『祖母の大正時代の話』(①故郷の冬の話)
祖母の石井チエノは、私の母の母にあたります。
この話は、
1981年3月16日月曜日に、
母・澄子と私・稔が、
海老名市の石井力雄宅に訪れたときに録音したものです。
祖母は少し福井訛りの話し方のようです。
写真も撮ったのですが、逆光だったり、暗かったりで、
よく写っていませんでした・・・。
①故郷の冬の話(4分16秒)
②東京・紡績工場の話(3分00秒)
③大正六年の大水の話(5分46秒)
④上京・転々の話(4分48秒)
⑤ふたおばあちゃんのオデキの話(4分09秒)
⑥出生届の遅れの話(1分05秒)
⑦帰り際のやりとり(6分17秒)
★石井チエノ:84才10ヶ月。
☆石井力雄:44才。
▲松浦澄子:50才。
●松浦稔:28才。
-------(略歴)---------
<石井チエノ>(旧姓:寺岡)
1896年5月5日~1986年6月7日(享年90歳)
(明治29年申年~昭和61年)
寺岡チエノ:福井県福井市(永平寺町付近?)出身
石井亀太郎:福井県勝山市北郷町森川出身
※福井県吉田郡永平寺町法寺岡houjiokaという地名がある。
1896年(明治29年)生誕
1913年(大正2年)17才。石井亀太郎と結婚
1914年(大正3年)18才。長男・良一誕生
1917年(大正6年)20才。上京・上野付近。長男3才位
1917年(大正6年)江東区石島に居住
1917年(大正6年)<大正六年の高潮災害>
1919年(大正8年)23才。二男・栄誕生
1923年(大正12年)27才。三男・美津雄誕生
1926年(昭和1年)30才。長女・初江誕生
1927年(昭和2年)31才。二女・兼子誕生
19??年 江東区大島に居住
1930年(昭和5年)34才。三女・澄子誕生
1933年(昭和8年)37才。四女・和子誕生
1936年(昭和11年)40才。四男・力雄誕生
※女の子と双子だったが死産
1938年(昭和13年)42才。五女・??誕生※実際は六女
1945年(昭和20年)頃。49才?。五女が7・8才で他界。
1946年(昭和21年)50才。亀太郎没(享年62歳)
1946年頃? 江東区亀戸に居住
1951年(昭和26年)55才。母・澄子結婚
1952年(昭和27年)56才。私・稔誕生
1955年59才頃? 江東区大島に戻る
1962年66才頃? 力雄と同居(千葉県習志野市)
1969年73才頃? 力雄結婚後、神奈川県座間市に居住
1980年84才頃? 神奈川県海老名市に居住
1986年(昭和61年)享年90歳
---------------------
******************** * * *
①故郷の冬の話(4分16秒)
******************** * * *
【要約(省略)】
(0:43)
昔の人は大変だったよね・・・
ね、昔の人はね・・・
今はええよね。
お風呂は、ねじればお湯が出てくる・・・
いいよなぁ・・・
(1:25)
(今はテレビがあるけど、)
おばあちゃんの小さいとき、
お寺に幻燈機というのがあって、
ただしゃべりも何もしない、
みんな昔の絵が出てくる・・・
そんなもんでもね、
お寺にわざわざ見に行ったもんだよ・・・
当時は、十二・三の時分だね・・・
ラジオはね、
ほらラッパで(※ラッパ型スピーカー)・・・
(あるとき)隣に学校が建ったんだよ・・・
そこへ、塗装屋?さん(壁屋さん)が来たんだね、
それは大変な騒ぎだったよ・・・
(2:35)
田舎行ったときに、
もー、雪で塀ができていた・・・
こんな高い塀だ・・・
真ん中だけ、通る道あけているだけよ・・・
雪の塀・・・
(2:50)
その年はひどく雪降ってね、
たくさんね・・・
だからうちの子供らは、
歩いててもね、
ゴボッ、ゴボッて入っちゃうんだよね、
足がね・・・
私は慣れているからいいの、
平気だっだけれどね・・・
ばあちゃんなんか小さいときはね、
雪が降ると、
もう、ダーっと、田んぼに雪があるからね、
それが凍っちゃうとね、
そこん所歩いたんだよ。
帰りにはね、
陽が当たって軟らかくなっているんだよ。
足がゴボッゴボッて入ってしまう・・・
足袋も履いてなければね、
ただ下駄だけで、低い下駄っだった・・・
そして帰って来てね、
おコタ(コタツ)入って、
お尻まで入ってね、
あたったもんだよ・・・
足袋なんかね、3年に一足しか買えなかった・・・
今はね(そんなことないので)、
足がしもやけになることないね・・・
しもやけができて、ずいぶん苦労したんよ・・・
それで、親にも治してもらえないの・・・
自分で働くようになって、
自分でね、もう十三才から、
もう、いっぱし働いたからね・・・
そして、
東京へ出て来たのは、二十歳のときに来たの・・・
(4分16秒)
祖母の石井チエノは、私の母の母にあたります。
この話は、
1981年3月16日月曜日に、
母・澄子と私・稔が、
海老名市の石井力雄宅に訪れたときに録音したものです。
祖母は少し福井訛りの話し方のようです。
