるのか疑問です。

 

他の国の欠点をあげつらうことによって自国の問題から目をそらせている人たちにももう一度考え直していただきたい。今ならまだ間に合うかも知れません。自分の国の未来を担う子供たちに、これ以上の負担と社会不安を残し、後世から「無能首相を持ち上げ、後世に禍根を残した恥ずべき世代」と記憶されないよう、再度進むべき道を問い直す時期だと思います。

 

最後に、政治的立場は違うが、共感した家永三郎氏の言葉を掲げます。

 

『戦争前、私は学校の若い教師でした。あのとき、みんなはおかしいと思いました。でも、誰もそのとき、勇気をもたなかった。私一人でもあの大事なときに少しでも何かすればよかった。何もしなかったおかげで、大変悲惨な戦争がおこりました。裁判が負けつづけても、ぼくが死ぬまで、あのとき何も出来なかったことに対しての自分の罪は消えません。まだできることがありますので、他人の責任としないで自分たちの責任としてやりましょう。』