写真も撮ったのですが、逆光だったり、暗かったりで、
よく写っていませんでした・・・。
①故郷の冬の話(4分16秒)
②東京・紡績工場の話(3分00秒)
③大正六年の大水の話(5分46秒)
④上京・転々の話(4分48秒)
⑤ふたおばあちゃんのオデキの話(4分09秒)
⑥出生届の遅れの話(1分05秒)
⑦帰り際のやりとり(6分17秒)
★石井チエノ:84才10ヶ月。
☆石井力雄:44才。
▲松浦澄子:50才。
●松浦稔:28才。
-------(略歴)---------
<石井チエノ>(旧姓:寺岡)
1896年5月5日~1986年6月7日(享年90歳)
(明治29年申年~昭和61年)
寺岡チエノ:福井県福井市(永平寺町付近?)出身
石井亀太郎:福井県勝山市北郷町森川出身
※福井県吉田郡永平寺町法寺岡houjiokaという地名がある。
1896年(明治29年)生誕
1913年(大正2年)17才。石井亀太郎と結婚
1914年(大正3年)18才。長男・良一誕生
1917年(大正6年)20才。上京・上野付近。長男3才位
1917年(大正6年)江東区石島に居住
1917年(大正6年)<大正六年の高潮災害>
1919年(大正8年)23才。二男・栄誕生
1923年(大正12年)27才。三男・美津雄誕生
1926年(昭和1年)30才。長女・初江誕生
1927年(昭和2年)31才。二女・兼子誕生
19??年 江東区大島に居住
1930年(昭和5年)34才。三女・澄子誕生
1933年(昭和8年)37才。四女・和子誕生
1936年(昭和11年)40才。四男・力雄誕生
※女の子と双子だったが死産
1938年(昭和13年)42才。五女・??誕生※実際は六女
1945年(昭和20年)頃。49才?。五女が7・8才で他界。
1946年(昭和21年)50才。亀太郎没(享年62歳)
1946年頃? 江東区亀戸に居住
1951年(昭和26年)55才。母・澄子結婚
1952年(昭和27年)56才。私・稔誕生
1955年59才頃? 江東区大島に戻る
1962年66才頃? 力雄と同居(千葉県習志野市)
1969年73才頃? 力雄結婚後、神奈川県座間市に居住
1980年84才頃? 神奈川県海老名市に居住
1986年(昭和61年)享年90歳
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******************** * * *
①故郷の冬の話(4分16秒)
******************** * * *
【要約(省略)】
(0:43)
昔の人は大変だったよね・・・
ね、昔の人はね・・・
今はええよね。
お風呂は、ねじればお湯が出てくる・・・
いいよなぁ・・・
(1:25)
(今はテレビがあるけど、)
おばあちゃんの小さいとき、
お寺に幻燈機というのがあって、
ただしゃべりも何もしない、
みんな昔の絵が出てくる・・・
そんなもんでもね、
お寺にわざわざ見に行ったもんだよ・・・
当時は、十二・三の時分だね・・・
ラジオはね、
ほらラッパで(※ラッパ型スピーカー)・・・
(あるとき)隣に学校が建ったんだよ・・・
そこへ、塗装屋?さん(壁屋さん)が来たんだね、
それは大変な騒ぎだったよ・・・
(2:35)
田舎行ったときに、
もー、雪で塀ができていた・・・
こんな高い塀だ・・・
真ん中だけ、通る道あけているだけよ・・・
雪の塀・・・
(2:50)
その年はひどく雪降ってね、
たくさんね・・・
だからうちの子供らは、
歩いててもね、
ゴボッ、ゴボッて入っちゃうんだよね、
足がね・・・
私は慣れているからいいの、
平気だっだけれどね・・・
ばあちゃんなんか小さいときはね、
雪が降ると、
もう、ダーっと、田んぼに雪があるからね、
それが凍っちゃうとね、
そこん所歩いたんだよ。
帰りにはね、
陽が当たって軟らかくなっているんだよ。
足がゴボッゴボッて入ってしまう・・・
足袋も履いてなければね、
ただ下駄だけで、低い下駄っだった・・・
そして帰って来てね、
おコタ(コタツ)入って、
お尻まで入ってね、
あたったもんだよ・・・
足袋なんかね、3年に一足しか買えなかった・・・
今はね(そんなことないので)、
足がしもやけになることないね・・・
しもやけができて、ずいぶん苦労したんよ・・・
それで、親にも治してもらえないの・・・
自分で働くようになって、
自分でね、もう十三才から、
もう、いっぱし働いたからね・・・
そして、
東京へ出て来たのは、二十歳のときに来たの・・・
(4分16秒)
******************** * * *
①故郷の冬の話(4分16秒)
******************** * * *
【原文】
(0:00)
●稔:
ほんと暖かくなったよね・・・
★チエノ:
4月になったって言っていたからね・・・
●稔:
東京の方はかえって4月になってからの方が多いらしいね。
今年はでもやっぱり去年より遅いらしいね・・・
今年はいつもより春が来るの遅いらしい。
★チエノ:
そうかねぇ?
※時計の鐘の音・・・
(0:43)
●稔:
ほんとね、昔の人は大変だったよね・・・
★チエノ:
ね、昔の人はね・・・
●稔:
だんだん良くなるんだろうけどね。
★チエノ:
今はええよね。
お風呂は、ねじればお湯が出てくる・・・
いいよなぁ・・・
●稔:
とても考えられなかったでしょ。
こんなテレビなんてね、絵が映るんだから・・・
(1:25)
★チエノ:
おばあちゃんの小さいとき、
お寺に幻燈機というのがあるんだよな
ただしゃべりも何もしない
みんな昔の絵が出てくるらしい・・・
そんなもんでもね、
お寺にわざわざ見に行ったもんだよ・・・
●稔:
ほんと当時はそんなもんだったもんね。
★チエノ:
当時は、ばあちゃんなんか、いくつくらいだったか、
十二・三の時分だね・・・
あの、ラジオはね、あの・・・ほらラッパ(※ラッパ型スピーカー)・・・
それで、あのー、隣に学校が建ったんだよ・・・
そこへ、そのー、 塗装屋?さんが来たんだね、壁屋?さんが、
それ・・・それは大変な騒ぎだったよ(あかんかったね?)・・・
●稔:
ほんとね、それこそ紙芝居とかね・・・
(2:35)
★チエノ:
田舎行ったときにおりたけんどね、
もー、雪で塀だ・・・
こんな高い塀だ・・・
真ん中だけ、通る道あけているだけよ・・・
雪の塀・・・
●稔:
向こうはすごいもんね・・・
(2:50)
★チエノ:
その年はひどうか雪降ったもんね、たくさんね・・・
だからうちの子供らは、
歩いててもね、
ゴボッ、ゴボッて入っちゃうんだよね、足がね・・・
私は慣れているからいいの、平気だっだけれどね・・・
ばあちゃんなんか小さいときはね、
雪が降ると、朝、凍とってるときなんかはね、
もう、ダーっと、田んぼ、雪あるからね、
それが凍っちゃうとね、そこん所歩いたんだよ。
んと、帰りにはね、陽が当たって軟らかくなっているんだよ。
足がゴボッゴボッて入っていくねん・・・
それも何も履いてないんだよ・・・
足袋も履いてなければね、
ただ下駄だけで、低い下駄っだった・・・
そして帰って来てね、
おコタ(コタツ)入って、ケツまで入ってね、
あたったもんだよ・・・
足袋なんかね、3年に一足しか履かなかった・・・
だから、今ね、足がしもやけって無いね・・・
しもやけができて、ずいぶん苦労したんよ・・・
それで、親に治してもらえないの・・・
自分で働くようになって、
自分でね、もう十三から、
もう、いっぱし働いたからね・・・
●稔:
東京へ出て来たのは、もっとそのあとから・・・?
チエノ:
東京へ出て来たのは、二十歳のときに来たの・・・
(4分16秒)
☆☆☆<ご連絡ください>☆☆☆
↑松浦稔(1952年7月7日生)↑
<☆ご連絡ください☆>
関係のあるかたや、
何かご存知のかたご連絡ください♪
特に同じ学年のかたなら、
とても嬉しいですが、
学年・年齢は違っても、
同じ学校、
西一之江小、
松江5中 に関係のあるかた、
是非、ご連絡ください♪
同窓生でなくても、
記事に関係することを知っているかた等、
お気軽にご連絡ください♪
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